第875話 収容

統一歴九十九年五月九日、夜 ‐ 『黒湖城砦館』ハーレ・デア・シュバルツゼーブルク/シュバルツゼーブルグ



 三人の視線の先には魔法のいばらに拘束されたインプが大事そうに丸められた紙を抱え込んでうずくまっており、赤く光る眼をパチクリさせながらしきりに首を動かして三人をそれぞれ見比べている。食いしばった口からは尖った白い歯を剥き出しにし、その歯の隙間から激しく息を吸ったり吐いたりしてシーシーと音を立てていた。まるで罠にかかった獣が必死に威嚇しているかのようである。そしてその姿は木炭のように真っ黒だ。もし自ら音を立てなければいくら満月に近い月明かりがあるとはいえ、見つけ出すことなど出来なかったかもしれない。まさに、きじも鳴かずば撃たれまいである。


 しかし、リウィウスとヨウィアヌスの二人はカルスほどは驚かなかったしおびえもしなかった。カルスが激しく驚いて飛びのいたのを見ていた分、心の準備が出来ていたせいだろう。むしろ落ち着き払った様子でインプを観察する。


「なるほどコイツがインプかぁ……」


「俺ぁ初めて見たぜ、リウィウスとっつぁんは?」


「俺も初めてだぁ、話には聞いたことあったがなぁ……」


「俺もだ。ホントに居んだなぁ……」


 二人があまりにも平然としているのでカルスは逆に驚いた。これではまるで自分が馬鹿か臆病者みたいで急に恥ずかしくなる。


「な、なんだよ二人とも!

 こ、怖くないのかよ!?」


 まるで悪戯でもされた被害者のようにいきどおるカルスに、ヨウィアヌスは首だけで振り返って肩越しに意地悪な笑みを浮かべた。


「何だぁ~カルスぅ、こんなっこいのが怖いのかぁ?」


「ち、っこいからって、ネズミやリスだってコイツよりっこいけど、噛まれりゃ病気になって死ぬことだってあんだぞ!?」


 涙目で反論するカルスを揶揄からかうように、ヨウィアヌスはヘッと笑った。その態度にムカッと来たカルスは構えていた小剣プギオーをギュッと握りしめて両手を下ろす。


 クソッ、ヨウィアヌスの奴、馬鹿にして!!


「その辺にしとけ二人とも、俺たちゃ遊びに来たんじゃねぇんだ。」


 リウィウスはそう言って背後の二人を静かにさせると、腰のベルトに下げていた小剣を鞘から引き抜いてインプに突きつけた。インプはこれまで以上にシーシーと激しく警戒音を鳴らし身を固くするが、何せ『荊の桎梏』ソーン・バインドによって縛られているため身動きが取れない。下手に動いて荊の棘が刺さりでもすれば、そこから荊に魔力を吸われてしまう。インプのような小さな魔法生物にとって、この荊の棘は小さくても致命傷になりかねない危険な代物なのだった。

 インプが身動きできないことを承知の上で、リウィウスは小剣を突き付けたままインプを覗き込むようにしゃがみ込む。


「おぅインプさんよ、おぇさん人間の言葉がわかるんだってなぁ?

 《地の精霊アース・エレメンタル》様とは流暢りゅうちょうに話したそうだが、生憎あいにくと俺たちゃ念話って奴が出来ねぇ。

 話せるんなら言葉を使いな、さもなきゃ首を縦か横に振って返事をすんだ。

 返事次第でこの荊を解いてやってもいいぜ。

 いいか?」


 リウィウスがそう話しかけると、シーシーと激しく警戒音を出して威嚇していたインプはリウィウスとリウィウスの小剣を交互に見比べ、それから躊躇ためらいがちにコクッと頷いた。


「ようし、俺たちゃルクレティア・スパルタカシア様のつかいのもんだ。」


 そう名乗りを上げるとインプは赤く光る眼を皿のように見開いた。


「りゅ、りゅくえっしゃ、ひゅぱぅたくしゃ」


「そうだ、ルクエティア・スパルタカシア様だ。

 おぇさんが手紙を届けてぇってぇ御仁ごじんの遣いだよ。」


 どうやら話が通じるらしいことに確信を得たリウィウスはわずかに口角を持ち上げてニヤリと笑うと、突き付けていた小剣を引っ込めた。


「おぇさんが手紙を持ってきたって《地の精霊アース・エレメンタル》様から知らされて来たんだ。

 大人しくするってぇえんなら、案内してやる。」


 インプは警戒音を出すのを止めてはいたが、見開いていた目を細めてジッとリウィウスを見上げている。リウィウスは話が通じているものと思い、手に持ったままの小剣をぶら下げるように切っ先を地面に向け、そのまま話を続けた。


