第267話 お昼の会食

統一歴九十九年四月二十二日、昼 - マニウス要塞司令部/アルトリウシア



 侯爵家家族とその家臣団がカールの寝室クビクルムで日曜礼拝をしている頃、リュウイチは万が一教会関係者に姿を見られないよう、陣営本部プラエトーリウムからリュキスカと共に連れ出され、要塞司令部プリンキピアの一室へ案内されていた。そこにはサウマンディアから来たマルクスの他、昨日降臨の事実を聞かされながら謁見をお預けになっていた侯爵家と子爵家の家臣団らがおり、リュウイチとの初めての目通りの機会を与えられていた。そして全員が一通りの紹介と挨拶を終えてから、全員で一つのテーブルを囲んでの昼食会が催されている。


 昼食会と言っても元々レーマ帝国では一日二食が基本であり、昼食ブランディウムはほぼ間食扱いになっていることから豪勢な御馳走が並べられるようなことはない。列席者の中で本格的な昼食をとる習慣があるのはリュウイチ一人だった。しかし、貴族社会・身分社会である以上、最高位者の意向が最優先される。この結果、レーマ貴族にとっては昼食ブランディウムにしては多すぎ、食事にしては粗末すぎるという中途半端なメニューが出されることになった。すなわち、ピザである。


 ピザは降臨者によってこの世界ヴァーチャリアへともたらされた料理の一つだ。通常、降臨者によって齎された料理は聖貴族コンセクラトゥムたちによって神聖視され珍重されるものだが、これを齎した降臨者は「貧乏人のための食べ物」と紹介したためレーマ帝国では長らく惣菜パンパニス・アディパートスの一種として扱われ、当初から軽食屋バールや屋台などで路地売りされるジャンクフードとして広まった。


 実際、当時のピザは安価でカロリーは高いが、見栄えも味もまったく洗練されていなかった。生地は全粒粉を使い発酵させずに薄く延ばして焼くため、パンというよりはビスケットやクラッカーに近いものであり、トッピングの油脂等がしみ込むことで柔らかく食べられるようになるという物だった。トッピングに使うのは植物油、獣脂、チーズ、トマト、エングラウリダエなどの小魚(《レアル》のカタクチイワシに似た魚)など、貧民パウペルでも入手できるような食材ばかりだ。使われるチーズも獣脂や植物油、小麦粉などでしたインチキチーズで、地域によっては貧民パウペルは冬場になるとピザしか食べられないという話もある。そのような食べ物であることから、貴族ノビリタスたちの食卓にピザが登ることはまずなかった。


 その地位が変化するのはゲイマーガメルたちが降臨するようになってからである。

 ゲイマーガメルの間でピザは人気料理だった。中には異常な愛情を示すゲイマーガメルもいたと伝えられる。もちろん、この世界ヴァーチャリアに定着していたジャンクフードとしてのピザはさすがに彼らゲイマーガメルも好んで食べはしなかった。彼らは自分のスキルで創った《レアル》ピザをふるまい、似たようなものを作られせた。そしてそれを好んでよく食べた。結果、ピザは劇的な変化を遂げることになる。


 まず生地が全粒粉からフスマを取り除いた白い小麦粉が使われるようになった。そしてそれを良くね、酵母を使って発酵させるようになった。チーズもそれまでの安いインチキチーズから余計な混ぜ物のないナチュラルチーズが用いられ、その他のトッピング具材のバラエティーも一挙に豊かに洗練されたものになっていき、ハーブやスパイスなどでの香りづけも当たり前のように行われるようになる。やがて聖貴族コンセクラトゥムらによって神聖視され珍重される料理の一つとなった。ピザに地域ごとの特色が出始めるのも、またピザ職人という専門家が現れるのも、また惣菜パンパニス・アディパートスから独立した料理として考えられるようになるのもこの頃からだったと歴史家たちは考えている。


 この日、各人の前に出されていた直径十インチ(約二十五センチ)のピザもそうした歴史を経て生み出された物だった。リュウイチからすると《レアル》で馴染みのあるピザにかなり近い。それでいて、《レアル》日本特有のインチキチーズではなく、新鮮なナチュラルチーズが用いられている分、味はむしろリュウイチの知っているピザよりよほど美味であった。

 リュウイチもまたいにしえゲイマーガメルたちと同様ピザが好きらしいという事が知られたためか、リュウイチの前にだけピザが二枚用意されている。


 この昼食ブランディウムにピザを二枚というのはレーマ貴族の目にはいささか奇異に映った。《レアル》日本の感覚から言えば、三時のオヤツにラーメンを食べるようなものだろうか?

 レーマ帝国の住民でもキリスト者や平民プレブスの肉体労働者らのように昼食ブランディウムにがっつり食べる者はいないわけではないし、ルキウスなどはリュウイチが昼にも本格的な食事を摂るという報告は受けていたし、何度か目の当たりにしたこともある。しかし、それでもその健啖けんたんぶりには感心するやら呆れるやらしてしまうのは避けようがなかった。


「いやはや、見事な健啖けんたんぶり。《レアル》では皆そうなのですか?」


 昼食ブランディウムにピザが出てきただけでも驚いているのに、それを目の前で二枚も平らげるリュウイチを目の当たりにしてマルクスが感心したように尋ねた。


『そうですね…私の国ではそうです。いや、今はほとんどの国がそうじゃないかな?貧困な国でなければ一日三食摂るのが普通になってるんじゃないかと思います。

 ああ、私の国でも昔は一日二食だったり時代もあったようですが』


 二枚目のピザの二切れ目をコーヒーで流し込むように飲みこんでリュウイチが答えた。口に何か入れたまましゃべる事を無意識に避ける癖が出たものだったが、レーマ貴族からすればこれも奇妙に見える。食事中に音は立てないという価値観は、近代以降の降臨者らによって齎されてはいるがレーマ帝国ではそれほど厳密には考えられていない。

