第401話 イェルナクの懇願

統一歴九十九年五月五日、午後 - ケレース神殿テンプルム・ケレース/アルビオンニウム



 何でこの人がこんなところに居るの!?


 馬車から降りたルクレティアがイェルナクを見て最初に持った感想はセプティミウスのそれと全く同じものだった。

 神官の家系であり軍事にはほとんど全くタッチしてこなかったルクレティアではあったが、アルビオンニア属州有数の上級貴族パトリキの家系である以上、ハン支援軍アウクシリア・ハンのフロントマンを務め続けていたイェルナクとの接触は避けようがない。当然ながら二人は面識はあったし、公式の場で幾度となく挨拶や社交辞令的な世間話ぐらいは繰り返した仲である。それは父ルクレティウスが不遇の身体となり、スパルタカシウス家が関らねばならない公式行事のすべてに、ルクレティアが父の名代として出席するようになって以来のほんの一年ほどの事ではあったが、それでも他の多くのアルビオンニア貴族が共有しているのと同じような苦手意識を、ルクレティアにも抱かせるには十分なものだった。


 いかにも嘘くさい薄っぺらい慇懃いんぎんさはイェルナクに接する多くの人が気にするところである。貴族社会ではそうした上辺だけの礼儀正しさというのも確かに必要だし、それをイチイチ気にしていては話にならないのだが、イェルナクは慇懃な態度の下に奇妙な下劣さというか、嫌味な本音を常に臭わせるのだ。

 もちろんそんなことは本人は自覚していない。他の貴族たちも決してわざわざ指摘して教えてやったりはしない。だから、当人もいつまで経っても気づかないし治らないし治せないのだが、そうしたどこか腫物を触るような周囲の態度はイェルナクをしてますますそうした態度を色濃くさせていた。


「ご無沙汰しております

 この度、めでたく聖女サクルムになられたよし。このイェルナク、ハン支援軍アウクシリア・ハンを統べる首領ムズクに代わり、お祝いを申し上げます。」


 出迎えたサウマンディア軍人らとの挨拶を済ませたルクレティアにイェルナクがいつもの調子で挨拶の口上を述べる。胸の前で一方の拳をもう一方の手で包む拱手きょうしゅはチューア文化の影響を受けたハン族の挨拶だ。しかしその笑顔に、口臭に、声の響きに鳥肌の立つような不快感を禁じ得ない。内心激しく動揺しつつもルクレティアは表面上は平静を保ち、完璧な笑顔と礼儀正しさで応じる。


「まあ、イェルナク様。

 ハン支援軍アウクシリア・ハンを代表しての祝儀の口上、大変ありがたく存じます。

 このルクレティア、心より御礼申し上げます。

 ですがこのようなところでまみえようとは思いもよりませんでした。

 わざわざこのような挨拶のためにエッケ島から遥々参られたとは思えませんが、このような廃墟にいかな御用件でしょうか?」


 ただの挨拶の場で貴婦人が男性貴族に対しそのような事をいきなり訊くなど、見る人が見れば眉をひそめかねない態度ではあったが、イェルナクは動じることなくおおらかに応じる。


「もちろん、お祝いを申し上げるだけが理由ではございませんが、ヴァーチャリア世界に新たな聖女サクルムが誕生したとなれば多少の無理はしてでもご挨拶申し上げる価値はございましょう。

 ルクレティア様が聖女サクルムとなられた以上アルトリウシアの、そしてアルビオンニアの発展は間違いなし。アルビオンニアの発展はレーマ帝国の発展に繋がり、そしてそれは我がハン支援軍アウクシリア・ハンの発展にも繋がる慶事でありますからな。

 私も此度のことは我がことの様に嬉しく存じ上げておりますとも。」


 満面の笑顔、そして全身を使ったアピールは大袈裟なくらいだし、口調も決して不自然ではないのだが、何故かこの男が言うと嘘くさく感じられてしまう。イェルナクは間違いなく本気で演技しているのだが、どうにもこうにも演技くさいのだ。

 そしてそれはどうしても周囲の人間にも伝染してしまう。白々しい演技を目の当たりにすればどうしても気分が白けてしまう。にもかかわらずあくまでも礼儀正しく振舞おうとすれば、そこにどうしても無理が出るのだ。それはルクレティアもまた例外ではなかった。


