第39話 金貨統制への協力要請

統一歴九十九年四月十日、晩 - 青山邸執務室/サウマンディウム



 プブリウスが上体を起こし右手を胸に当てて秘密を守る誓いを立てると、アントニウス以外の全員がそれにならった。


「この話を聞く以上、今後金貨へ投資したり、金貨を放出したりといった金貨の相場に関与するような行為も行わないでください。」


「もちろんだとも。」


 プブリウスがアントニウスの警告を受け入れると、やはり全員がそれに倣った。


「いいでしょう。

 帝国は金貨の価値を暴落が起きないようにゆっくり下げて、もとの価値へ戻す予定です。」


「そんなことが上手くいくのか?」


「いかせます。」


 アントニウスは自信たっぷりに頷いた。


「どうやって!?」


「まず、アウレウスを発行します。」


だって?銀はどうするんだ?」


「回収したセステルティウス銀貨を鋳つぶします。

 それで百デナリウス相当の銀貨を作り、アウレウス銀貨として発行します。」



 以前、といっても大戦争中の話なので百年以上前になるが、レーマ帝国内で銅の価値が高騰したことがあった。銅は兵器を作るために必要な物資で、戦争で大量に必要だったところへ有力な銅山の鉱脈が枯渇し閉山になったのがきっかけだった。

 銅の価値が上がるにつれて銅貨の価値があがり、新たに銀山が見付かって銀相場が下落し始めていたタイミングと重なったため、銀貨と銅貨の交換比率が放置できないレベルまで減少したのだった。


 このため、帝国は銅貨の中で最も価値が高かったセステルティウス黄銅貨を廃止し、代わりにセステルティウス銀貨を発行。回収したセステルティウス黄銅貨を鋳つぶしてデュポンディウス真鍮貨、アス青銅貨、セミス銅貨やトリエンス銅貨といった、より低価の銅貨の流通量を増やし、更にトリエンス銅貨よりも低価のクォドランス銅貨を新規に発行した。

 これによって一セステルティウス未満の貨幣で商いされる商品やサービスのみを対象に進んでいた奇妙なデフレ自体は防げなかったものの、貨幣システムは堅持された。

 影響を受けたのは銅貨を使う一般市民や貧民たちだけだった。


 その影響で銀貨はつい最近までデナリウス銀貨とセステルティウス銀貨の二種が発行されていたのだが、アルビオンニアのクプファーハーフェンで大規模な銅山開発が軌道に乗って銅の価値が下がり始めたため、レーマ帝国はセステルティウス黄銅貨を復活させるとともにセステルティウス銀貨を回収しはじめている。


 今度はセステルティウス銀貨を廃止したことで余剰になる銀を使って、同じように対策しようと言うのである。



「アウレウス銀貨を流通させるのと、同時にアウレウス金貨を回収し、金貨を改鋳します。

 幸い、チューアで金山が開発されたようで金の輸出が再開されましたし、お隣の属州オリエネシアでも新たな金鉱が見付かっています。有力な金鉱です。

 順調にいけば来年後半には金の生産を開始できるでしょう。

 金貨の流通量を落とすことなく金の含有量を再び上げて、金貨の信用を回復することさえできると見込んでいます。」


 アントニウスは自信満々に言い切った。


「それで上手くいくのか?」


「行きますとも、いえ、行かせます。

 ですが、そのためには・・・」


 怪訝そうに尋ねるプブリウスにアントニウスは笑みを浮かべて答えつつ、アルトリウスに視線を移した。その口元だけは笑ったままだが目は笑っていない。

 あとは分かりますよね・・・と、その上目遣いの視線が言っていた。


「なるほど、今ここでこの金貨を大量にバラまくと、その対策が台無しになるということですね?」


 アルトリウスが得心がいったとばかりに返事をすると、アントニウスは満足そうに微笑んで両手の平を胸の前で打ち合わせた。


 アントニウス・レムシウス・エブルヌスは元老院議員セナートルだが法貴族ではない。エブルヌス【Eburneus】の家名が示す通り元々は象牙取引きで財を成した商貴族の出である(エブル【Ebur】は象牙の意)。

 元老院議員の仕事の一方でサイドビジネスにも余念がなく、これまでにも様々な取引をまとめてきた。だから交渉術には自信がある。

 即興だったとは言え、今回のプレゼンテーションは良い出来だったと自負している。


「若きアヴァロニウス・アルトリウシウスアルトリウス子爵は御聡明でいらっしゃる。

 その通りです!

