第402話 スカエウァ・スパルタカシウス・プルケル

統一歴九十九年五月五日、夕 - ケレース神殿テンプルム・ケレース/アルビオンニウム



 結局ルクレティアもイェルナクの泣き落としに勝てず、一般人の立ち入りがギリギリ許されている『水晶の間クリスタル・ロクム』の入口までは入って良いと認めざるを得なかった。代わりに身を清めることと神官服を着ることを条件としたが、イェルナクはそれくらいお安い御用とばかりに承諾し、早速サウマンディアが側の下級神官を借りて神殿テンプルム風呂場バルネウムへすっ飛んで行ってしまった。


 ようやく静かになったところでルクレティアは出迎えに並んだ者たちの中から若い神官の姿を見出した。今回、サウマンディア側から送り込まれた調査隊を束ねる神官スカエウァ・スパルタカシウス・プルケル…ルクレティアの従兄であり、婚約者だった男だ。


 レーマ帝国は男尊女卑社会であり、恋愛結婚などというものはほぼ無い。貴族ノビリタスなら猶更なおさらで、結婚といえばすなわち政略結婚であり、家と家の結びつきを強めるための人質交換を伴った同盟締結に過ぎなかった。結婚相手は一家の(あるいは一族の)長が決めるものであり、本人の意思など関係ない。下手すると結婚式当日まで相手の名前以外何も知らされないという事すらである。ルクレティアもそれは同じだった。

 ルクレティアの場合は降臨者の血を引く聖貴族コンセクラータであるため、結婚には血統の維持と血族の魔力維持(あるいは増進)という繁殖という目的も考慮される。


 スパルタカシウス家は本来レーマでもっとも格式のある血統であり、その直系たるルクレティアならば結婚相手など引く手あまたであるはずなのだが、ルクレティアの曽祖父の代で政争に敗れレーマを追われたせいか、帝国内の他の聖貴族コンセクラトゥムからやや浮いた存在となっていた。

 スパルタカシウス氏族は血統が古すぎて聖貴族コンセクラトゥムとしての実力…すなわち魔力はほぼ失われていたこともあって、ただ“由緒正しい”と言うだけの歴史的価値しか持たない血族は政治的影響力を失えば邪魔者でしかなくなってしまう。おかげでルクレティアの曽祖父や祖父たちはスパルタカシウス氏族宗家であるにも拘らず、同じスパルタカシウス氏族内からすら疎んじられるようになってしまっていたのだ。おかげでルクレティアの父ルクレティウスは愛娘の結婚相手を探すのに随分と苦労していた。

 スパルタカシウス氏族宗家として一家の力を取り戻すためには魔力の優れた血を引き入れるしかないのだが、魔力に優れた聖貴族コンセクラトゥスは結婚相手に困ることなどない。わざわざ血統だけが誇りで実力のない没落貴族の下へ息子を養子に出そうという聖貴族コンセクラトゥムなど存在しなかったのだ。結局、ルクレティウスは娘の結婚相手を手近なところから選ばざるを得ず、自らの影響力の及ぶ範囲…すなわちスパルタカシウス氏族の中で年齢が近く、かつ最も魔力の強いスカエウァが選ばれていたのだった。


「ご無沙汰しております、

 祭祀の準備は万端に整え、お越しをお待ちしておりました。」


「こちらこそ、御無沙汰しておりますプルケルスカエウァ様。

 まさかサウマンディアから調査に来ていた神官フラーメンがアナタだとは思っておりませんでした。祭祀の準備を整えて下されたそうで、御礼御申し上げ舞ます。」


「身に余る御言葉。恐縮至極きょうえつしごくに存じます。

 聖女サクルム様に御成りと伺いました。

 本日、伺ったばかりで祝いの品も御用意できておりませんが、プルケルに成り代わりお祝い申し上げます。」


「お祝いの御言葉、ありがとうございます。

 まだ公にできませんが、聖女サクルムの称号に恥じぬ働きが出来るよう、努力してまいりたいと存じあげます。

 プルケル家からもこれまでと変わらぬご支援ご助力を賜りたくお願い申し上げます。」


「プルケル家はルクレティア様と同じスパルタカシウス氏族です。

 助力は惜しまぬことでしょう。また家はもちろんの事、私個人といたしましても、微力を尽くす所存にございます。」


 スカエウァはルクレティウスの姉の三男であり、ルクレティアより二つ年上の新米神官であった。サウマンディア生まれサウマンディア育ちではあったが、アルビオンニアとサウマンディアの貴族ノビリタスは元々交流が盛んであったこともあってルクレティアとは子供のころから何回か会ったことがあり、全く知らない仲でもない。婚約は正式なものではなく、内定というか「もし互いに結婚相手が見つからなかったら…」という予備的なものに過ぎなかったが、それでも子供のころから将来結婚するかもしれないと言われ続けていた事もあって当人たちは自然と「将来結婚するんだろうな」と認識するようにはなっていた。このため、二人がレーマに留学していた時はレーマでデートじみた交流も幾度かしている。