「俺たちと一緒に来い。そんで、一緒に奥方様ドミナを待つんだ。

 ただ、途中人目についちゃ困るんでな。

 ヨウィアヌスの持ってきたかごに入ってもらうぜ?」


 リウィウスがそう言うとリウィウスの斜め後ろに立っていたヨウィアヌスは腰に下げていたかごを無言のまま取り出した。わらで編まれたものだったが、ちょうどガレアが丸ごと入るくらいの大きさの壺のような形をした籠であり、ご丁寧にふたまでついている。確かにこれならインプが丸ごと入るだろうし、人目を避けて運ぶことが出来るだろう。

 だが見ず知らずの人間にいきなりコレに入れと言われて納得するはずもない。インプは何か疑わしそうな目でその籠とヨウィアヌスの顔を、そしてリウィウスの顔を見比べた。


「いいか?奥方様ドミナは今、お食事の真っ最中だ。

 そんなところへおぇさんが飛び込んで騒ぎを起こされちゃたまんねぇんだよ。」


 どうやら疑われているらしいと気づいたリウィウスが泣き言でも言うように説明したが、インプは納得するどころか疑惑を深めたかのようにジトッとした視線をリウィウスへ向けた。安易な泣き落としが通用しないと悟ったリウィウスは方法を変えることにした。手に持っていた小剣をインプに突きつける。


「俺たちとしちゃあ、今この場でおぇさんを殺して手紙だけ奪った方が楽なんだぜ?

 そっちの方がいいのか?」


 ホブゴブリンのドスの利いた声にビビったのだろう。インプは赤い目を最大限に見開き、ブルブルブルッと激しく首を左右に振る。


「じゃあ、大人しく着いて来るんだな?」


 インプは今度は首を縦に二回、大きく振った。どうやら完全に話は通じたようである。リウィウスは溜息交じりに「最初っから言うこと聞いとけ」とボヤくと、突き付けていた小剣でインプを拘束している魔法の荊を切ったのだった。


「キシッ、キシシシ~~~ッ!!」


 ようやく戒めから解放されたインプは両腕を左右に広げ、丸めていた背中を反らせて伸びをしながら背中の羽根を大きく広げ、バタバタと羽ばたく。するとすかさずリウィウスが小剣を突き出した。その勢いがあまりにも早かったため、インプは驚いて目を丸くし、思わずその場に尻もちをついてしまう。


「オイ、逃げようとしやがったらコイツでスパッと行くぜ!?」


 そう言いながらリウィウスが突き出した小剣をわずかにひねると、その瞬間月の光を反射して刃がギラッと冷たい光を放った。


「コイツぁそこらの小剣プギオーとはわけが違うんだ。

 ほんのひと撫ででおぇさんの身体なんて真っ二つだぜ?」


 インプの鼻先にまで突き付けられたそれをリウィウス本人は「小剣プギオー」と呼んでいたが、その正体はミスリル・ダガーナイフ……リュウイチから貰ったナイフである。その鋭さはカミソリよりも鋭利であり、強靭さは鉄剣に優る代物だ。このままリウィウスが少しばかり力を入れるだけで、インプの身体など温めたバターナイフでバターを切るより簡単に切り裂かれてしまうだろう。

 インプは鼻先に突きつけられた切っ先の鋭さにゴクリと喉を鳴らし、伸びをする時ですら小脇に抱えたまま離さなかった手紙を改めて両手でギュッと抱きしめる。


「よーし、逃げようなんてしてくれるなよ?

 俺らも出来りゃあ奥方様ドミナに残念な報告なんてしたかぁねぇからよ。」


 リウィウスが小剣を少し引っ込めると、インプはブンッと音でもなりそうな勢いで一度大きく頷き、それから少し間をおいてブンブンと二度繰り返して頷いた。

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