第1131話 クィントゥスとロムルス

統一歴九十九年五月十一日、夕 ‐ マニウス要塞・陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



「それで、リュウイチ様はどうされたのだ?」


 特務大隊コホルス・エクシミウスを率いる大隊長ピルス・プリオルクィントゥス・カッシウス・アレティウスが話の先を促すと、何がおかしいのかロムルスはニヤニヤと下卑げびた笑みに口元を歪めながら答えた。


旦那様ドミヌスがネロの野郎の言うことなんか真に受けるもんですかぃ!

 受け入れるかどうかは奥方様ドミナが決めることだっておっしゃられましてね。

 結局ネロの奴ぁ取り合っていただけず、口とんがらせて御茶汲みでさ。」


 クィントゥスの想像通り、ロムルスの話にはオチも何にも面白い要素は一つもない。しかしロムルスは可笑しくてたまらないとでも言うように頬の表情筋に目一杯力を入れた笑顔で話し続ける。多分、ロムルスとしてはネロが間抜けを晒すのがうれしくて仕方ないのだろう。


 ロムルスコイツはどうも、人を馬鹿にするのが好きなんだな……


 軍歴は決して短い方ではないにもかかわらず、いつまでたってもうだつの上がらない一兵卒のままなのは、彼が決して軍人として無能だったからではない。多分、彼のこういう性格が原因だろう。レーマ軍での立身出世は実績よりもコネクションが大きく作用する。付け届けや根回しなども大きく作用するが、それ以前に普段の人付き合いの善し悪しが最も重要なのだ。その点、ロムルスは人づきあいがどうも下手だ。決して自身は他人を悪く思っていたりするわけでもないにも関わらず、他人の陰口をやけに嬉しそうに話す癖がある。もちろん誰だって他人の陰口くらいは叩くが、ロムルスの場合は陰口の叩き方がどうも卑しいのだ。

 ロムルスは他人と仲良くするために陰口を利用する。どうせアンタだって他人の不幸が好きなんだろ? ……そういう決めつけが彼の内にあり、他人の陰口をたたくことで目の前の人の機嫌を取って仲良くなろうとしているようなのだ。が、そんなのは上手く行きっこない。

 たとえ嫌いな人の陰口であったとしても、大して深い付き合いのあるわけでもない男が心の底から楽しそうに陰口を叩き、その眼光の底に「どうせお前も俺と同じように卑しいんだろ?」というようなイヤラシサが透けて見えたとしたら、いったい誰がそんな奴相手に心を開こうとするだろうか? だからロムルスは仲の良い友人というものを作ることが出来ない。気の置けない友人というものを持つことが出来ない。ゆえに長い軍歴にも関わらず、下士官セスクィプリカーリウスにもなれずに一兵卒のままうだつの上がらない日々を過ごしていた。

 気づけばロムルスを見るクィントゥスの目に憐れみと侮蔑がにじんでいる。


「で、その後はどうなった?

 オトが呼ばれて、リュキスカ様に話は繋げられたのか?」


 要塞司令部プリンキピアでの会議やその後の陣営本部プラエトーリウムでのリュウイチの様子を報告させていたはずが、いつの間にかネロの悪口大会になっていたロムルスをクィントゥスは軌道修正させた。クィントゥスの声にはわずかに苛立いらだちがにじんでいたが、ロムルスはそれに気づきもしなければ悪びれもしない。


「ああ、そっちは結局そのままです。」


「そのまま?」


 クィントゥスが訊き返すとロムルスは話題が替わったせいで素に返ったのか、張り付くようだった笑みを緩めて比較的自然な表情に戻ると、少し思い出すように間を開けてから先ほどよりは落ち着いた様子で続けた。


「オトの奴が来て旦那様ドミヌス自ら御説明あそばされましてね。

 そんで奥方様ドミナの様子やらお伺いになられたんですが、オトの奴が言うには奥方様ドミナはまだ具合はよろしくねぇと、そんでつい今しがた赤さんにオッパイあげて、すぐに漏らしたんでオシメも替えて、そんで赤さんと一緒にもう寝ちまったってぇ話でね。