 それよりも食事にコーヒーやお茶を一緒に飲んでいる点に違和感を禁じえない。コーヒーやお茶はもちろん降臨者によって齎されてこの世界ヴァーチャリアでも普及し定着しているが、それはそれとして楽しむものとされていた。食事の際に摂る飲み物と言えば、この世界ヴァーチャリアでは…少なくともレーマ貴族にとってはワインなのだ。実際、リュウイチとリュキスカ以外の酒杯キュリクスにはワインが注がれている。


「さすが、《レアル》とは随分と豊かな世界なのでしょうなぁ。

 この世界ヴァーチャリアも《レアル》から齎された叡智えいちによって随分と発展してきました。ですが、話に聞く限り我らがレーマもまだまだと言わざるを得んようです。」


『聞けばこの世界では《レアル》には存在しない精霊エレメンタルがいたり、異なる法則があったりして技術や知識をそのまま使えないそうですね?』


「そうなのです。我々としては大変不可解なのです。

 降臨者の皆様はいずれもこの世界ヴァーチャリアの者よりよほど巧みに精霊エレメンタルの力を使うというのに、《レアル》には精霊エレメンタルが存在しないというのは、とても信じがたい話です。」


 この世界ヴァーチャリアの文明の発展にとって最大の障害となっているのは何といっても精霊エレメンタルの存在だった。巨大すぎるエネルギー…特に炎には精霊エレメンタルが宿り、自我を持つ《火の精霊ファイア・エレメンタル》と化して暴れ始めてしまう。だから精霊エレメンタルを制御できなければ《レアル》から齎された叡智も活用できない。そして精霊エレメンタルを制御するための魔力や精霊エレメンタルとの親和性を持っているのは降臨者か降臨者の血を引く聖貴族コンセクラトゥムだけなのだ。今この世界ヴァーチャリアでは聖貴族コンセクラトゥムによる精霊エレメンタルを操る力が無ければ、鉄を生産することもままならない。


 《火の精霊ファイア・エレメンタル》を制御しなければ鉄は作れない。そして降臨者や聖貴族コンセクラトゥム精霊エレメンタルを使役することができ、《レアル》には優れた鉄製品が溢れているという。ならば、《レアル》では精霊エレメンタルを自在に使役して様々な事に役立てているに違いない・・・この世界ヴァーチャリアの人たちはだいたいそのように考える。


 ところが降臨者たちは口をそろえて《レアル》には精霊エレメンタルが存在しないと言う。この世界ヴァーチャリアの人たちには到底納得しがたいことだった。


「やはり、この世界ヴァーチャリアを創造された神と《レアル》を創造された神は別々の神なのでしょうな。」


 ふっふっふと、たのし気にルキウスが身体をゆするように笑いながら話に割り込んでくると、マルクスも調子を合わせて応えた。


この世界ヴァーチャリアには《レアル》に存在しない種族や生物も多いと聞きますからな。おそらくそうなのでしょう。」


「我々のようなゴブリン系種族なども《レアル》では実在はしないものらしい。ドラゴン、エルフ、獣人たち・・・この世界ヴァーチャリアには当たり前のように存在する種族や生物がどれもこれも実在しない。」


 ルキウスが酒杯キュリクスのワインを飲み干し、給仕にお替りを注がせながら続けて話した。


「しかし、実在しない存在であるにもかかわらず、概念上には存在しているというではありませんか…これまた随分と奇妙な話です。」


『私としては概念上にしか存在しないはずの存在が実在しているこの世界のありように驚いています。』


「「「「はっはっはっは」」」」


「もしかしたら昔はこの世界ヴァーチャリアと《レアル》は繋がっていたのかもしれませんな。」


「降臨者はこの世界ヴァーチャリアから《レアル》には帰ることが出来ない…そう言われていましたが、降臨者の中でもゲイマーガメルは帰ることができたと言います。

 もしかしたら、歴史が記されるようになる前の時代の降臨者は《レアル》に帰ることができたのかもしれません。」


『その人たちがこの世界で見た物を《レアル》に伝えたというわけですか?』


 やや驚いたようにリュウイチが質問すると、マルクスとルキウスは互いの顔を見合って眉を持ち上げ両手を広が手見せた。冗談はこの辺にしておこうという合図だ。種族間問題、民族問題、種の起源…そういった問題にまつわる冗談に不用意に悪乗りすると、リュウイチに要らぬ先入観を持たれてしまうかもしれない。冗談というものは、十分な知見を持ったもの同士で楽しむべきものだ。リュウイチは降臨者でおそらくこの世界ヴァーチャリアの誰も持っていない叡智えいちの持ち主ではあるが、この世界ヴァーチャリアについて熟知しているわけではない。

 ましてや、リュウイチは《レアル》に帰りたいのに帰れなくなってしまっているゲイマーガメルでもある。この世界ヴァーチャリアから《レアル》に帰れなくなった理由、帰れるようになる方法はリュウイチにとってセンシティブな話題であるはずだ。


「まあ、そういう説はありますが、恐らくそうではありますまい。」


「我々の祖先は種族というものを意識していなかった。ゴブリン、ホブゴブリン、ブッカ、コボルト、ドワーフ、オーク、エルフ・・・そういった種族名を付けたのはゲイマーガメルだと伝えられています。」


『そうなんですか?』


ゲイマーガメルが降臨してくるまで、我々は『ゴブリン』などという名前など知らなかったし、我々の先祖は自分たちを単にアヴァロン人アヴァロニクスと呼んでいました。アヴァロニアという地域に住んでいたのでね。

 生物としての種の違いなどという概念がそもそも無かったのです。」

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