第931話 助言者

統一歴九十九年五月九日、深夜 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



 クケッ、ケェェェェェーーーッ!!


 グルグリウスの手の中で激しく藻掻もがき続けていた『火炎小竜』サラマンダーは、小さく消え入りそうな悲鳴を上げると大きく身をよじった。そして突如その身を大きな炎に変じて燃え上がらせると、次の瞬間には跡形もなくペイトウィンの視界から消え去っていた。『火炎小竜』の最期の燃焼に酷い衝撃を受けたペイトウィンの視線は、『火炎小竜』が消え去った後のグルグリウスの手に釘づけになってしまう。


 『火炎小竜』サラマンダーはトカゲのような見た目をした火属性の魔法生物であるが、精霊エレメンタルに分類するか妖精に分類するかは昔から意見が分かれていた。その身は炎に包まれているが肉体は確かに存在し、先ほどグルグリウスがやって見せたように(その炎の熱に耐えられさえすれば)掴むこともできるし物理的な攻撃でダメージを与えることも出来る。だがそれでも現在、ヴァーチャリア世界において妖精ではなく精霊に分類されるのは、このように死んでも一瞬で燃え尽きて死体が残らないがゆえであった。


 知識としてはそれくらいのことは知っている。目の前で『火炎小竜』が戦い、散っていったのを目撃したのは今回が初めてではない。にもかかわらずペイトウィンがこうも衝撃を受けたのは、別に彼がロマンチストだったことが理由ではなかった。『火炎小竜』が彼自身によって召喚されたモンスター……つまり眷属であったことと、『火炎小竜』があまりにも近くに居たことが原因である。

 例外はあるが基本的に召喚したモンスターは召喚主の眷属という位置づけになる。召喚主と眷属は魔力で繋がっており、眷属は召喚主から魔力を得る代わりに従属することとなる。だが誰でも魔法を使えるようにするための魔導具マジック・アイテムであるスクロールで召喚したモンスターの場合、召喚モンスターを使ようにするため、召喚主との魔力のつながりは形成しないか、あるいはかなり弱い繋がりしか形成しないように術式が組まれている。でないと魔力の乏しい人間が使用した際、召喚モンスターに魔力を食われて魔力欠乏に陥り、最悪の場合死んでしまう危険性があるからだ。実際、スクロールを用いて召喚されたグルグリウスの場合も召喚主であるペイトウィンとの間に魔力のつながりは無かった。

 しかし、『火炎小竜』のような精霊エレメンタルの場合、召喚主との魔力のつながりを完全に遮断してしまうとまともに活動できなくなってしまう。肉体を持つモンスターならば自前の魔力があるし魔力の貯蔵も出来るが、肉体を持たない精霊は何らかの媒体を介するのでないかぎり魔力を貯蔵することも出来ない。何らかの魔力源から魔力の供給を受けない限り、ただ存在するだけで魔力を消費し続けて瞬く間に消滅してしまうからだ。

 『鬼火』ウィル・オ・ザ・ウィスプのように一回の突撃で自爆するだけの召喚モンスターならそれでもかまわないが、召喚主に代わって戦ったり、あるいは召喚主を継続的に支援する目的の召喚モンスターの場合はそれでは困る。ゆえに、『火炎小竜』の召喚スクロールの術式は召喚主との間に最小限度の魔力の繋がりを形成するように組まれていた。


 魔力は生命エネルギーそのもの……魔力が繋がっているということは命が繋がっているのと同じである。いわば分身そのものであり、ダメージを受ければ無事では済まない。まして物理的な距離が近くなれば互いの影響も大きくなる。

 目の前で己の半身を滅せられ、何の衝撃も受けずに済むわけが無かったのである。まして彼は本来、召喚モンスターなど使わず自身の攻撃魔法をメインに戦うマジック・キャスターだ。支援してくれる仲間がいなかったので仕方なく召喚スクロールを使ったにすぎず、召喚モンスターを使った実戦経験はほとんど無かった。


「ホエールキング様!!」


「くはっ!ハッ!?」


 『火炎小竜』を殺されたショックで過呼吸になっていたペイトウィンはエイーの叫び声にハッと我に返った。その目に映ったのは先ほど握りつぶした『火炎小竜』の代わりにペイトウィン本人を捕まえようと大きく広げられたグルグリウスの右手だった。


「クソッ!?」


 咄嗟に大きく仰け反って避けると、先ほどまで自分の頭があった空間をグルグリウスの巨大な腕がすり抜けていく。大きくバランスを崩したペイトウィンは地面に片手を突いて辛うじて身体を支えると、エイーたちのいる方へ向かって駆けだした。


「おっと、あと少しというところで……残念。」


 余裕を取り戻したグルグリウスは本心ではそう思ってなさそうな軽さでそう言うと、その巨大な身体を持て余しているかのように億劫おっくうそうに身をひるがえし、ペイトウィンの逃げ込もうとしている森の方へ向き直る。


「まだ逃げようというのですか?

