第930話 状況急変

統一歴九十九年五月九日、深夜 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



 しまった!!

 見られたか!?


 まさか無関係な人間など居るはずが無いと思っていた深夜の森の中から多数の人間の声が聞こえたことにグルグリウスは愕然とした。人に見られぬように……それが《地の精霊アース・エレメンタル》からの指示だったのに、《地の精霊》から初めて貰った仕事でいきなりの大失敗である。


 何故、どうしてこんなところに人間が?


 こんな真夜中、最寄りの中継基地スタティオまで半マイル(約一キロ)以上離れている森の中に人間がいるなんて思いもよらない。仮に旅人が野宿するにしても、起きているなら焚火くらいはしているはずだが、グルグリウスがここに来るまでの間に空を飛んだ時もそんな光なんか周囲にまったく見えなかった。 


 理由はどうでもいい。

 見られた以上はどうにかせねば……


 一人二人に見られたぐらいなら即座に逃げ隠れするだけでも十分だ。見間違い、勘違いと相手側が勝手に合理化してくれる。実際、グルグリウスはインプだった時にシュバルツゼーブルグで手紙を運ぶ姿を一人の女性に目撃されてしまったが、即座に姿をくらましたことで大きな騒ぎにならずに済んだ。あの後、誰もグルグリウスを追いかけては来なかったのだから、おそらくインプグルグリウスの姿を目にして悲鳴を上げた女の見間違いや勘違いということで片付いたのだろう。

 しかし今、森の中にはそこから見えるだけで十人以上の人間がいる。しかもグルグリウスに確実に気づいており、鉄砲の準備までし始めてしまった。


 面倒なことになった。

 気は進まんがいっそ始末してしまうか……


 脆弱なインプだった頃なら思いもよらないことである。だが今は《地の精霊》から貰った強大な魔力があり、グレーター・ガーゴイルというインプとは比べ物にならないほど強力な存在へと進化を遂げたのだ。たとえ武装していようと人間の十人や二十人をほふるくらいわけはない。


 問題はそれで済むかどうかだ。


 今、見えている人間は十人かそこらだ。だが彼らはどこから現れた?事前に空からざっと見た限りではこの周囲に野宿している人間などいなかったはずだ。だとすればこの人間たちはずっと火も使わずに森の中に潜んでいたか、あるいは最寄りの人家から駆け付けたということになる。

 最初から潜んでいたにしろ最寄りの人家から駆け付けたにしろ、今まで彼らの存在に気づけなかったという事実は変わらない。だとすれば、駆け付けたのは彼らだけなのか?他にも潜んでいるのではないか?

 他に伏兵がいるのならここで戦い、彼らを一掃するのは逆効果かもしれない。彼らを始末している間に、近くに潜んでいる他の誰かに見つかれば、彼らを全員始末できたとしても問題はそこで解決しないだろう。

 森の中に潜んでいる者がいないかどうか、確認している間に第四中継基地から騒ぎに気づいたレーマ軍が駆け付ければ収拾がつかなくなってしまう。《地の精霊新たな主人》はレーマ軍に協力するためにペイトウィンの捕縛をグルグリウスに命じたのだ。ここでレーマ軍と一戦交えるようなことになれば《地の精霊》の期待を完全に裏切ることになってしまうに違いない。


 クソ、ここは一旦引くか!?


 せっかく《地の精霊の王プライマリ・アース・エレメンタル》の眷属にしてもらったのに、膨大な魔力を貰いグレーター・ガーゴイルへと進化を遂げたのに、人間どもを圧倒するだけの力を手に入れたのに、こんな情けない失敗をするとは思ってもみなかった。いや、むしろ力を持ってしまったがゆえの油断があったのかもしれない。

 グルグリウスが歯噛みしながら考えあぐねていると、森へ逃げ込んだエイーが駆け付けた人間たちと合流しはじめた。エイーは新手の人間たちに迎えられ、曳いていた馬を次々と手渡し、人間たちが馬をどこかへ連れて行くのを見送っている。


 んん?ひょっとして……


「ホエールキング様!

 クレーエたちと合流しました!!

 ホエールキング様も、早く!!!」


「先に行ってろエイー!!」


 まさかとグルグリウスが気づいた直後、エイーが叫び、ペイトウィンが答えた。途端にグルグリウスは脱力した。


「なぁ~んだぁ、お仲間だったのですかぁ?」


 《地の精霊》はに見られることを禁じたのだ。彼らが無関係な第三者なら姿を見られたのは失敗だが、しかし関係者だというのなら話は違ってくる。見られても問題ないし、戦うことも許されるだろう。殺していいかどうかは特に聞いてなかったが、殺してはならないとも聞いていない。殺すなと言われたのはあくまでもペイトウィンに対してだけだ。

 駆け付けたクレーエたちが無関係な人間ではなかったと気づき、ホッと胸を撫でおろしたグルグリウスだったが、そのつぶやきは人間たちには別の意味に聞こえた。

 ただでさえ巨大化し、姿も彼らが本の挿絵などで見た悪魔そのものになったグルグリウスが、身体の変化に合わせてより低く、より太く、喉の奥でゴロゴロとうがいでもするかのような異音の混ざった声で、どこか嬉しそうに言ったのである。聞いた者の耳には地獄の底から響いてくるような不吉なのろいの言葉のように受け止められた。


 お、俺たちが仲間だと知って喜んでる!?


