大水晶球

第400話 招かざる客

統一歴九十九年五月五日、午後 - ケレース神殿テンプルム・ケレース/アルビオンニウム



「何でアイツかこんなところに!?」


 アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムセプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥスは馬車の窓から神殿テンプルム前の車回しで一行を出迎える人たちの中に、ハン支援軍アウクシリア・ハン軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムイェルナクの姿を見つけ目を見張った。

 サウマンディア軍団レギオー・サウマンディア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムやサウマンディアの神官らと共に満面の笑みを浮かべて待ち構えている。ハン族特有の明るい毛色の毛皮ファー月桂冠ラウレアの様に巻いた丸い帽子にハン支援軍アウクシリア・ハンの不格好な革鎧をまとい、その上からレーマ風に長衣トガを巻き付けたホブゴブリン…一人だけ浮き上がった珍妙な格好は、しかし見間違いようもなくイェルナク本人だった。

 イェルナク本人は満面の笑みを浮かべているが、周囲のサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの連中の表情はどこかぎこちない。おそらくは彼らにとってもイェルナクがここにいるという状況は不本意なのだろうが、一体全体何がどうしてイェルナクがこんなところにいるのか、セプティミウスには全く想像すら及ばなかった。


 しかし、セプティミウスの混乱など関係なく車列は神殿テンプルムへと進む。そしてセプティミウスの馬車は正面玄関オスティウムの前で止まり、従者によって踏み台が用意され戸が開かれた。


アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥム、セプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥス様ぁーーっ、御来着ーーっ!」


 ふぅーーーーっ


 名告げ人ノーメンクラートルの声が響き、セプティミウスは天井を見上げて大きくため息をつくと、意を決して馬車から降りた。


アヴァロニウス・レピドゥスセプティミウス殿、少し遅れたようですな?」


ウァレリウス・サウマンディウスカエソー伯爵公子閣下、閣下がおいでとは思いませんでした。

 到着は明日かと思っておりましたが…」


「ルクレティア様が聖女サクルムになられたと、そしてアルビオンニウムへ参られると伺ったものでね。

 是非、ご挨拶申し上げねばと思い、予定を一日早めさせてもらったのだ。」


 セプティミウスの眉がピクリと動いた。カエソーがイェルナクの前で「ルクレティア様が聖女サクルムに」と言ったという事は、イェルナクに既に知られたということを暗示している。


「そうでしたか。では歩兵大隊コホルスも?」


「うむ、今はまだ港で荷下ろしをしているところだ。」


「なるほど…もちろん、歓迎しますとも。

 サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの応援は頼もしい限りです。」


 出迎えの中で最上位者であるサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスカエソーがいの一番に歩み寄り、セプティミウスに挨拶をする。次いで、軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムのマルクスが歩み寄り、いかにも親密そうに両手で握手を交わす。


「またお会いできて光栄です、アヴァロニウス・レピドゥスセプティミウス殿。」


「こちらこそ、ウァレリウス・カストゥスマルクス殿も御変わりなく。

 ところで…」


 顔に笑顔を張りつかせ、両手で堅い握手をしながらセプティミウスはマルクスに顔を近づけ、二人は押し殺した声で早口で話しはじえめる。


「何でアイツイェルナクがここにいるのですか!?」


「それは本当に申し訳ない。話の流れでこうなってしまったのだ。」


「まさか、アイツイェルナクに降臨の事を?」


「申し訳ない。知られてしまったのだ。」


「どうしてそんなことに!?」


「話せば長くなる。後で話す。」


「どこまで知られているのです!?」


「ルクレティア様が聖女サクルムになられたことまでだ。」


「!?」


 それではすべて知られてしまっているのではないか…


 セプティミウスは嫌な予感が的中し、暗澹あんたんたる気持ちになった。


「えーっ…オホンッ!

 ウァレリウス・カストゥスマルクス殿とアヴァロニウス・レピドゥスセプティミウス殿がそこまで懇意こんいとは存じませんでした。

 しかし、そろそろイェルナクにもご挨拶をさせていただいてよろしいでしょうか?」


 イェルナクの横槍を受け、マルクスとセプティミウスは無言のまま互いの笑顔を見つめ合い、一拍置いてイェルナクの方へ振り返った。


「これはイェルナク殿、申し訳ない。

 アヴァロニウス・レピドゥスセプティミウス殿との再会を喜ぶあまり、貴殿に無礼を働いてしまったようだ。どうか許されよ。」


「いえいえ、謝罪されるほどではございません。

 私の方こそ折角の出会いを邪魔したようで申し訳なく存じあげておりますとも。

 さて、アヴァロニウス・レピドゥスセプティミウス殿、このようなところでまみえることが出来ようとは思ってもおりませんでした。

 聖女サクルム様の警護役、ご苦労様と存じます。」


 イェルナクの態度はいつにもまして慇懃いんぎんかつ尊大であった。

 五月三日の夕刻にサウマンディウムへ派遣されるアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムテルティウス・ウルピウス・ウェントゥスに拾われ、船への同乗を許されたイェルナクはそのままサウマンディウムへ移動。昨日五月四日にプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵との会見を果たした。そしてその席上、イェルナクはメルクリウス団の陰謀説を開陳するとともに『バランベル』号の修理等の支援を要請している。

 会見の結果はイェルナクの期待に反して思わしいものではなかった。セーヘイムの船大工では修理できないとされた『バランベル』号については、サウマンディウムから一応船大工を派遣して様子を見させることは了承してもらえたものの、その他はイェルナクにとっては不可解なほど手応えが無く、暖簾のれんに腕押し、ぬかに釘といった調子で切るカード切るカードすべて受け流されてしまう有様だった。