 夕食ケーナは一応寝室クビクルムにお運びするから、そん時の様子次第で言伝ことづてはしてみるけど、難しい話は明日にした方がいいとか言いやがりましてね。

 で、旦那様ドミヌスは《風の精霊ウインド・エレメンタル》様にもお訊きになられたみてぇですが、やっぱり奥方様ドミナの様子は優れねぇって答えが返されたみてぇで……」


「ふーん、それで保留か‥…」


 ただでさえ上級貴族パトリキが集結するというのに今日はサウマンディアからの要人も加わるということで、タダでさえ手持ち兵力の半分以上をルクレティアの警護のために抽出させられて人員不足に陥っていた特務大隊は残りの兵力で警備強化を迫られ、おかげでクィントゥスは要塞司令部の会議には出席できなかった。昨夜、アルトリウスに状況把握にもっと力を入れるように言われたばかりであったこともあり、ロムルスを呼びつけて報告させたわけだが、その内容は肖像画にしろ女奴隷セルウァ献上にしろ、まつりごとには関りの少ない下級貴族ノビレスにすぎないクィントゥスにとっても驚くほかないことばかりであった。


 保留になったとはいっても要は答えが先延ばしになっただけだ……これは、これからまた面倒が増えそうだな……


 予想以上の収穫に満足しつつも、その内容からは平穏とは異なる未来しか伺えないことにクィントゥスは思わず顔をしかめる。

 彼の任務はリュウイチが収容された陣営本部の警備であり、機密の保持である。外部からの侵入者を制限し、許可者以外は入れない。そして許可者であっても出入りは厳重に管理し、外部との接触は最大限に警戒する。ゆえに、彼の大隊の軍団兵レギオナリウスは例外なく要塞からの外出に厳しい制限がかけられており、外部との唯一の連絡手段である手紙は全て検閲することになっている。


 しかし、例外もある。彼にその任務を課している上級貴族らと、その直接の家臣たる下級貴族たちはクィントゥスの管理の対象にはなっていない。そしてその使用人や奴隷たちはそれぞれの主人たる貴族らの管轄下にあり、クィントゥスの警備に協力するようにと命じられた場合を除けば、クィントゥスが何らかの制限を駆けることはできなかった。もっとも、多くの下級貴族らは軍団長レガトゥス・レギオニスでクィントゥスの直接の上官であるアルトリウスとの関係を考慮し、自主的にクィントゥスに協力してくれている。問題はスパルタカウス氏族に連なる者たちだった。

 ルクレティアは元々アルビオンニア屈指の上級貴族の御姫様である上に、降臨が起きた当初から降臨者リュウイチの接遇に関して中心的役割を果たしており、その行動を制限することが難しい。これはクィントゥスではなく、彼の上官であるアルトリウスであったとしてもだ。ルクレティア自身にクィントゥスに協力する意思はあるが、それはどちらかというとルクレティアが降臨者様リュウイチのお世話をするためにクィントゥスの補佐が必要だから協力するというものであって、まずクィントゥスがルクレティアに協力する立場であるという認識が基礎になっている。つまり、クィントゥスの任務よりもルクレティアの役割の方が優先度は上なのだ。この感覚はスパルタカシウス氏族とその配下にある者たち全員が共有している認識であり、彼らはクィントゥスとその部下たちの邪魔はしないように厳重に命じられてはいるものの、積極的に協力することはしないのである。彼らからすればクィントゥスは自分を守る番犬であり、番犬の邪魔はしないが番犬に服することまではしないのは当然のことなのだった。


 このため、クィントゥスは陣営本部に住み込み、あるいは出入りする人物の多くを管理し、手紙の類も検閲しているが、ルクレティアとスパルタカシウス家の使用人たちの出入りは制限できていないし、手紙も検閲できていない。この間はそのせいでリュキスカに生理が来たことを、子爵家よりも先に遠くティトゥス要塞カストルム・ティティに住まうルクレティウスに知られてしまうという失態を犯してしまっていた。憐れクィントゥスはそのせいでアルトリウスから叱責まで受けてしまっている。おかげでリュウイチの奴隷たちと連絡をこれまで以上に緊密にすべく、今もこうしてロムルスを呼び出して報告させる羽目におちいっているわけだ。


