第37話 金貨の価値

統一歴九十九年四月十日、晩 - 青山邸執務室/サウマンディウム



降臨者リュウイチ様が奴隷を?」


 プブリウスは呆れたように言った。


「ええ、《暗黒騎士ダークナイト》に挑んできた勇敢さが気に入ったとか・・・」


 確かに、《暗黒騎士リュウイチ》様にとっては、彼らが反抗したところで痛くも痒くもないのだろう。


「物好きなものだ。」


 アルトリウスの答えを聞いたプブリウスは半分笑いながら一度起こした身体を再び肘掛け椅子カニストラ・カティドラに沈めた。


「そのための代金もお預かりしたのですが、これ一枚がどれほどの価値があるものでしょうか?」


 アルトリウスがそう言いながら懐から金貨の詰まった革袋を取り出し、金貨を一枚摘まんで一同に披露すると、それまで身体を弛緩させていた全員が目を見開いた。

 貴族パトリキだろうと何だろうと、黄金の輝きに目を奪われない者などいない。


「何ですかそれは?」

「金の・・・メダル?」


「いえ、金貨だそうです。」


 円卓メンサの向こう側から上がる疑問の声に対し、そう答えながらアルトリウスは取り出した金貨をスタティウスごしにラールへ手渡した。


「金貨!?」

「大きすぎませんか!?」


 邪魔にならない様にって避けたスタティウス越しにアルトリウスから差し出された金貨を受け取ったラールは予想以上の重さに「うっ」と思わず呻いた。


「皆さんもご覧になりますか?」


 そう言いながらアルトリウスは円卓の反対側に座っているサウマンディア側の面々にも一枚ずつ手渡す。最後にプブリウスに差し出すと、プブリウスは目を見開いたまま腰を浮かせて両手で受け取った。


「何だこれは、ホントにメダルじゃないのか?」

「貨幣を何でこんなに精巧に作る必要がある!?」

「軽く一インチ(約二十六ミリ)以上あるぞ。しかも分厚い。」

「重いぞ、何スクリブルムあるんだ?」

「アウレウス金貨の十倍くらいありそうだ。」

「誰かこんなの見たことあるか?」

「いや、無い。」

「私もだ、初めて見る。」


 かつて他のゲイマーガメルたちが大量の金貨をこの世界ヴァーチャリアに持ち込んだ事はあったが、その多くはもう残ってはいない。一部のコレクターが記念に保管している極少数を除き、ほとんどつぶされ、それぞれの国の金貨に改鋳されてしまったからだ。


「それで、これを何枚預かった?」


「こちらに持参したのは百枚ですが、預かったのは二百枚です。」


「「「二百枚!?」」」

「たかが奴隷にか!?」


 唖然とする七人を「まあまあ」とまず落ち着かせ、アルトリウスは金貨を預かるまでの経緯を説明した。



「すると、金貨これが八千枚もあるのか。」


「いいえ父上プブリウス、たかが奴隷のためにポンと出すくらいです。

 八千枚が惜しくないくらいは持っているという事です。」


「というと何万枚、いや何十万枚と持っていたとしても不思議ではないな。

 何という事だ、まるで歩く金鉱ではないか。」


 プブリウスは金貨を眺めながら溜め息をつくと、再び肘掛け椅子に身体を沈めた。


「一人でレーマ帝国内にある全てよりも多くの金を持っているのかもしれんな。」


 つぶやくようにプブリウスが言ったその一言にアントニウスがピクッと反応した。


「そういえば、これを銀貨に両替えするよう頼まれているのでしたな?」


「え、・・・はい。奴隷の代金を払った後の余剰分を両替えしてくれと・・・」


 アントニウスの質問にアルトリウスが答えるとプブリウスとティベリウスが笑い出した。


「はっはっはっ、それは無理だ。勘弁してくれ。」


「何故です?」


 アルトリウスがプブリウスに尋ねると、ティベリウスが代わって答えた。


アヴァロニウス・アルトリウシウスアルトリウス子爵、申し訳ありませんが現在我々が抱えているすべてのデナリウス銀貨をかき集めたとしてもとても足りません。」


「そうなのですか?」


「近年、きんの価値は上がり続けています。

 金貨を改鋳して金の含有量を下げ、金貨の流通量をあげているにも関わらず、金貨が不足していて金貨と銀貨の交換比は拡大の一途をたどっています。

 今のアウレウス金貨のきんの含有割合いを御存知ですか?」


「いえ、何年か前に半分以下だと聞きましたが・・・」


「今はもう一割を切っています。」


「なんと!?」


 それは金貨と呼べるのか?思わずアルトリウスはそう言いそうになった。


 アルトリウスが純粋な剣貴族だからといって税収や予算等の管理業務に全く関わらないわけではない。領主の跡取りであり軍団レギオー運営の責任者である以上、むしろ無関心ではいられない。

 だが、彼が業務で扱う金銭は書類上では全てセステルティウスに単位が統一されており、そこに含まれる貨幣の種類がどうなっているかなどは把握していない。そういう実務的な部分は財務官クァエストルや指名御用商人の担当である。

 ましてや、金貨は現在貿易での決済に使われるだけになっているので、直接商取引に関わるわけでもないアルトリウスにとって、金貨の具体的な相場の変動などは埒外らちがいのことなのだった。



