第40話 アルトリウシアからの凶報

統一歴九十九年四月十日、晩 - 青山邸執務室/サウマンディウム



 これ以上、アルトリウスに頼んでも無理であろうことは間違いない。


 別にアルトリウスは無能でもないし落ち度があるわけでもない。非協力的なわけでもない。ただ、彼の・・・というよりも、アルトリウシア子爵家のおかれた現状では問題を処理しきれない公算が高いという事なのだ。

 責任能力の及ばない事案の受け入れを拒否するのは、むしろ責任ある行動であると言える。


 しかし、だからといってアントニウスとしてもこのまま引き下がることは出来ない。彼には元老院議員セナートルとしての責任と役割があるのだし、これは前代未聞のビジネスチャンスでもあるからだ。


「ではアヴァロニウス・アルトリウシウスアルトリウス子爵、私もアルトリウシアへ御同道させてはいただけないだろうか?」


 これにはさすがに全員が目を丸くした。


「は、レムシウス・エブルヌスアントニウス卿が我がアルトリウシアへ参られるのですか?」


「不都合がおありだろうか?」


「いえ、何分突然のことですので・・・

 強いて言うのであれば、我が領は御存知の通り色々立て込んでおりますので、大貴族パトリキに相応しい御持おもしなど致しかねますが・・・」


「それくらいは御気になさらず!

 私はあくまでも公務としてアルトリウシアへ参ろうとしているのです。客人としてではありません。」


「公務でありますか?」


「そうです!

 帝国で降臨があった以上帝都レーマへ報告せねばなりませんし、いずれは帝都から降臨者リュウイチ様に対する使者もつかわされるでしょう。

 元老院セナートゥスからも代表が送られてくるはずです。

 幸い、私は元老院議員の一人、降臨者リュウイチ様に予め御挨拶申し上げる事が出来れば後々何かと都合がよろしい。帝都へ報告するにしても、私が一度御目通りしておいた方が色々便利でしょう。」


「そういう事であれば、プブリウスは本件の最高責任者だ。

 その立場からも降臨者様の人となりを把握する必要がある。」


 戸惑うアルトリウスに対しアントニウスが畳みかけるように説得を試みると、プブリウスが上体を起こし、話に割り込んできた。


プブリウスは今ここサウマンディウムを離れるわけにはいかんから使者を送り御挨拶申し上げねばならぬし、降臨者リュウイチ様について色々知らねばならぬ。

 レムシウス・エブルヌス卿は我がサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムでもあるし、サウマンディアからの使者としても行っていただこう。」


「ありがとうございます、ウァレリウス・サウマンディウス伯爵」


 いいタイミングで援護射撃を貰ったアントニヌスがプブリウスに礼を言った。


「それとカエソー、お前も行くのだ。」


「私もですか?」


 突然話を振られ、カエソーは跳ねるようにプブリウスの方へ向き直った。


「お前は私の息子で伯爵公子であり、筆頭軍団幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスだ。

 私の名代みょうだいとして、サウマンディア軍団の代表として、そして元老院議員レムシウス・エブルヌス卿の護衛として行って来い。」


「わ、分かりました。

 それでは大至急兵を集めます。」


「馬鹿者!兵なんぞ集めてどうする!?」


「いえ、レムシウス・エブルヌス卿の護衛ということでしたので・・・」


「最少の人数で良い。

 だいたい、当分の間は降臨の事実を伏せねばならぬのだぞ!?

 大勢で押しかけては秘匿のしようもなくなるではないか!

 受け入れるアヴァロニウス・アルトリウシウス子爵にも御迷惑になろうというものだ!」


「はっ、では信頼のおける数名程度を・・・」


 あれよあれよという間に話が勝手に進んでいくのを見てアルトリウスは狼狽を隠せない。


「お、お待ちください。」


「アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵、いずれにせよプブリウスも今回のメルクリウス対策の責任者として降臨者リュウイチ様には使者を送らねばならぬのだ。そして、帝都レーマへも報告せねばならん。

 アルトリウシアへもアルビオンニアへもなるべく負担にならんようにするつもりだ。どうか受け入れてほしい。」


「いえ、御趣旨はよく理解しているつもりです。拒絶するつもりはございません。

 ただ、我らの船は軍団兵レギオナリウスでいっぱいで、数名程度ならお乗せ出来ましょうが、御供の方々や御荷物などは載せきれません。

 別の船を御用意された方がよろしいかと存じますが・・・」



 公務であれ私用であれ、貴人が旅行するのに自分だけで移動するなんてことは無い。身の回りの世話をする使用人や奴隷が必ず付いて回る。だいたい、レーマの正装である長衣トーガにしたところで、使用人の補助がなければちゃんと着付けることなど出来ないのだ。

 ちなみにアルトリウスやスタティウスは今回、長衣を着付けるにあたってラールの使用人の手を借りている。

 他にも荷物や現金を運ぶ者も必要だし、護衛も必要になる。情婦だって要る。

 何だかんだでアントニウスは今回の視察旅行に七十人を超える人数を随行させていた。

 当然だが、『グリームニル』にも『スノッリ』にもそんな空きスペースなんて残っていない。



「構いません!