 それが今後、更に一人奴隷が増えることになる。奴隷の主人がリュウイチならば今のネロたちと同様の関係を築いて協力させることが出来るかもしれないが、しかし今度の奴隷はサウマンディアからの回し者で、おまけにその主人はリュウイチではなく第一聖女プリムス・サクラとなったリュキスカなのだ。

 リュキスカは只の娼婦にすぎなかった頃に外出禁止を言い渡してあったのと、エルネスティーネやルキウスとの間で契約が結ばれたことで今も大人しくしてくれているが、第一聖女となった彼女の行動を制限する権限は、実はクィントゥスには無い。彼女が名実ともに聖女サクラとなった瞬間から、彼女の扱いはルクレティアと同様のものとせざるを得なくなっており、クィントゥス程度の下級貴族出身の軍人が手だしできなくなっているのだ。いや、より厳密に言えばルクレティア以上に扱わねばならない。

 実をいうとそのことに気づいているのはクィントゥス本人だけで、他の誰もまだ気づいていない。エルネスティーネもルキウスもアルトリウスも、そしてリュキスカ本人もまだ気づいておらず、ゆえに現在の体制に既に生じてしまっているほころびをつくろう必要性があることも誰も気づいていなかった。


 本当にリュキスカ様が奴隷を受け取られたら、どう扱えばいいんだ?


 奴隷献上が成立した場合、クィントゥスの最大の問題はそれである。リュキスカの扱いをルクレティアと同等以上にするのであれば、現在は過去の延長でナアナアで済ませている行動制限は修正しなければならなくなる。仮に半月以上もの間幽閉されているリュキスカがクィントゥスへの反感から協力に応じなければ、当然リュキスカの奴隷の行動も制限できなくなるだろう。そうなれば奴隷の行動次第で機密の保持は危ういものとなってしまう。いや、実は自分を制限するものはもう無いのだと気づいたリュキスカが好き勝手し始めれば、奴隷の行動云々など関係なく現在の機密保持体制は瓦解してしまうだろう。

 それを思えば今の、過去の延長でナアナアで済ませている状況はクィントゥスにとって一番都合が良かった。アルトリウスに相談してリュキスカが聖女になったことに合わせて現体制を見直すのが筋ではあるのだが、その結果として今よりも良い状況が生まれるとは、クィントゥスには想像しがたいのだ。


「どうかしましたか?」


 難しい顔をして考え込むクィントゥスの様子が気になったのか、ロムルスが声をかける。


「あっ!? ……ああ、いやなんでも無い。」


 クィントゥスはハッと我に返ると咄嗟にそう返した。が、すぐに思い直す。


「それでどうなんだ?

 リュキスカ様は女奴隷セルウァを受け取りそうなのか?」


 ロムルスはまた思い出したように下卑た笑みを浮かべた。


「ネロはともかく、俺らは新しい女奴隷セルウァを歓迎してますよ。

 来てくれりゃオトの奴の負担がだいぶ軽くなるんだ。

 奥方様ドミナだって喜ぶんじゃないですかね?」


女奴隷セルウァの正体が気にならないのか?」


 何処までも能天気な答えに呆れながらクィントゥスが問いかけると、ロムルスは悪い冗談でも聞いたかのようにせせら笑って答えた。


「ネロの奴ぁ、女諜報員エーミッサーリア女工作員スペキュラートリクスとか言って騒いでますがね?

 あんな痩せっぽちの女に女工作員スペキュラートリクスなんか務まるわけもねぇし、何かアリャすぐに取り押さえられまさぁ。

 だいたい、諜報員エーミッサーリウスなのは俺らだって似たようなもんですからね。」

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