 俺たちのこと、餌だと思ってるんだ!!


 ヤバいぞ、アイツ俺たちを食っちまおうと舌なめずりしてやがる!?


 森の中でグルグリウスににらまれた盗賊たちは震えあがった。鉄砲に弾を込める手が情けないほど震え、上手く装填できない。いや、中にはグルグリウスの姿に気を取られ、完全に手が止まってしまっている者もいた。


「どこ見てやがる化け物!?

 お前の相手はこっちだ!!」


 森へ完全に注意をとられていたグルグリウスはペイトウィンの放った爆炎弾エクスプロージョンをモロに食らった。派手な音を立ててグルグリウスの顔面で、胸で、腹で、次々と魔力の爆発が起きる。森の中からは人間たちの「おおっ!」「やったか!?」という感嘆と期待の声があがった。グルグリウスは突然襲われた衝撃に「うぷっ!?」と驚きの声を上げて若干りはしたものの、しかしペイトウィンが期待したようなダメージは一切受けていなかった。


 ヴッ、ヴァララ、ヴァラヴァラヴァラヴァラッ!!


 爆発の余韻よいんが収まるやいなや、グルグリウスはまるで洞窟の底から何かが溢れてくるような、この世のものとは思えぬ声で笑う。一瞬、クレーエたちは悪魔の断末魔かとも期待したが、そのグルグリウスの異様な声が笑い声だと気づくと彼らの表情はすぐに絶望へと変わった。


「そのような魔法、吾輩わがはいには効かぬと申しあげましたでしょう!?」


 信じられない……グルグリウスを見上げるペイトウィンの顔に浮かんでいた表情はまさにそんな感じだった。

 攻撃魔法は確かに直撃した。奇襲だった。魔導具『火の神の杖』ヴァルカンズ・スタッフあらかじめ込められた無詠唱の魔法とはいえ、火属性魔法の中ではそれなりに強力な魔法である。命中した時の衝撃力は野戦砲ほどもあり、爆発力は手投げ爆弾ほどもあるのだ。もちろん、火炎による焼夷しょうい効果もある。それを三発も、防御の弱そうな部位にまともに浴びたのにダメージを受けた様子が全くない。


 ホントに……ホントに効いてなかったのか!?


 グルグリウスが現れるたびに、ダメージを負った様子が無いことにペイトウィンは内心で焦りを感じていた。グルグリウスが強力なモンスターであることはもちろん気づいていたが、多少のダメージを与えるくらいはできるはずだと思っていた。ダメージを負った様子が無いのは、おそらく回復してから追いかけてきたのだろうと予想していたのだ。


「くっ……『火炎小竜』サラマンダー!!」


 ペイトウィンが『火炎小竜』たちに攻撃を命じると、それまでグルグリウスの周囲を旋回しながら森に火を放ち続けていた『火炎小竜』たちはギュンッと飛行進路を変え、一気にグルグリウスに向けて突撃する。


「フンッ!」


 しかしグルグリウスは無造作に左腕を払い、左から突撃してきた『火炎小竜』を裏拳の一撃でほふると、右から突撃してきた『火炎小竜』を右手で捕まえてしまった。右手に掴まれた『火炎小竜』は苦しそうに藻掻もがくが、その身体を構成する炎もグルグリウスの手を焼くことはできず、脱出することすらできそうにない。


「ああっ!?」


 あまりにもあっけなく『火炎小竜』が無力化されたことにペイトウィンは情けない声を上げた。

 そのペイトウィンに気づいていないのか、それとも気づいていながら無視しているのか、グルグリウスは左腕を振り下ろして間近に迫っていた『鬼火』ウィル・オ・ザ・ウィスプたちを一挙に殲滅してしまう。『鬼火』を始末するために振り下ろされた拳はその勢いのまま地面に叩きつけられ、轟音とともに砂塵が飛び散った。


「うぷっ!?」


 飛んで来た小石にペイトウィンは思わず身体を捻って外套で身を守る。砂埃が収まって恐る恐る目を開けたペイトウィンが見たものは、すぐ間近に迫ったグルグリウスの顔だった。いや、グルグリウス自身は元いた場から半歩ほどしか前に出ていなかったのだが、その巨体で半歩踏み出し、ペイトウィンの顔を覗き込むように身を屈めればそれだけで距離が詰んでしまったのだ。


「ヒッ!?」


 情けない悲鳴を上げて仰け反るペイトウィンに、グルグリウスは静かに右手を突き出す。その手にはペイトウィンが召喚した『火炎小竜』が握られていた。


「吾輩にこの程度の魔法は効きませんよ、ホエールキング様?」


 グルグリウスはそう言いながら、掴んでいた『火炎小竜』を握り潰して見せた。

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