第292話 イェルナクの驚愕

統一れ九十九年四月二十五日、昼 - セーヘイム迎賓館/アルトリウシア



閣下アロイス此度こたびのアルトリウシアへの御来訪…ヘルマンニ卿からはアルトリウシア救援のためとうかがっております。」


 イェルナクの態度は慇懃いんぎんそのものではあるが、これまでと違って声に緊張の色が滲んでいた。


「もちろんアルトリウシア救援だとも。」


「救援と申しますと、被災地の復旧復興…で、ございますか?」


「その通りだ。多くの領民たちが家を失っておる。

 このままでは冬を越せず、多くの領民が凍死することになりかねん。」


「なるほど、それは私どもも心を痛めていたところです。

 叶うものならば我らもお役に立ちたいところですが、あいにくと犯人が我らであるとの誤解がアルトリウシアの民の間に広まっておる様子。現に私がセーヘイムを訪れるたびに、無頼の輩が暴徒となって押し寄せてくる始末で…」


「難儀なことだな。」


「しかし、閣下の御到着も随分お早うございましたな。

 ズィルパーミナブルグからでは片道六日はかかりましょう?

 救援の要請を受けて準備をし、部隊を仕立てて出立して既にご到着とは…」


「何、小官が率いてきたのは先遣隊だからな。

 本隊が到着するのはまだかかろう。」


「どれほどの規模の部隊がアルトリウシアへ来るのでしょうか?」


「それを訊いて何とする?」


「いえ、先ほども申し上げましたように我らも無辜むこの民草の被った被害には心を痛めておるのです。無関心ではいられません。

 閣下の寄越した軍勢が多ければ、心強いのですが…」


 もちろんイェルナクの本音は逆だ。過剰な増援部隊が来てるとすれば、復旧復興支援ではなく、復旧復興支援を名目にエッケ島攻略作戦の準備をしている可能性を疑わねばならなくなる。

 レーマ軍のセオリーに従うならば、野戦で敵軍の包囲殲滅せんめつを目指すのであれば敵軍の三倍の兵力を、強固な防御陣地を力責めする場合は敵守備兵の十倍の兵力を用意することになっている。エッケ島が半要塞化された島であることを考えれば、上陸部隊だけでハン支援軍アウクシリア・ハンの十倍程度の兵力を用意するはずだ。

 ハン支援軍アウクシリア・ハンは半個大隊コホルス程度まで兵力を減じているので、五個大隊コホルスも居れば十分ということになりそうだが、エッケ島が島である以上は船の漕ぎ手を別に用意しなければならないはず。おそらく総勢で七~八個大隊コホルス相当の兵力が必要だろう。現在アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアが三個大隊コホルスで、船の漕ぎ手としてセーヘイムの水兵が一個大隊コホルス相当と見積もると、三~四個大隊コホルスの増援があればエッケ島を攻略可能となる。


「ひとまずは千五百ほどだ。

 必要とあらば更に千五百ほど追加派遣の準備を整えさせてある。」


 一個大隊コホルスの兵数はおおよそ五百人。つまり、三個大隊コホルスがアルトリウシアへ派遣され、更に三個大隊コホルスが増派に備えているということだ。それはアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアの全力に近い大兵力である。

 その数字を聞き、いよいよエッケ島攻略が現実味を帯びて来たと感じたイェルナクは内心で冷や汗をかき始めた。


「さ、三千もの兵を呼び寄せたのでは、ズィルパーミナブルグの防衛は心配ではありませんか?」


「うむ、それは心配ないだろう。五月以降に南蛮が攻めてきたことは無い。

 それに、増援を呼び寄せる必要はどうやらないようだ。

 サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアからの救援もあるしな。」


サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアが救援!?」


 サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアと同様辺境軍リミタネイだ。つまり、領主が自分の領地を守るために編成することが義務付けられている軍団レギオーであり、基本的には戦争でもない限り他領へ、ましてや異なる属州へ派遣されることは無い。

 それがサウマンディア属州からアルビオンニア属州へ派遣される…もう軍事目的と考えるのが自然であろう。南蛮との戦争が停滞している現在、アルビオンニアへ増援戦力が送られるとすれば、相手はハン支援軍アウクシリア・ハンを置いて他に考えられない。


「ああ、一週間以内に二個大隊コホルスを派遣するとのことだ。

 既に来ている大隊コホルスと合わせれば総勢で千五百にはなろう。」


「お、お待ちください。既にサウマンディアの大隊コホルスが来ているのですか?」


 それはイェルナクにとってまったく寝耳に水だった。さすがに驚きを隠せず、思わず身を乗り出してしまう。


「なんと、御存知でなかったか?」


「存じません!」


カルウィヌスバルビヌス殿率いる第二大隊コホルス・セクンダだ。

 既にアイゼンファウスト地区で死体や瓦礫の撤去作業に従事しておられる。」


第二大隊コホルス・セクンダのバルビヌス・カルウィヌス殿と言えば、サウマンディア軍団レギオー・サウマンディア大隊長ピルス・プリオルの中でも最古参の古強者ふるつわものではありませんか!?」


