第290話 マルクス出港

統一歴九十九年四月二十五日、午前 - セーヘイム/アルトリウシア



 サウマンディア属州領主ドゥクス・プロウィンキアエ・サウマンディアプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵からの使者としてサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアより派遣された軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムマルクス・ウァレリウス・カストゥスはアルトリウシアからの帰途に就こうとしていた。早めの朝食イェンタークルムを摂ってリュウイチに辞去の挨拶をすませ、馬車で一路セーヘイムへ…そしてセーヘイムの港で見送りに来たエルネスティーネやルキウスその他アルトリウシアの貴族ノビリタスたちと挨拶を交わし、桟橋から船へ乗り込む。


 船は来た時と同じ『スノッリ』号であり、来た時はリュウイチやアルトリウシア貴族らへの贈り物を満載していたが、今回はアルトリウシア貴族からプブリウスをはじめとするサウマンディア貴族への贈り物を満載している。このままトゥーレスタッドまで送ってもらい、そこで待っているはずのサウマンディアのスループ艦に乗り換えて帰還する予定だ。今日は風が良いそうなので、今日の日没までにはサウマンディウスに入港できるだろう。


 マルクスがプブリウスから課せられた任務はおおむね達成できた。アルトリウシア貴族から受け取ったこの多数の土産物が無かったとしても、プブリウスを満足させる報告ができそうだ。


1.アルトリウシアの現状把握。

2.特にアルトリウシアとハン支援軍アウクシリア・ハンの軍事衝突の可能性の確認。

3.《暗黒騎士リュウイチ》が戦闘に巻き込まれる可能性の評価。

4.アルトリウシアとハン支援軍アウクシリア・ハンの戦闘の可能性があればそれを抑止するとともに、平和的解決方法を模索。

5.《暗黒騎士リュウイチ》が戦闘に巻き込まれる可能性があればサウマンディウムへの移送を打診。並びに受け入れに必要な条件の調査。

6.サウマンディウム~アルトリウシア間の連絡体制強化。

7.上記を達するためサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアアルトリウシア支援部隊の増派の打診とその調整。

8.《暗黒騎士リュウイチ》の許へサウマンディア側の人間(特に女性)を送り込める可能性の確認。


 マルクスが今回の派遣でプブリウスから課せられた任務は以上である。

 ハン支援軍アウクシリア・ハンの若き軍使レガティオー・ミリタリスアーディンから聞いた話はプブリウスを震え上がらせた。アルトリウシアで叛乱を起こしたハン支援軍アウクシリア・ハンがよりにもよってアルトリウシアの目と鼻の先…いや、アルトリウシアの玄関口であるエッケ島にこもっていることが明らかになったのだ。


 多数の領民を殺されたアルトリウシアがエッケ島攻略に乗り出す可能性は決して低くはない。「ローマは剣でお返しする」…《レアル》古代ローマから引き継いだ雄々しき気風はレーマ帝国で今も息づいている。それはアルトリウシアを治めるアヴァロニウス氏族も同じだ。手の届くところに憎き仇がいて手を出さないでいると期待するのは難しい。

 だが、あんなところで戦闘をするのは、火薬庫の前で火遊びをするようなものだ。今、アルトリウシアにはかの伝説のゲイマーガメル暗黒騎士ダークナイト》その人がいるのである。その目と鼻の先で派手な戦闘を繰り広げでもすれば《暗黒騎士リュウイチ》のゲイマーガメルとしての本性を呼び起こし、《暗黒騎士ダークナイト》をして略奪と殺戮ハック・アンド・スラッシュに興じさせることにもなりかねない。

 そうなったら世界の破滅だ。


 プブリウスの息子カエソーや元老院議員セナートルのアントニウスによれば《暗黒騎士リュウイチ》は落ち着いた温厚な性格の持ち主であるそうだが、それをどこまで信用していいかはまだ未知数だ。むしろ人品じんぴんに優れている人物だからこそ、人質救出などといった大義名分に心を奪われ、積極介入してくる可能性は否定できない。戦争はだいたい欲にまみれた悪党よりも、正義感溢れる善人の方がおっぱじめやすく、のめり込んでいくものなのだ。そして悪党は損得勘定で戦うから損が出ると思えば戦をやめるが、善人は正義感ゆえに決着がつくまで戦い抜こうとする。