「まあ、ありがとうございます。

 ですが私もまだ若輩の身、その役目の重大さに身の震える思いですわ。

 しかし私も聖女サクルムとなった以上、皇帝陛下インペラトルと帝国臣民の期待に応えられるよう、これから努力してまいりたいと存じあげます。」


 何しに来たのかを答えないイェルナクに答えを聞きたいところではあったが、これ以上話を続けたくも無かったのでルクレティアはこの挨拶の会話を切り上げるべく言葉を選んでそう言うと頭を下げた。だが、イェルナクは空気が読めないのか、ルクレティアが終わらせようとした話をなおも続ける。


「聡明をもってなるルクレティア様であれば、きっと良き聖女サクルムとしてご活躍できること間違いありますまい。

 このイェルナクもそのように確信しておりますとも。」


「・・・・・・」


 そのままお辞儀して引っ込めばいいものを、イェルナクは強引に言葉を重ねて会話の切りを悪くしてしまった。イェルナクはこういうことが度々あり、これもレーマ貴族らに嫌われる理由の一つだった。どう返すべきか話の流れを見失って困ったルクレティアの笑顔が若干引きつり、周囲の貴族らも小さく呻き声をかみ殺し、気まずい沈黙が流れる。


「そう!そう言えば何をしにこちらへ来たのかと言う話でしたな!?」


 何を失敗したか必死に頭を回転させていたイェルナクが唐突に思い出したように話を始める。間は悪いが気まずい沈黙が打開されたことで周囲は小さくため息をついた。


「ええ、これについてルクレティア様にお願いを申し上げねばならないのです。」


「まあ、私にいったい何を?」


 ルクレティアは両眉を持ち上げた。驚いているのは本当だった。軍事には一切関与することの無いスパルタカシウス家にハン支援軍アウクシリア・ハンが依頼する事など全くもって想像もつかない。まして、アルビオンニウムに追いかけてきてまでとなると、ルクレティアには見当もつかなかった。


「伯爵閣下からお伺いしました。こちらのケレース神殿テンプルム・ケレースで降臨が起きたと。」


「え?…ええ、そうですが?」


 伯爵プブリウスが漏らした!?…意外な事実に驚きながらルクレティアが認めるとイェルナクは一度緩めていた笑顔を再び強めて続けた。


「それでその現場を私イェルナクにも調査させていただきたいのです。」


「調査!?」


「はい。お聞き及びでしょう、我がハン支援軍アウクシリア・ハンがアルトリウシアであろうことか叛乱を起こしたなどとあらぬ疑いをかけられていることを?」


「え!?…ええ…そのようですね。」


「ですが、我々ハン支援軍アウクシリア・ハンは決して叛乱など起こしておりません。

 メルクリウス団の陰謀により、我々はハメられたのです!」


 メルクリウス団と聞いて近くで聞いていたセプティミウスとヴァナディーズがギクリとし、内心で冷や汗をかき始める。


「私イェルナクは我がハン支援軍アウクシリア・ハンの無実を証明するため、メルクリウス団の陰謀の痕跡を探したいのです!

 聡明かつ慈悲深いルクレティア様なら、きっとお許しくださると信じております。」


 イェルナクはそう言うと再び拱手して頭を下げた。実はルクレティアが来る前にイェルナクは勝手に神殿テンプルムの中へ入ろうとし、サウマンディアから調査に来ていた神官たちの抵抗にあっていたのだ。

 ルクレティアが頭を下げるイェルナク越しに、出迎えのために来ていた他のサウマンディア軍人たちを見ると、彼らは一斉に顔をしかめて顔を小さく横に振る。


「申し訳ありませんが神殿テンプルムは神聖な場所、許可なき者を招き入れることは出来ません。」


 ルクレティアが小さくため息をついてから思い切ったようにそう言うと、イェルナクはバッと顔を上げた。


「そこを何とか、お許しを得たいのです。

 我がハン支援軍アウクシリア・ハンの、いえハン族の命運がかかっているのです。」


「ですが、本日はこれより祭祀を執り行わねばなりません。

 無関係な者を入れることは、許可できません。」


「他の軍人たちは入ったそうではありませんか!?」


「祭祀の準備のための人手を借りただけです。

 そのために入る兵士らレギオナリウスも身を清めていただいておりますし、用が済み次第外に出ていただき、祭祀の前に神殿テンプルム内を清めなおしております。

 今はもう準備も整っておりましょう?

 これから部外者を入れることはかないません。」


 ルクレティアは思い切ってイェルナクの要求を突っぱねた。取り付く島もないルクレティアの態度にイェルナクは慌てふためき、膝をついて懇願を始めた。


「どうか、どうかご許可をお願いします。

 身を清めよと申されるなら身を清めましょう!

 これに我がハン族の命運がかかっておるのです!

 どうか、どうか伏してお願い申し上げます!!」

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