 プブリウスからすれば部下やエルネスティーネらアルビオンニア貴族から既に報告を受けていたことをそのままイェルナクの口から聞かされているだけだったので、当然と言えば当然の反応であっただろうが、サウマンディアとアルビオンニアがそこまで堅い結束で結ばれているとは思っても見なかったイェルナクにとっては理解に苦しむ反応であった。


 プブリウスに一縷いちるの望みをかけていたイェルナクは絶望の淵に立たされてしまった。アルビオンニアにはハン支援軍アウクシリア・ハンの存続に力を貸してくれそうな味方は既になく、むしろいつハン支援軍アウクシリア・ハン討伐に踏み切ってもおかしくない状況だ。チューアに伝手つては無いし、南蛮はハン支援軍アウクシリア・ハンにとって不倶戴天の敵とも言える存在な上、レーマ帝国にとっても敵である南蛮と下手に結べば今度こそ叛乱の汚名をそそげなくなってしまう。レーマ本国は遠すぎるし、残る手立てはサウマンディアに仲介を頼むほかなかったのである。

 だが成果らしい成果もあげられず、失意のどん底に突き落とされたイェルナクに、しかし思わぬ福音がもたらされた。

 外交儀礼上仕方なく招待された酒宴コミッサーティオの席上、酒に酔ったプブリウスがうっかり秘密を漏らしてしまったのである。


 アルビオンニウムで降臨があった。アルトリウスがその日のうちにプブリウスに報告に来た。降臨者は今、アルトリウシアに匿われているが、それはプブリウスも承知の上であり、サウマンディアから正式な使者を送って既に挨拶も済ませた。レーマ本国へもムセイオンにも報告済みで、謀反だの陰謀だのはない。ただ、市民が混乱することを避けるため、降臨があったことは秘匿している。だからイェルナクにも今まで言ってなかった。今日受けた報せによれば、ルクレティア・スパルタカシアに聖女サクルムになった。


 その事実はイェルナクが唱えてきたアルビオンニア侯謀反の陰謀説を根底から否定するものではあったが、だが同時にハン支援軍アウクシリア・ハンがメルクリウス団の陰謀に巻き込まれたのだという主張を裏付ける事実でもあった。イェルナクが思いついたでっち上げの陰謀論が、ウソから出た真になろうとしていたのである。

 イェルナクはそこからプブリウスにすがり、あるいは挑発してサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアのアルビオンニア派遣に同行する許可を取り付けたのだ。プブリウスやサウマンディア貴族たちはこれを拒み切れなかった。

 隠し事をしていた…その事実は多少なりとも後ろめたさにつながる。イェルナクはそこを突いたのだ。身分も立場も弱い蛮族ではあったが、過酷な状況に陥りながら真実を知ることができず、それゆえに必要以上に困難を被っている。そのように不誠実を責められては、酒に酔って理性が多少衰えていたこともあってプブリウスも強く出きれない。


 俺はお前たちが隠していた真実を知ったぞ!


 それはイェルナクに自信を取り戻させた。そして実際にこうしてプブリウスの説得に成功し、アルビオンニウムへの上陸を果たしたことで、その自信は一層強まっていた。

 イェルナクはチャンスを掴もうとしていた。


 現地へ、アルビオンニウムへ行ってしまえば、メルクリウス団の陰謀を裏付ける証拠を見つけでっちあげることができる!それに成功しさえすれば、ハン支援軍アウクシリア・ハンの存続の可能性を確かなものとすることが出来るのだ。


 そのような思惑など周囲の者たちは知る由も無かったが、イェルナクが面倒を引き起こそうとしていることだけは予想がついていた。セプティミウスは右の口角を吊り上げて何とか笑顔を作り上げると挨拶を返す。


「私もこのようなところでイェルナク殿とまみえようとは思ってもおりませんでした。

 ところで、聖女サクルム様の警護役と申されたか?」


「ええ、伯爵から伺いましたとも、大変な慶事ですな。

 アルトリウシアの御発展は確実、祝着至極に存じ上げます。」


「お気持ちは嬉しいがイェルナク殿。

 伯爵からお話を伺ったのなら、それが今どのように扱われているかもご存じのはず。どうか秘匿の維持にはご協力いただきたいものですな。」


 こいつイェルナクがアルトリウシアの船乗りたちに盛んに降臨や陰謀論について吹聴しようとしていたと報告を受けていたセプティミウスはイェルナクに釘をさした。


「おう!これは失礼。

 もちろん、我らハン支援軍アウクシリア・ハンはレーマに忠節をつくすものです。帝国の秩序を乱すつもりなど毛頭ございませんとも。

 ただ、ここにはご存じの方しかおられないと思ったものですから、少々油断してしまいました。どうかお許しを。」


「なに、気を付けていただければ良いのですよ。」


 セプティミウスはぎこちなく笑った。


 これからここは戦場になる公算が高い。狙われているのはヴァナディーズ、そして攻撃してくるのは三百人の盗賊を従えた『勇者団ブレーブス』…降臨を起こそうと画策している聖貴族コンセクラトゥムの存在をイェルナクに知られれば、イェルナクはそれを利用しようとするだろう。


 『勇者団ブレーブス』の存在を隠したままコイツイェルナクの前で戦闘する?…いったい何の冗談だ…


 セプティミウスは頭が重くなるのを禁じ得なかった。

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