「一番最近鋳造された金貨の金含有率は二十分の一と聞いてます。

 それなのに一アウレウスの交換比率は百デナリウスを超えていました。

 それも去年の話です。」


「では今はもっと?」


「この金貨、正確には調べてみなければわかりませんが《レアル》の金貨ならば純金であろうと考えられます。

 この金貨はおそらくアウレウス金貨の十倍ほどの重さはありましょう。しかし、きんの含有割合いは二十倍、単純計算でこの金貨一枚が二百アウレウスくらいの価値はありそうです。」


「では仮にアウレウス金貨が一枚百デナリウスだとして・・・」


「この金貨一枚はデナリウス銀貨二万枚・・・八万セステルティウスですね。

 二百枚全部をデナリウス銀貨に替えるとしたら四百万枚必要になります。

 それもの話です。」


「今はどれほどになっているのでしょうか?」


「去年が約百デナリウス、一昨年がだいたい七十五デナリウス、その前が五十デナリウス弱ぐらいでした。今は安く見積もっても百二十五から百三十は見込むべきでしょう。」


「・・・・・」


「全部デナリウス銀貨に両替えするとしたら五百万枚は見込んでおく必要がありますね。

 申し訳ありませんが、サウマンディウムの金庫ひっくり返してもデナリウス銀貨は五百万枚もありません、サウマンディアが抱える兵士と役人の給料分だけで年間四百万枚は要るんです。

 無理に拠出すればサウマンディア領内のデナリウス銀貨流通量が不足してしまうでしょう。

 そうなったら最悪の場合、サウマンディアの経済が立ち行かなくなります。」



 一般市民の経済活動は銅貨を使って行われる。だが、レーマ帝国では税金は銀貨か金貨でなければ受け付けない事になっていた。

 金貨は市中にはほとんど出回っていないので、ほとんどの市民は銀貨で税を納める事になる。

 そして兵士や役人らの給料も基本的に銀貨で支払われる。

 これらは銀貨の流通を確保させ、銀貨と銅貨の交換比を安定化するための方策でもあった。

 ここで、兵士や役人の給料を銅貨や現物で支払うなどして銀貨の流通量が不足してしまうと、市民は税金を払うための銀貨を買い集めなければならなくなり、銀貨が高騰してしまう。

 したがって、極端に額の大きい両替えは受け入れる事など出来ないのだった。


 なお、サウマンディウムの銀貨保有量がここまでカツカツなのは、アルビオンニウムの火山災害の影響が大きい。アルビオンニウム放棄による経済活動の大幅な減速。それによる伯爵家の収入減とサウマンディアの税収減。そして大量に発生した難民保護のための支出増加、アルビオンニアに対する財政支援・・・etc


 アルトリウスにしてもデナリウス銀貨の流通量を一定水準以上確保しなければならないことぐらいは承知している。

 もっとも、アルトリウシアは納税するはずもない貧民や難民が人口の多数を占めているため、軍団や役人の給料の一部を銅貨や現物で支払ったとしても経済に深刻な影響が出るわけではないし、現に一部の手当てや報酬については銅貨や現物での支給が始まっている。



「それではこれはどうすれば・・・」


「一度に全額銀貨に替えねばならないわけではないのでしょう?

 ならば、銀貨が必要な分だけ必要に応じて順次両替えしていけば良いのでは?」


 当たり前の答えが返ってきてそれもそうだと落ち着きかけたところで、先ほどから何か言いたそうにもじもじしていたアントニウスが声をかけてきた。


「ア、アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵?」


「?・・・なんでしょうか、レムシウス・エブルヌスアントニウス卿?」


「どうだろう?

 デナリウス銀貨の提供を私の方で請け負おうと思うのだが?」


「?・・・それはありがたく存じますが・・・」


「うん、デナリウス銀貨は必要なだけ用意しよう。

 ただし!」


 アントニウスの様子はどこか落ち着きがない感じだったが、最後の部分は何か思い切ったように声を大きくして言った。


「その代わりにこの金貨を私以外には渡さないでくれ。」


「・・・それは・・・レムシウス・エブルヌス卿が独占的に両替えをするということですか?」


 全員の視線がアントニウスに注がれた・・・それは如何いかにも怪しげなモノに注がれる疑惑の視線だった。


「ご、誤解しないでいただきたい!

 私は決して私利私欲で言っているわけではないのだ!!」


 この場で彼を見る全ての者にとって、彼のこの態度は彼自身の後ろめたさの反映でしかないように思えてならないのだが、アントニウスはゴホンとわざとらしく咳ばらいをするとモゾモゾと姿勢を正して続けた。


「わ、私は元老院議員セナートルだ。帝国の経済にも責任を持っている。

 その立場から言わせていただくと、今突然そのような金貨が大量に出回っては困ることになるのだ。」


「と、言いますと?」


「今、金貨が高騰している中で膨大なきんが一度に新たに供給されたらどうなると思うね?」


「・・・金貨の相場が落ち着くのでは?」


「いや、そうはならないのだ。」


 アントニウスは再び咳ばらいを一つした。


「どうなるのです?」


「金貨の価値が一気に暴落する。」


「「「暴落する?」」」


 何を大げさな事を・・・軍人たちの顔に浮かんだ表情はそう言っていた。


けいらは、という話を聞いたことは無いかね?」

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