第932話 合流

統一歴九十九年五月九日、深夜 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



 魔法を受けたペイトウィンは苦悶の表情を深め、一瞬立ち止まると頭を押さえていた左手を今度は胸に当て、苦しそうな様子を見せた。『循環増進』カーディオ・ブーストの影響で動悸がするのだ。

 カーディオ・ブーストは心肺機能を強制的に高めることで身体能力と魔力の回復を継続的に増進する支援魔法である。元々ゲーマーが使っていた無属性継続型回復魔法リジェネレーションをヴァーチャリア人にも使えるようにしようと研究を重ねた結果、《水の精霊ウォーター・エレメンタル》の協力を得ることで一定の成功を納めた水属性回復魔法だ。実用化にこぎつけたのは戦後になってからであり、比較的新しい魔法である。

 多くの状況下で高い効果が見込めるのだが、一時的に身体能力や魔力を高めるものの被術者のスタミナを過度に消耗してしまうことにもなる。また心肺機能に負担がかかるため人によっては動悸に苦しむこともあった。ペイトウィンの場合は残念ながら相性が良くなかったらしいが、エイーの見たところ血色の方は急速に回復しつつあった。


「ホエールキング様!!」


 エイーの呼びかけにペイトウィンは右手を掲げ、握っていた『火の神の杖』ヴァルカンズ・スタッフごと大きく振って大丈夫だとジェスチャーで示す。苦しそうではあるが本人も回復効果自体は実感しているらしい。


「ホエールキング様、早く!!」


 エイーが重ねて促すと立ち止まっていたペイトウィンは意を決したように両手を大きく振ってズンズンと歩き始めた。

 もし、この間にグルグリウスがペイトウィンの身柄確保を優先していたらペイトウィンはとっくに捕まっていただろう。だがグルグリウスはペイトウィンよりもまず自分の周りの火災を消すことを優先していた。

 ペイトウィンはその気になればいつでも捕まえられる。こんな森の中を人間が徒歩で突っ切るなんて、どうせ遠くまでは行けっこない。実際、まだ目の届くところで何やらもたついているようだ。だが火災は放置すれば乾ききった夜風に煽られて燃え広がり、対処のしようが無くなってしまう。それにペイトウィンを捕まえてからではペイトウィンが消火作業の邪魔になってしまいそうな気もしていた。


 まったく、何だってこんなに無遠慮に火を放てるのか……


 グルグリウスはモタモタしているペイトウィンたちを尻目にまずは六体のマッド・ゴーレムを一体ずつ順番に作り上げると、下草の消火作業を割り当てた。マッド・ゴーレムたちが燃え上がる下草や茂みを叩き、踏みつけて消化していくのと同時に、グルグリウス自身は枝葉まで引火してしまった立木を巨大な図体と膂力りょりょくにモノを言わせてバキバキとし折っていく。

 その様子に盗賊たちはクレーエから命じられた鉄砲の準備の手を止め、思わず見入ってしまっていた。


すげぇフーヒトバー……」

化け物だモンスタ……」

悪魔だディーモン本物の悪魔だぜエヒタ・ディーモン!?」

神様アフ・ト・リーバー・ゴット……」


 《森の精霊ドライアド》に言われた通りにエイーに助言したクレーエは盗賊たちの手が止まっていることに気づいて声を荒げる。


「お前ぇら!ボサッとしてねえで手ぇ動かせ!!

 何もしねぇままいいようにやられちまうぞ!?」


 先に馬を曳いて山荘へ向かった盗賊たちはともかく、残った方の盗賊たちはこれからクレーエの指示通りに動いてもらわねばならないのだ。


「あんなのとやり合うつもりかよ!?」

「勝てっこねぇよ!!」

「こんな銃、通用すんのかよ?!」


「うるせぇ!

 お前らにアイツに勝つことなんか期待するもんか!!

 牽制だけ出来りゃいいんだよ!