 サウマンディア軍団レギオー・サウマンディア大隊長ピルス・プリオルの中で、バルビヌスは筆頭百人隊長プリムス・ピルスに次ぐ戦歴を誇る老将だ。一兵卒レギオナリウスからの叩き上げで、その実力は筆頭百人隊長プリムス・ピルスをも凌ぐと言われ、現場指揮官の中では最有力者の呼び声高い歴戦の勇者である。


「…まあ、そうだな。

 四月十二日の夕刻には既に来られていたようだ。」


「そんなに早く!?」


 四月十二日と言えばハン支援軍アウクシリア・ハンが蜂起してから二日後だ。サウマンディウムからアルトリウシアまで、船で最短二日かかることを考えれば、少なくとも十一日の早朝にはサウマンディウムを発っていなければ十二日の夕刻には着けないはずである。とすれば、ハン支援軍アウクシリア・ハンが蜂起した十日の内に、派遣が命じられているはず・・・常識から考えてあり得ない早さだった。


「うむ、早いな。

 例のメルクリウス捕縛作戦でサウマンディウムに待機させていた大隊コホルスを急派したようだ。」


「そ、それにしたところで…一体どうして!?」


「うむ、伝書鳩で急報を知ったウァレリウス・サウマンディウスプブリウス伯爵が御英断を下されたようだ。さすがは伯爵、まさに即断即決だな。」


 それで納得しろと言われても無理な話だ。他人の治める属州に軍隊を送り込むのだからそれなりに下準備が必要なはず。いくらサウマンディアとアルビオンニアが蜜月関係にあると言っても、先方の承認も無しに他人の領地へ派兵してタダで済むわけがない。伝書鳩の通信速度が速いと言ってもアルトリウシア~サウマンディウム間では半日はかかるはずで、十日にハン支援軍アウクシリア・ハンが蜂起してその日のうちにアルトリウシアとサウマンディアの間で派兵の合意に達せられるわけがない。


「まさか…」


 イェルナクの脳裏にあの日のディンキジクの言葉がよみがえる。


『罠だよ!我々を罠にめるためだ!!

 隙を見せて我らの蜂起を促し、それを逆に利用して我々ハン族を滅亡させるためだ!!』


 ディンキジクのあの予測は正しかったという事か?

 だとすれば、サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアもグルで、最初から事前に準備を整えていたとしても不思議ではない。そうでもなければ、急報を受け取った翌日に大隊コホルスを送り出すなど、するわけがない。


 イェルナクの顔色がみるみる青くなっていく。イェルナクはエルネスティーネやルキウスがハン支援軍アウクシリア・ハン討伐に乗り出さないよう、牽制するつもりでアーディンを軍使レガティオー・ミリタリスとして送り出した。だがアーディンがレーマに到着するまで最低でも二か月半はかかる。それまでエルネスティーネやルキウスが攻撃してこないとも限らない。だからこそ、アーディンにはサウマンディウムに寄ってプブリウスに謁見し、エルネスティーネとルキウスが謀反を企てていると報告するよう命じたのだ。

 だが、ディンキジクの予測が当たっていてプブリウスもグルだとしたら、アーディンを使った牽制は逆効果だったかもしれない。


「かかか閣下、お、お尋ねしますが、そのサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアが増援を送るというのは、そのぅ…いつ、決まったのですか?」


「昨日だ…いや、一昨日だったか?」


 イェルナクの顔色が急に悪くなってきたのをいぶかしみながらアロイスが答えると、イェルナクは飛び上がらんばかりに驚いた。


「昨日!?一昨日ですと!?」


「ああ、送ると決まったのが一昨日で、詳細を調整したのが昨日だ。」


「ちょ、ちょっとお待ちください。

 ということはサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアからどなたか来ていらっしゃるのですか?!」


「来ていたぞ?

 軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムのマルクス・ウァレリウス・カストゥス閣下だ。つい今しがた帰ったがな。」


「今しがた帰られたですと!?」


「うむ、小官も船出を見送ってからここへ来たのだ。」


 イェルナクはバッと立ち上がった。思わずアロイスの背後に立っていた護衛が身構える。


「な、なんという事だ!」


「どうされたのだイェルナク殿?」


 イェルナクのただならぬ様子に思わず狼狽うろたえながらアロイスが問いかけると、イェルナクは茫然自失とした様子でアロイスを見下ろしながら詰問しはじめる。


「ど、どうして教えてくださらなかったのですか?」


「何をだ?」


「サウマンディアから使者が来ている事です!」


「何故、教えねばならんのだ、訊かれてもいないのに?」


 アロイスの言う通り、イェルナクにマルクスが来ていた事を教えねばならない理由など誰にも無かった。


「わ、私もウァレリウス・カストゥスマルクス閣下にお会いせねば!」


「無理だ、もう帰られた。

 ひどく急いでおられて、今日中にサウマンディウスに着くつもりらしかったぞ?」


 何を言い出すんだコイツは…と、呆れるやら驚くやらでアロイスは顔をしかめ、イェルナクを落ち着かせようと立ち上がって両手を「待て待て」と言うようにかざした。


「閣下!」


「何だ!?」


「私は急いで追いかけねばなりません。

 申し訳ありませんが、この場はこれで失礼したいと思いますが…」


 いい加減にイェルナクの相手など切り上げたかったアロイスからすれば、イェルナクのこの思い付きのような申し出は渡りに船だった。アロイスは二つ返事で「構わないとも」と答えた。

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