第291話 アロイス、イェルナクの会見

統一歴九十九年四月二十五日、午前 - セーヘイム迎賓館/アルトリウシア



 マルクスがセーヘイムを発つのを見送ったアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニア軍団長レガトゥス・レギオニスアロイス・キュッテルは、ティトゥス要塞カストルム・ティティへ帰るエルネスティーネらと別れ、ハン支援軍アウクシリア・ハンのイェルナクと会見すべくセーヘイムの迎賓館ホスピティオへと赴いた。

 そこは港からティトゥス要塞カストルム・ティティへ向かうアーレ街道の途中から北へ折れて少し登ったところにあり、見晴らしは良いが距離がそれなりにあるためセーヘイムの喧騒は届かない。イェルナクが滞在しているとあって周囲にはセーヘイムの水兵たちによって厳重な警備が敷かれていた。


「ようこそおいでくださいました、アロイス・キュッテル閣下!」


 アロイスが迎賓館ホスピティオに入るや否や、玄関ホールウェスティブルムで満面の笑みを浮かべたイェルナクが両手を広げて出迎えた。イェルナクとしては玄関の外で出迎えたかったが、警備の都合から外に出ないようヘルマンニに言われていたため、こうして建物の中での出迎えとなったのだった。


「随分とお待たせしてしまったようだ。非礼をお許し願いたいイェルナク殿。」


「なんのなんの、こちらこそ閣下の御都合も考えずに会見を申し入れたのです。多少待たされるくらいは致し方ありませんとも。むしろ、こうしてわざわざおいで下さっただけでもありがたいくらいですとも。」


 昨日は無礼だとあれだけ憤慨していたにもかかわらず、いざアロイスを目の当たりにしたイェルナクのこの愛想の良さはどうだ。まだアロイスが軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムになる前の何の役職も無い見習い士官だった頃にイェルナクと接していなければ、アロイスもこの愛想の良さにコロッと騙されてイェルナクは好人物だと勘違いしていたかもしれない。イェルナクは自分より目下の相手には無礼極まる尊大な態度をとるが、目上の相手にはとことん愛層が良い。良くも悪くも貴族だった。平民プレブス出身のアロイスは貴族のこういう部分が苦手とするところだった。


「そう言ってもらえると助かる。さて、お互い多忙の身のはず、早速で申し訳ないが本題に入らせていただいてよろしいだろうか?」


「もちろんでございますとも、さあこのような所で立ち話もなんです。応接室へ参りましょう。」


 二人は連れ立って応接室タブリヌムへと入った。むろん、二人はそれぞれの護衛兵に守られている。


「さて、現状認識を共有したいとのことだったが、先の手紙にも書いたように小官はアヴァロニウス・アルトリウシウス閣下より説明を受けている。それは侯爵夫人エルネスティーネとも同席していたから、侯爵夫人と小官の間での認識は共有できていると考えている。

 これ以上何を話すことがあるのかな?」


 互いにテーブルメンサを挟んで腰かけた二人は、テーブルメンサに置かれた茶碗ポクルムから立ち昇る香茶の香りの広がり始めるのを感じながら話を始めた。


「もちろんありますとも。私といたしましては閣下の現状認識と我々の認識との間に差異が無いかを確認したいのです。」


「さて、それはアヴァロニウス・アルトリウシウスアルトリウス閣下が役目を果たしておられぬと疑っておいでということかな?」


「いえいえ!そのようなことはございません。

 ですが、小さな誤解はどこにでも潜むものです。誤解の芽を摘むのは責任ある者の務めでございましょう。確認を怠るのは無用な災厄を招くだけですからな。」


「なるほど、もっともなご意見だ。」


「ご理解いただきありがとうございます。」


 アロイスが眉毛をヒョイっと持ち上げてわずかに首をかしげるようにしながら同意を示すと、イェルナクは慇懃いんぎんに頭を下げた。


「まず、貴軍はたしか、メルクリウス団とやらの陰謀によりアルトリウシアからの脱出を余儀なくされたのだったな?

 そして、アルトリウシアで起こった戦闘も、そのメルクリウス団によるもので、貴軍のはメルクリウス団に精神魔法で操られた不穏分子からの攻撃に対する防衛行動であったと…」


「その通りでございます。」


「そして、貴軍は一部の住民を“保護”し、あるいは捕虜を取って『バランベル』号で脱出し、現在はエッケ島に退避しているのだったな?」


「いかにも…ご理解いただけて幸いに存じます。」


 イェルナクは満足したというように満面の笑みを浮かべて頷いた。


「貴軍はヘルマンニ卿の船舶を通じてこれまでどおりの補給を受けながらエッケ島に駐屯し、“保護”している領民や捕らえた容疑者を引き渡すと聞いている。」


 イェルナクの顔に張り付いた笑顔はそのままだが、物腰が急に固くなり、まとう空気が冷ややかなものに替わった。


「まずは名簿を…です。実際の返還はその後になるでしょう。」


「返還する方針は、ムズク閣下も決断なされたのだな?」


「もちろんでございます。

 今はその準備作業を行っているものとご理解ください。」


「いつ、返されるのかな?」


「それはまだ…我々もエッケ島で生活するための環境を整えねばなりませぬゆえ、人手が割けず手間取っております。鋭意進行中ですが、今しばらくはかかるかと存じます。」


「ふむ、分かった。小官の理解に誤った部分は無いようだ。」


 イェルナクは緊張を解くように背筋を伸ばすと、アロイスの言葉を歓迎するように両手を広げて見せた。


「それはようございました。

 両者の間に誤解がないことを確認できた…今回の会見の一つの成果と心得ます。」


「では、もうよろしいかな?」


 このようなつまらない些事に付き合わされて内心辟易していたアロイスは胸を張り姿勢を正しながらため息を隠すように言った。だが、茶番劇の本番はこれからだった。イェルナクにとっての本題は、これからだったのである。


「申し訳ありませんキュッテルアロイス閣下、私の側にも確認したいことがございます。」


「何かな?」


 無表情になってしまうほどではないが、しかしアロイスの顔から愛想笑いは消えていた。いや、辛うじてわずかに笑みは残しているが、呆れている様子を隠しきれていない。アロイスはテーブルメンサの上の茶碗ポクルムを手に取り、口元へもっていって香茶の香りを楽しんだ。


「実際のところ、閣下や侯爵夫人マルキオニッサはどのように認識しておいででしょうか?

 我々に対する誤解は解けていると、考えてよろしいのですかな?」


 アロイスはわずかに茶碗ポクルムに口を付けるふりをすると、そのままテーブルメンサに戻してイェルナクの顔を見て応えた。


「ふむ、侯爵夫人はハン支援軍アウクシリア・ハンが叛乱を起こした…と、考えておられる。」


 それを聞くとイェルナクは眉を寄せ、顔の下半分は愛想笑いを残したまま上半分で悲しそうな表情を作る。


「おお、それは誤解です。私の役目はその誤解を解くことです。

 もしや閣下もそのようにお考えなのですか?」


 心外だ、困っている…そう言いたげな声色のイェルナクであったが、もちろんエルネスティーネやルキウスが自分たちの主張を鵜呑みにしてくれていると本気で期待していたわけではない。だからこそ、レーマにアーディンたちを送り出しているのだ。


「さてな、それは調査が進めがハッキリしよう。」


「調査はどのように行われているのでしょうか?」


「私は関わっていないので詳細は言えないな。」

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