 ですから、この金貨はお使いになられぬよう、そして銀貨が必要であればこの金貨を担保に私が融通いたします。もちろん利子は取りません。」


 完璧なプレゼンテーションと相手の納得と合意、それはビジネスの理想と言えるだろう。しかし、アントニウスは肩透かしを食らう事になった。


「申し訳ありませんが、お約束致しかねます。」


「は?」


「今、手元にある分については私の一存で御期待に沿う事も叶いましょうが、私が任されているのは二百枚分だけです。

 お話を伺いますに、それだけではなくリュウイチ様がお持ちの全ての金貨に対して御使用を制限させていただかねば意味がなかろうと愚考します。」


「!ああ・・・なるほど」


「リュウイチ様には私から御願い申し上げてみますが、御約束いただけるかどうかは私では保証いたしかねます。」


 当然と言えば当然のことだった。だが、この程度で挫けるわけにはいかない。


「・・・ごもっともですが、でも、当面はリュウイチ様はアルトリウシアへ御滞在なさるのですよね?」


「その予定です。」


「では、もしもリュウイチ様が金貨をお使いになろうとなさった時は、アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵が御対応なさるのですよね?」


「まあ、そうなるでしょうね・・・。

 ですが、当面は目立たないよう身を御隠しいただくとお約束いただいておりますし、おそらく金貨を使う機会は・・・」



 無いでしょう・・・そう言おうとしたところでアルトリウスは口をつぐんだ。

 今、預かっている金貨二百枚はおそらく千六百万セステルティウスを上回る大金だ。特に作戦行動や大規模な演習をやるのでないかぎり、アルトリウシア軍団れぎー・アルトリウシア軍団兵レギオナリウスを一年半は養える額である。

 それだけの額、一度換金してしまえば当面かねに困ることはない筈だ。

 だが、それはアルトリウスの常識で考えての話だ。


 あの御仁リュウイチは奴隷に金貨八千枚も投じようとした・・・。


 何もかもがの外にある存在である。

 正直ってこれ以上の厄介事は避けたい。だからこそ、アントニウスと新たに変な約束を交わすのを避けようとしたのだが、ここで約束を避ける事によって却って妙な責任が生じる可能性に思い当たった。


 アルトリウスは既に金貨暴落の可能性について聞いてしまっている。


 約束を交わした上でアルトリウスのあずかり知らぬところでリュウイチが勝手に金貨を使ったとしても言い訳くらいはできるかもしれない。だが、約束を拒否しておいてリュウイチが勝手に金貨を使ったら、アルトリウスがそのことを全く知らなかったとしても、故意性を疑われる可能性が出てくる。


 最初から金貨が暴落する前に銀貨に替えるつもりだったのではないか?


 痛くもない腹を探られるだけならくすぐったいだけだが、身に覚えのない濡れ衣を着せられるとなればくすぐったいじゃ済まない。

 大量にある可処分資産の価値が近い将来確実に下がると知らされたのだ。それを処分しないようにという誓いも事前に立てている。

 ここであえて金貨を管理に責任を持つ約束を拒否したうえでリュウイチがどこかで金貨を使いでもしたら、そしてそれが金貨暴落の引き金になったとしたら、アルトリウスは間違いなく疑われるだろうし、疑念を晴らすことは不可能になる。



「・・・無いと思いますが、絶対無いと保証致しかねるのも事実ですな。」


「ええ!ですから、どうにかしてリュウイチ様の金貨の出納管理をさせていただけるようにしていただきたいのです。」


 理屈は分かるが、現実問題として責任を持てるかと言うと持てる自信は無かった。あの破天荒ぶりを目の当たりにして、それを管理できると思える人間がいるなら会ってみたいものだ。