 いいから弾込めろ!!」


 《樹の精霊トレント》を目の当たりにしただけで正気を失いかけたエンテはともかく、曲がりなりにもクレーエが右腕と頼むレルヒェまでもが他の盗賊たちと共に取り乱していることにクレーエは焦りを感じていた。


 無理もねぇか……

 レルヒェの奴はアン時眠っちまったせいで《樹の精霊トレント》の姿も《森の精霊ドライアド》の姿も見てねぇ。

 初めて目の当たりにしたんじゃ取り乱さねぇ方がおかしいってもんだ。

 かといってエンテの奴、化け物目にすんのぁ初めてじゃねぇ癖に……

 所詮はカタギ崩れの素人か、イザってぇ時にすぐ腰抜かしやがる。

 アイツぁあんま頼りになんねぇな。


 クレーエが盗賊たちの中で一番冷静を保っていられるのは、やはり経験があったからこそだろう。今目の前にいる化け物たちよりずっと巨大な《樹の精霊》たちに二度も囲まれ、『勇者団』ブレーブスが手も足もでなかった《森の精霊》と対峙した経験は、今まで物語の中でしか知らなかった化け物との遭遇に対して多少の耐性をクレーエに植え付けていたのだ。

 対して盗賊たちは化け物たちを目の当たりにしたのは今回が初めてである。その存在感に圧倒され、正体を失ってしまったとしても致し方のないことであろう。実際、クレーエだって《森の精霊》に殺されそうになった時は正気じゃなかった。

 せめて事前に何らかの情報を与えることが出来ていれば多少は話も違っていたかもしれないが、当然ながらクレーエは盗賊たちに何も教えてやっていない。どうせやれ《森の精霊》がだの《樹の精霊》がだの言ったところで盗賊たちが素直に信じるはずもなかったし、クレーエ自身も現実として受け止めきれていない部分もあったのだ。それに何といってもクレーエ自身、『全てを癒す女神の杖』スタッフ・オブ・パナケイアを通じて《森の精霊》からエイーを助けに行くように言われた時、相手があんな化け物だとは教えられていなかった。


 クレーエに命じられて盗賊たちは慌てて弾込め作業を再開するが、しかし彼らも状況に順応できたわけではない。


「マジかよクレーエ!?」

「あんなのに手ぇ出して大丈夫なのかよ!?」

「俺たち捨て駒にして自分だけ逃げようって魂胆じゃねえだろうな!?」


「逃げたきゃ逃げたってかまわねぇぜ!?

 お前ら一人で逃げて逃げ切る自信があんならなぁっ!」


 泣き言を繰り返していた盗賊たちはそれで口を閉ざした。見開いた目でクレーエの方を見、次いでグルグリウスやマッド・ゴーレムたちを見据えて弾込め作業に集中し始める。

 あんな化け物たちを相手に戦って勝てるとは思えない。そもそも生き残れる自信が無い。だがクレーエはレーマ軍相手の戦いで最小限の犠牲で配下の盗賊団を戦場から離脱させた実績のある男だ。同じ日の同じ場所での戦いで、他の部隊はほぼ壊滅したというのに……それがあの化け物相手でも同じように生き残れるのかは分からないが、今の彼らにとってクレーエが唯一の希望である点は揺るぎようがない。ならば、今はクレーエの指示に従ってみるしかなかった。

 盗賊たちがようやく落ち着き始めたところでクレーエはエイーに話しかける。


「ルメオの旦那!

 盗賊たちアイツらに夜目が利くようにしてやっておくんなせぇ。」


 エイーはある程度近づいてきたペイトウィンを迎えに行き、肩を貸して支えながら丁度戻ってきたところだった。今、森の中を照らしている火災の光は急速に弱まりつつあったし、火災の明かるさに一度慣れてしまった盗賊たちの目は、火災が消えれば、あるいはこの場を離れてしまえば、暗闇に慣れるまでしばらく時間がかかるだろう。それまで彼らは満足に戦うことはおろか逃げることも出来ず、むしろ足手まといになってしまうに違いない。


「あ、ああ分かった。」


 エイーはそう答えると、肩で息するペイトウィンを支えたまま立ち止まり、自由になる方の手に杖を持ち替えて呪文を唱え、弾込め作業を続ける盗賊たちとクレーエに暗視魔法をかける。


「おお、すげぇ」

「見えるようになったぜ!?」

「まるで昼みてぇだ!」


 盗賊たちが控えめな歓声を上げるのを耳にしながら、エイーはクレーエに問いかけた。


「おいクレーエ!

 お前、何をどこまで知ってる!?

 何でここに来た!?

 なんでホエールキング様の症状を看破できたんだ!?」

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