 サウマンディアはアルトリウシアからそれほど離れていない。むしろ近い。アルトリウシアで《暗黒騎士ダークナイト》が暴れたらサウマンディウムは只では済まないだろう。仮に物理的影響は受けなかったとしても、プブリウスは無関係ではいられない。今回の降臨は先月来のメルクリウス目撃情報と、それに対するメルクリウス捕捉作戦の過程で起こっている。その作戦の総責任者は外でもないプブリウスなのだ。

 幸い、降臨した《暗黒騎士リュウイチ》はアルトリウスが独断でアルトリウシアへ移送してしまったため、プブリウスは《暗黒騎士ダークナイト》の世話をするという想像するだけでも恐ろしい仕事を回避できた。だが、もしも降臨者に何かあれば…《暗黒騎士ダークナイト》が何かしでかせば、レーマ本国は間違いなくプブリウスの責任を追及するだろう。もっともそれは、プブリウスとレーマ帝国が生存できていればの話ではあるが…いずれにせよ、プブリウスが破滅してしまうであろう危険性は決して低くはない。


 《暗黒騎士ダークナイト》が暴れ始める事態は何としても避けねばならない。そのためにはアルトリウシアで戦闘が発生するようなことはあってはならないのだ。そのためにプブリウスは急遽マルクスを派遣した。


 そのマルクスが見たところ、アルトリウシアで戦闘が生起する可能性は低い。領民を多数殺され、さらわれたアルトリウシア側のハン支援軍アウクシリア・ハンに対する敵愾心てきがいしんは強いが、アルトリウシア貴族がエッケ島攻略に乗り出す可能性は無い…少なくとも次の春までは…マルクスはそのように見た。


 まずアルトリウシア側はエッケ島攻略に必要な兵力を抽出できない。動員可能な総兵力はエッケ島攻略に十分なものではあるが、それを動員すればアルトリウシアの復旧復興事業に致命的な影響が生じてしまう。エルネスティーネもルキウスもどちらも領民が冬を越せるように十分な住居を用意することを最優先で考えているため、冬までは大規模な軍事行動は起こしえない。そして、冬になったら今度は寒さと雪と風と波のため、エッケ島への上陸作戦は困難になる。仮にまかり間違ってエッケ島攻略の方を優先することになったとしても、十分な兵力をエッケ島に送り込むための船を用意できない。ゆえに、少なくとも春が来るまではアルトリウシア側からエッケ島へ攻撃を仕掛けることはありえない。


 そして、ハン支援軍アウクシリア・ハンの側から戦を仕掛けてくることもあり得ない。戦闘後の死体収容作業の集計結果からすると、どうやらハン支援軍アウクシリア・ハンは兵力のほぼ半数を失っている。対するアルトリウシア側はアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア現有兵力だけでハン支援軍アウクシリア・ハン残存兵力のほぼ十倍に達しており、それにセーヘイムの水兵たちやアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニア、クプファーハーフェンの兵力も加えるならば、兵力差は三十倍にも達するだろう。

 まともにぶつかれば一日待たずに全滅することは必至だ。ハン支援軍アウクシリア・ハン側からの攻撃は自殺行為でしかない。

 そして、何よりも彼らの『バランベル』号は航行能力を喪失している。泳ぎのできないハン族はエッケ島から出ることができなくなってしまっているのだ。


 双方ともに積極的な攻勢に出れない以上、両者の間で戦闘が生起する可能性は無い。その事実が判明した時点で、マルクスの任務は半分完了した。

 一応 《暗黒騎士リュウイチ》にサウマンディウムへの招待を申し出てもみたが、うまいことはぐらかされてしまった。やや強引な招待だったから用心されたのかもしれないが、現時点でサウマンディウムへの招待を無理に推すことも無いだろう。