 シュバルツゼーブルグから貴方様方がここまで逃げてきた時間と、吾輩わがはいが追い付くまでの時間を比べてごらんなさい。

 とても逃げきれないと簡単にわかるでしょうに!」


 慇懃無礼いんぎんぶれいを絵に描いたような挑発的な物言いだったが、言われたペイトウィンの側にはその挑発に乗るだけの余裕はなかった。まだ衝撃の余韻よいんが残る頭を左手で押さえながら、右手に持った『火の神の杖』ヴァルカンズ・スタッフで払うように茂みをかき分けつつ間道から森へ分け入る。


「ホエールキング様!早く!!」


 エイーが叫んで呼ぶがペイトウィンの脚は思うように進まなかった。

 茂みを抜けると足に絡まるような植生は無いが、代わりに体重の軽いペイトウィンでさえ脚が沈み込むような柔らかな腐葉土の地面だ。柔らかすぎる地面と落ち葉の下に隠れた木の根に足を取られながら、エイーの呼ぶ方へ藻掻もがくように進み続ける。


「た、助けてくれエイー、気持ち悪い!

 吐きそうだ!」


 『火炎小竜』がグルグリウスの周辺に放った炎のせいで逆光になり、エイーからは良く見えてなかったが、ペイトウィンの顔は血の気が引いて真っ青になっており、額には冷たい汗がいくつもの粒になって浮かんでいる。


「はぁぁ~大変だ、いつの間に!?」 

 

 ペイトウィンの異変に気付いたエイーはペイトウィンがグルグリウスによって何らかの状態異常にされてしまったと勘違いし、慌てて支援魔法を繰り出した。


「えっと……大地よ、そのいつくしみをもっての身より不浄を取り除け……キュア!

 ……ああっ、効いてない!?

 毒とかじゃないのか。えっとそれじゃ……

 大地よ、新たなる命芽吹めぶかしたまうその恵みをもっての者にとりつく悪しき意図を霧散せしめよ、ディスペル!!」


 エイーは治癒魔法に特化して魔法を覚えた回復役ヒーラーだが、使用する回復魔法は基本的に精霊エレメンタルの力を借りる属性魔法である。大聖母フローリアが使うような無属性の魔法や光属性、闇属性といった魔法は使えない。そして属性魔法で治癒魔法というと地属性か水属性が基本で、エイーも地属性の回復魔法を得意としていた。なので、無意識に治癒魔法を使用しようとすると自然と地属性の治癒魔法を使ってしまう。

 『勇者団』ブレーブスは《地の精霊アース・エレメンタル》によって地属性の魔法を封じられているような状態だったが、温情なのか気まぐれなのか、それとも単に何らかのミスなのか、封じられている筈の地属性魔法の中でも治癒魔法だけは普通に使うことが出来た。だが、それでもペイトウィンの症状は改善しない。


「効果が無い!?

 そんな、効いてるはずなのに……」


 最初、ペイトウィンは何らかの毒に侵されたのかと思い浄化魔法を唱えた。だが効果が無かった。だから今度は何らかの能力低下デバフ魔法を使われたのかと思い、解呪魔法ディスペルを唱えたがやっぱり効果が無い。魔法は確かに発動している感触はあるのに何の反応も無いことにエイーは焦った。


「ルメオの旦那!」


 予想外の敵、予想外の事態にエイーは困惑を隠せない。そのエイーに少し離れたところからクレーエが叫ぶ。


「ホエールキングの旦那ぁ従魔を殺されてショックを受けたんだ!

 気力を上げて、魔力の回復を!!」


 振り返ったエイーはクレーエの言葉に耳を疑った。思わず目を見開いてクレーエを凝視する。

 エイーは治癒魔法の専門家だ。体調を崩した者、怪我を負った者を見て、症状を判断し、適切な処置を選択し施す……そのことにかけてはエイーは『勇者団』ブレーブスで最も優れている。ムセイオンを見渡してもエイーに匹敵する治癒者は数えるほどしかいないだろう。つまり世界ヴァーチャリアで屈指の実力者だ。

 それなのにそのエイーに彼の専門分野について意見する者が居る。


「何でクレーエお前にそんなことがわかるんだよ!?」


「いいから早く!!」


 専門家の自分でも気づいていない事を指摘してきたのはクレーエだった。彼は専門家どころか全くの門外漢。ただの盗賊である。医療の知識どころかまともな教育を受けたかどうかさえ怪しい辺境の盗賊だが、しかし言われてみれば確かにそれが正解なように思えてくる。

 エイーはペイトウィンの方へ向きなおすと杖を構えた。


「水よ!彼の者の体内を巡る血よ、滞ることなく気をいきわたらせ、魔力を満たせ!『循環増進』カーディオ・ブースト!!」

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