第38話 レーマ帝国の金貨事情

統一歴九十九年四月十日、晩 - 青山邸執務室/サウマンディウム



 アントニウスの話を聞いて下座に座っていたティベリウス、ラール、トラヤヌスの三人以外全員が鳩が豆鉄砲喰らったような顔になった。


「金貨に投資ですと?」

「金鉱ではなく、金貨に?」

「金貨は貨幣ですぞ、かねかねを投じるのですか?」


 ふふん、田舎者め・・・とでも言うようにアントニウスは小さく笑うと、多少余裕を取り戻したのか気取ったような態度で続けた。


「金貨に投資すると言っても複雑な事ではありません。

 ただ単に、今手持ちの銀貨や銅貨を金貨に両替えするだけです。」


「それが投資になるのですか?」


「ええ、御存知のように金貨の価値は上がり続けている。

 食べ物のように長く保管しているからと言って腐る事もない。

 今、使う予定の無いかねを金貨に替えて持っているだけで、その金貨の価値は一、二年後には二倍に増えるという算段です。」


「そんなことが?」


「はい、今帝都レーマを始め主要な都市部を中心にそういう行為が流行しているのです。」


 軍人たちは唖然となった。彼らは経済については素人だが、何となくそれが馬鹿げた事であるように感じられた。


「皆が皆そんなことをしたのでは、金貨の高騰は止まりようがないのでは?」


「だから実際に金貨の価値は上がり続けています。

 みんな、金貨が必要なものだと知っている。金鉱のきんの産出量も限られ、貿易額の増大に対して生産量が間に合わないと皆

 だから、決して値崩れしない・・・金貨は今、安全で確実な投資対象とみなされているのです。」



 この辺の裏事情は法貴族の家系で領主持ち貴族としては比較的経済に明るいプブリウスも把握していなかった。金貨が異常に高騰しているのは知っていたが、一般には貿易額の増大が原因だと信じられていたし、彼もそうだと認識していたのだ。


 こうした実態も近年の金貨の高騰を受けて調査を開始したことで初めて明るみになった事であり、調査にあたった官僚と貿易の当事者である貿易商や御用商人たちといった一部の人間しか未だ知らない事実だった。



「そんなことをして貿易が成り立たなくなるのではないか?」


 このプブリウスの疑問には当の御用商人であるラールが答えた。


「貿易の決済は金貨で行う事になっていますが、実際には信用取引がほとんどです。

 年に一度、決算する際ので金貨を多少やり取りすることもありますが、取引総額からすればほんの少量で、大量の金貨が必要になるという事はありません。」


「では、貿易額が増えているせいで金貨が足らなくなっているという話は?」


 カエソーが身を乗り出して訪ねる。少し興奮しているようだ。彼がこれまで聞いてきた話とあまりにも違うからだ。


「それは全く無いわけではありませんが、ここのところの金貨の高騰具合は貿易取引の実態からはかけ離れていると言って良いでしょう。」


「では支障は生じていないのかね?」


「支障がないわけではありませんね。

 なにせ、去年発行した信用取引の契約書の金額が商品相場と合わなくなるわけですから。」


 ラールは軽く笑った。

 その態度から察するに、まあ、ちょいと迷惑をこうむってますぐらいの感覚だろうか。


 収支決算する際は指名御用商人同士で年に一度、お互いの持っている手形や信用状などを突き合わせ、記載されている額を相殺して残った差額を債券化するか金貨で決算する。

 多くの場合は債券化によって処理し、金貨を支払うケースはほとんどない。重たい金貨をイチイチ国境の向こうや海の向こうへ運ぶのは面倒だしリスクもあるからだ。

 なので金貨の絶対量の多寡たかが実務に影響を及ぼすことはほとんどない。


 

「では取引自体は問題なく成立しているのか?」


「貿易は特許状を頂いた貿易商か御用商人しかできません。

 相手はいずれかの貴族ノビレス本人か大貴族パトリキ様の後ろ盾のある人物ですから、お互いに信用できますので。」



 貿易には特許状が必要とされ、特許状は貿易行為に対する許可であると同時に、発行した貴族が信用を保証するという意味もあった。指名御用商人ならば商人自身に対して特許状は発行されるが、それ以外の貿易商は取引ごとに特許状を発行してもらわなければならない。

 これは貿易を管理する上でも、特許状の信用を高めるためにも有効だったし、税金を取りっぱぐれないためにも有効な措置だった。


 ラールの説明を引き取ってアントニウスが続けた。


「つまり、貿易額は増えているし金貨の必要量も増えていますが、ホントに必要な分は実は十分な量が流通しているのです。

 なのに、額面上の貿易額の増加量に対して金貨の生産量は増えていないので、そこから『金貨の価値が上がるはずだ』と、貿易の実態を知らない者たちが勝手に思い込んで金貨を買い漁り、そのせいで金貨の価値が実際に上がってしまった・・・そこで『金貨の価値は上がる』とを得た者たちが我も我もと金貨を買い始め、収拾のつかない状態になっているのです。」


 要するにバブル化が起きているのだった。


「で、そこへ大量のきんが供給されると・・・暴落するのか?