 今は将来 《暗黒騎士リュウイチ》をサウマンディウムへ招く可能性を残すため、サウマンディウムへの招待を拒絶されない事の方が大事だ。《暗黒騎士リュウイチ》はサウマンディウムへの招待を受けなかったが拒絶もしなかった…それは将来的にサウマンディウムを訪れる可能性を否定しなかったという事でもあるのだ。

 招待したプブリウスの面目は保たれているし、将来サウマンディウムを訪れる可能性があることも確認された…それは布石を置けたという成果を残したと言って良い。


 連絡体制の強化についてはサウマンディア側の要求がほぼ丸ごと受け入れられた。ティトゥス街道を再開通させ、街道沿いの中継基地スタティオとアルビオンニア湾の灯台を使った通信網を再整備する。そのためにサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの一個大隊コホルスをアルビオンニウムへ派遣し、ティトゥス街道再開通整備工事に専任させる。その代わりに、アルトリウシア復旧支援のため一個大隊コホルスを増派する。


 現状ではサウマンディア~アルトリウシア間の通信は伝書鳩と伝令に頼っている。伝書鳩は早いがそれでも半日~一日の時間が必要で、おまけに一度に送れる情報量は限られている。しかも、途中で猛禽類等の天敵に襲われる危険性もある。そして伝書鳩は数に限りがあるし、通信を送れば船を使って代わりの伝書鳩を再び送ってもらわなければならない。鳩の帰巣本能を利用する伝書鳩の通信は発信地点は自由でも、受け手の位置は一か所(その鳩の巣のあるところ)限定の一方通行の通信手段だからだ。

 伝令は船で行き来するしかなく、潮と風の関係でアルトリウシア側からサウマンディウムへは一~二日で行けるが、サウマンディウム側からアルトリウシアへは二日以上はかかる。しかもそれは天候に恵まれた場合の話で、季節や気象条件によっては数日足止めを食らう事も珍しくない。


 しかし、ティトゥス街道が再開通し、街道沿いにある中継基地スタティオに通信兵を常駐させて手旗信号やモールス信号を使えば、サウマンディウム~アルトリウシア間の通信は一時間程度で結構な量の情報を伝達できるようになる。霧等の視界を遮るような悪天候の影響は受けてしまうが、それでも通信体制が大幅に改善されることは間違いない。


 《暗黒騎士リュウイチ》の許へ人間を…特に女性を送り込むのは、現時点では無理なようだ。不可能ではないだろうが、本人が望んでいない以上無理はしない方が良いだろう。しかし、女性を送り込む価値は当初の予想より大幅に高まったといっていい。

 何せ《暗黒騎士リュウイチ》の女はわずか三日で聖女サクラとなるのだ。聖貴族コンセクラトゥムが多ければ多いほどその地域の生産性は飛躍的に向上する。抱える聖貴族コンセクラトゥムの数はそのままその国の国力の指標でもあるのだ。

 サウマンディアはアルトリウシアに近く、しかも《暗黒騎士リュウイチ》の存在を知っている上級貴族パトリキが限られている今、サウマンディアの持つアドバンテージは大きいと言える。今から準備しておけば、これから始まるであろう聖女サクラ獲得競争で優位に立てるのは間違いない。


 エルネスティーネはリュキスカについてもプブリウスに報告はしていたが、その報告がプブリウスの許に届く前にマルクスはアルトリウシアへ向けて出発してしまった。ちょうど入れ違いになってしまったため、マルクスはリュキスカについて知らなかったが、一昨日 《暗黒騎士リュウイチ》に謁見した際にその姿を直接見ることができた。

 《暗黒騎士リュウイチ》が自ら見出した聖女サクラリュキスカ…その容姿はしっかり覚えている。要は彼女に近い女性を選べばよいのだ。肌の色は薄く、背が高く痩せていて胸が大きいヒトの女…ちょっと難しい注文かもしれないが、探して見つからないことは無いだろう。

 この情報はマルクスにとってプブリウスに対する最大のになるに違いない。

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