「御要望は理解しております。その使命の重要さについてもです。

 もちろん力の及ぶ限り協力もしますし、リュウイチ様に御願いもしてみます。」


「おお!では・・・」


 アルトリウスはアントニヌに手をかざして制し、話を続けた


「おそらく、リュウイチ様は寛容な方ですから、御理解いただけるものと私は期待しています。

 ですが、約束を取り付ける保証はできません。既に色々と御願いをしている身ですから、この上どこまでお聞き入れいただけるか分からないのです。

 それに現実問題として史上最強のゲイマーガメルを管理できるかと言われると自信を持てないというのが正直なところなのです。

 いかなる面においても我々の実力の及ばない相手ですから、それは神々の御加護を我々の意思で管理しろと言うようなものなのです。」


 アルトリウスとしてはもう洗いざらい話して降参してしまったようなものだ。貴族であり軍人(それも軍団を率いる軍団長レガトゥス)という立場からすれば、こういう弱気な態度を示してしまうのは褒められたものではない。泣き言を言ってるのと同じだからだ。


「ですが、相手は神でも精霊でもなく降臨者様でしょう?

 会話のできる相手なのですから・・・」


 なおも食い下がるアントニウスに対しスタティウスが口を開いた。


「失礼いたします。

 大貴族パトリキ様の会話に口をはさむ御無礼をお許しください。」



 レーマ帝国では軍団に所属する兵士が出世して筆頭百人隊長プリムス・ピルスにまでなると、騎士エクィテスの称号が与えられ下級貴族ノビレスに列せられる。

 スタティウスが現在務めている陣営隊長プラエフェクトゥス・カストロルムという役職は筆頭百人隊長を務めあげた軍人が、なおも引退せずに軍団で働き続けるための名誉職であり、当然ながらスタティウスは騎士の称号を持つ下級貴族に属する。

 本来、一介の下級貴族がより高位の上級貴族パトリキ同士の会話に割り込むなどあってはならない行為だ。

 しかし、元老院議員セナートルとは言え一応軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムでもあるアントニウスは、たとえどの軍団であろうとも最も敬意を払わねばならない相手である陣営隊長最古参兵の言を無下にするほど愚かではなかった。



「何でしょう?」


「発言をお許しいただきありがとうございます。

 サウマンディアがそうであるように、アルトリウシアもアルビオンニアも銀貨の保有量が払底ふっていしつつあります。

 現に我がアルビオンニア軍団において給料や手当の一部について、銅貨や現物での支払いが始まっています。」


「それがどうかしましたか?」


「もしも、必要な銀貨をお貸しする代わりに金貨を使わないと約束してくださったとして、これからリュウイチ様が色々なものをお買い求めになられ、我々が求められた銀貨を提供できなかったらどうなるかお考え下さい。」


「そんな何百万枚も使いますか?」


「リュウイチ様は奴隷を買うために金貨八千枚を投じようとなさいました。

 何にどれほどの価値を見出し、どれほど御所望になるか、我らには考えも及びません。」


「それは・・・」


「もしも、必要な銀貨を提供できないとなれば、リュウイチ様がいにしえのゲイマーたちのように、ようになるかもしれません。」


 これにはさすがのアントニウスも「ぐっ」と息を飲んで身を引かざるを得なかった。

 いくらアントニウスが銀貨を提供すると言っても帝都レーマから運ぶには二か月以上はかかる。それまではアルトリウシア子爵、アルビオンニア侯爵、サウマンディア伯爵らが立て替えることになるだろう。ところが、彼らの金庫には銀貨のたくわえがそれほど無いのだ。

 そうなれば、いくら提供しますと口で言っても無駄だろう。リュウイチが銀貨を自力で調達しようとし始めるのは想像に難くない。


 ゲイマーがということは、その神のごとき力を存分に振るうということ・・・それを許すことになってしまう。

 それは、降臨以上に絶対に防がなければならない事態だった。

 レーマ帝国の金貨暴落とゲイマーの暴走のどちらに重きを置くべきかと問われれば、十人中十人が後者に重きを置くと答えるだろう。


レムシウス・エブルヌスアントニウス卿、どうか誤解なさいませぬよう。

 アヴァロニウス・アルトリウシウスアルトリウス子爵はリュウイチ様を盾にして協力を拒んでいるわけではないのです。」


 アントニウスは狼狽えながらも、ラールのフォローに素直に答えた。


「しょ、承知している。

 いや、むしろ私の方が軽率だった。謝罪しよう。」

 

 アントニウスの謝罪を引きとめ、アルトリウスは頭を下げた。


「謝罪には及びません。

 むしろ、謝罪すべきは力の及ばぬ私の方でありましょう。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る