 それにしてもたかが・・・二百の二百で・・・四万アウレウス程度の金貨で?」


 現在出回っている金貨の総量・・・その正確な数値は分からないが、四万アウレウスが突然追加されたからと言って金貨の相場に与える影響は微々たるものだろう。それなのに「暴落する」というのはいくら何でも大袈裟すぎる。

 プブリウスはハハッと笑いながら再び肘掛け椅子カニストラ・カティドラに身体を預けた。


「問題は四万アウレウスにとどまらない事です。

 リュウイチ様は少なくともこの金貨を八千枚は持っている。

 つまり、八の二百で・・・」

「百六十万」


 ティベリウスがアントニウスの計算を助けた。

 敏腕財務官クァエストルだけあって商人並みに計算が早い。


「ありがとう、そう、百六十万アウレウスが一挙に供給される可能性がある。」


「それにしたって、実際に一挙に供給されるわけじゃないだろう?

 実際には四万アウレウスだけだ。

 相場に影響があったとしても高騰が止むか、下がってもチョットだけだろう?」


 プブリウスはそう言いながらお道化どけるように両手を広げて見せた。


「暴落を起こすにはそのチョットで十分なのです。」


「どういうことだ?」


「皆さんが先ほど私の話を聞いた時、おかしいと感じられたようにこのような価格の高騰はおかしいのです。実際には誰もが心の底でおかしいと思っている。

 しかし、現実に金貨は高騰していて、それを否定する理屈を誰も思いつかない。だから信じてしまっているんです。」


 プブリウスはハハハと笑った。


「おかしいと思いながら否定できないから信じている?

 それこそおかしな話だ。」


「いえいえ、理解できるものなら信じる必要などありません。

 理解できないから信じるんです。」


 プブリウスは笑みを浮かべたまま眉を上げた。


「なるほど、真理ですな。」


「誰もがおかしいとは腹の底で思っている。でも現実に高騰している。だから、おかしいとは思っていてもひとまず信じて、投資してみる。金貨の価値は上がり続けると信じて・・・今、金貨にかねを投じているのはそういう素人たちです。

 じゃあ、そこで何かの拍子に金貨の価値が下がったら?」


 軍人たちの顔からは悪い冗談を聞かされていたかのように浮かべていた笑みが消えた。

 プブリウスはまだにやけたような顔をしていたが円卓メンサへと視線を落とした。


「目が覚めるということか」


「そうです。

 金貨の価値は上がり続けるわけではない事にんです。

 そして高値で金貨を買ってしまった者から順に、不安に駆られ資金を引き揚げようとする。すると金貨の価値が下がる。金貨の価値が下がったから資金を引き揚げる。」


「そして暴落か・・・なるほど」


 プブリウスの顔からも笑みが消えた。


「おそらく半年以内にアウレウス金貨は五十デナリウスを下回るとこまで落ちるでしょう。」


「半値以下か!?」


 この話を初めて聞かされた軍人たちは愕然とした。

 実は内心、今からでも金貨を買うかと考えていた者も中にはいた。

 アントニウスは右の口角だけを釣り上げ、皮肉めいた冷笑を浮かべて続ける。


「本来の価値に戻るだけです。

 金貨の高騰がどこら辺で頭打ちになるかわかりませんが、三分の一か四分の一ぐらいまでは一気に下がるでしょう。」


「しかしそんなことになったら・・・」


 経済には素人の軍人たちも同じ結末を想像したようだと確信したアントニウスも真顔に戻った。


「はい、路頭に迷う者や借金奴隷に堕ちる者が増えるでしょうね。

 何千人か、何万人か、はたまた何十万人かはわかりませんが。」


 金貨に投資をしているのは素人とはいえそれなりの資産家たちだ。

 レーマ帝国に企業だの会社だのと言った法人と呼べるようなものはなく、多くの労働者は貴族や商人などの個人が所有、経営する農場や商会や工房で働いている。社会保障というものが未熟な世界で資産家が破産すれば、その下で働いている労働者が一斉に路頭に迷う事になる。


 そのような不況が起これば影響は帝国中に及ぶだろう。

 サウマンディアとアルビオンニアはただでさえ一昨年の火山災害の被害から立ち直れていないのだ。

 サウマンディアは食料を、アルビオンニアは銀と銅と鉛を生産し、レーマや他の帝国属州に売ることで何とか命脈を保っているような状態だ。ここで帝国の経済まで減速すれば、サウマンディアとアルビオンニアの両属州の経済は立ち行かなくなる。


 軍人たちはようやく事の深刻さを理解した。



「ではどうすればいい?

 元老院セナートゥスは・・・いや執政官コンスル皇帝インペラトールは御存知なのか?」


 アントニウスは自分の話を理解してもらえたことに安堵を覚えていた。自然と、態度に落ち着きと余裕を取り戻している。


「もちろん、皇帝も執政官も御存知ですし、元老院も把握しています。」


「では何か対処されるのか?」


「口外なさらないと、お誓いできますね?」


 アントニウスは全員の顔を見渡した。


「もちろんだ。守護神ラレスに誓おう!軍神マルスにも、勝利の女神ウィクトーリアにも!」

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