 その時の感触からは、スカエウァ自身はルクレティアの事を憎からず思っていた筈であったが、スカエウァの態度からは今の彼の心情がどういうものであろうか想像できず、ルクレティアはスカエウァの形式ばった態度に戸惑いを禁じ得ない。型どおりの挨拶が一通り済むと、何をどう話していいか分からなくなってしまう。が、会話が止まって空気が気まずくなる前にスカエウァは事務的に話を進め始めた。


「では、早速『水晶の間クリスタル・ロクム』へご案内申し上げます。」


「そ、そうですね。よろしくお願いします。

 クロエリア、荷物を頼みます。」


「他の皆様もどうぞ中へ」


 ルクレティアが侍女のクロエリアに後事を託すと、スカエウァは周囲の軍人らも誘って神殿テンプルムの中へと歩き始めた。ルクレティアもそのすぐあとに続き、軍人たちが下級神官らに付き添われながら続いて入って行く。


「お前らも来い」


 セプティミウスにそう言われ、リウィウスたちも後に続いた。

 スカエウァは玄関ホールウェスティーブルムを通り抜け、中庭アトリウムを素通りすると『水晶の間クリスタル・ロクム』へまっすぐ向かう。ルクレティアは『水晶の間クリスタル・ロクム』へ続く廊下に入ったところで小走りになってスカエウァに並んだ。


「ね、ねえスカエウァ、ひょっとして怒ってる?」


「いや、怒ってないよ?

 驚いてはいるけどね。

 それどころじゃないんだ。」


 心配そうなルクレティアにスカエウァは前を向いたまま歩調も緩めずに歩き続ける。


「『水晶の間クリスタル・ロクム』の大水晶球マグナ・クリスタル・ピラが砕けてたって聞いたわ。

 本当なの?」


「それは本当…砂になってた。」


「砂!?…じゃ、じゃあ祭祀の準備ってどうしたの!?」


 大地の底深くには巨大な魔力の流れがあり、地脈ウェーナーエと呼ばれている。そして地脈は《地の精霊アース・エレメンタル》と密接な関係にある。地脈が《地の精霊アース・エレメンタル》そのものなのか、それとも地脈の魔力に宿ったのが《地の精霊アース・エレメンタル》なのかは分からないが、《地の精霊アース・エレメンタル》との親和性の高い神官フラーメンならば、瞑想することで地の底に居る《地の精霊アース・エレメンタル》の気配を察知することが出来るのだ。そして、それによって神官フラーメンは農作物の豊作や不作、地震等の天変地異などを予知することが出来る。

 満月の夜と新月の夜は《地の精霊アース・エレメンタル》の力が最大になることから、レーマ帝国全国のケレース神殿テンプルム・ケレースではだいたい満月の夜になると神官フラーメンが《地の精霊アース・エレメンタル》の様子を見るのが習慣化されていた。もちろん、満月の夜が分かりやすいから定期的な様子見を満月の夜にやっているというだけで、満月や新月の夜ではなくても、見ようと思えばいつでも《地の精霊アース・エレメンタル》の様子を見ること自体は出来る。

 このような地脈を観測する儀式を脈卜みゃくぼく…ウェーナスピキウム【Venaspicium】と呼び、それを執り行う神官フラーメンを特に脈卜官みゃくぼくかん…ウェーナスピケス【Venaspices】(女性の場合はウェーナスピカエ【Venaspicae】)と呼ぶ。


 ただ、代を重ね過ぎたとこで魔力も《地の精霊アース・エレメンタル》との親和性も衰えたスパルタカシウス氏族の神官フラーメンでは、ただ瞑想しただけでは地中深くにいる《地の精霊アース・エレメンタル》の気配は感じることができなくなってしまっていた。そこで、必要とされたのが水晶球であった。

 水晶球は精霊エレメンタルの気配を増幅させる機能があり、魔力の弱まったスパルタカシウス氏族の神官フラーメンは水晶球を介することで、地中深くに居る《地の精霊アース・エレメンタル》の気配を探っていたのだ。


 アルビオンニウムのケレース神殿テンプルム・ケレースにはそのための大水晶球マグナ・クリスタル・ピラが存在していた。それはスパルタカシウス氏族に代々伝わる巨大な水晶の球体で、世界に二つとない宝物である。それが無くなって砂になってしまっては、祭祀を行おうにも《地の精霊アース・エレメンタル》の気配を感じることなど出来ない。祭祀は形だけのセレモニーとなってしまい、意味をなさなくなってしまう。


「ここにあった大水晶球マグナ・クリスタル・ピラとは比べ物にならないけど、一応プルケル家ウチのを用意してあるから使ってくれ。

 だけどルクレティア、この神殿テンプルムの地底には、もう地脈は無いよ…」

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