 一刻を争いますから、供回りや荷物などは別の船で後から送ればよろしいでしょう。」


 アルトリウスの予想よりはるかにアントニウスは積極的だった。

 普通、貴族とはもっと怠惰で快適を求めるものであり、御供を御連れできませんよとか、不便ですよとか、危険ですよとか言えばそれだけで大抵のことは断念する。

 アルトリウスは諦めて受け入れる事にした。


「そこまでおっしゃるのであれば御止めはしませんが・・・」


「まだ何か?」


 アルトリウスは一度スタティウスと顔を見合わせると、仕方ないという風に口を開いた。


「ええ、実は我々は明日一度アルビオンニウムへ戻るつもりなのです。」


「アルビオンニウムに?

 何か忘れものでもあるのか?」


 プブリウスの問いに、アルトリウスは言いづらそうに説明した。


「実は、スパルタカシアルクレティア様がリュウイチ様に御尋ねになったのです。

『降臨されたのはですか?』と」


「それは、魔法陣の有無を確認するための質問だな?」


「ええ、そうです。

 それに対してリュウイチ様は『然り』と御答になりました。

 そしてその場・・・中庭アトリウムには魔法陣など全く残されておりませんでした。」


「ふむ、それがどうかしたのかね?」


「しかし、あの軽装歩兵ウェリテスたちの自供によると、彼らがリュウイチ様を最初に発見したのは『水晶の間クリスタルム・ロクム』だったそうなのです。

 しかも、初めてリュウイチ様を発見した時、『水晶の間』の水晶球が消えていたとか・・・」


 プブリウスの顔に困惑の色が浮かんだ。


「どういうことだ?」


「おそらく、真に降臨がおきたのは中庭ではなく、『水晶の間』であろうと思われます。

 ですが、我々はリュウイチ様の言を信じ、『水晶の間』を確認しませんでした。

 ですので、一度戻って『水晶の間』を点検しなおさなければならないのです。」


「なんだそれは?

 リュウイチ様が嘘をついたという事か!?」


 プブリウスが身を乗り出して興奮気味に詰問した。

 無理もない、確認すべき重要事項を確認し損ねているのだ。あり得ない失態だ。

 もしかしたら、メルクリウスに関する手掛かりが何か残っていたかもしれないというのに、アルトリウスたちは十分な確認もせずに引き上げたのだ。

 スタティウスがすかさずフォローに入る。


「お待ちください。

 スパルタカシアルクレティア様は『中庭に降臨なされたのか』と言う意味で『こちら』と言ったのを、リュウイチ様は『こちら』が殿を指す意味だと受け取られ『然り』と御答えになられたものと思われます。

 御二方は《火の精霊ファイア・エレメンタル》を介さず、言葉で会話なさっておいででしたので、このようなすれ違いが生じたものと推測されます。」



 だが、プブリウスの興奮は治まらない。

 降臨を防げなかった・・・この時点で既にかなりな失点なのだ。そこでメリクリウスの手がかりをみすみす逃していたかもしれないとなれば、責任者のプブリウスも責めを免れるとは思えない。

 小さな誤解やすれ違いなど、理由が分かったとしてもそれが言い訳として通用するわけではなかった。



「だからと言ってだな・・・」


「まぁまぁ父上プブリウス、アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵とて気が動転しておられたのでしょう。伝説の《暗黒騎士ダークナイト》本人を目の当たりにしたのですから無理もありません。

 幸い今のアルビオンニウムは無人の廃墟。

 誰かに現場を荒らされる心配はありますまい。」


 カエソーが宥めたが逆に火に油を注ぐことになった。

 プブリウスは立ち上がって息子を叱りつけた。


「たわけ!

 メルクリウスが隠れておったらどうするのだ!?

 今頃、せっせと魔法陣を消しておるやもしれんのだぞ!!

 無人の廃墟だからこそ、奴めの好き勝手にできるのではないか!!」


 予想以上の反応に狼狽うろたえるカエソーに代わり、今度は軍団幕僚のマルクスがプブリウスをいさめる。


領主閣下メア・ドミヌス、どうか御平おたいらに!

 過ぎた事はいまさら言っても仕方ありません。

 アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵は過ちに気付き、自らそれを挽回しに行こうとしているのです。

 我らはそれをたすけ、万全を期すべきであろうと存じます。」


「・・・そうだな、騒がせてすまなかった。」


 数秒程度、プブリウスは時間を要したが何とか気を静め、列席する一同に一言詫びると肘掛け椅子カニストラ・カティドラに腰を下ろした。

 カエソーはホッと息をつくとマルクスの方をチラッと見やり、無言で軽く会釈して謝意を示してから、アルトリウスの方へ向き直って言った。


「ではアヴァロニウス・アルトリウシウス子爵、明日アルビオンニウムへ戻り、明後日再びサウマンディウムへ戻られることになるのかな?」


 もっと酷く怒られることを覚悟していたアルトリウスだったが、結果的にカエソーが代わりにプブリウスの怒りを受け持ってくれた事で最悪の時間をやり過ごせたことに半ば胸をなでおろしつつ、カエソーの質問に答えた。


「はい、そうなるでしょう。

 それまで、レムシウス・エブルヌス卿とウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子カエソーにはこちらでお待ちいただくか、別の船を御用意いただくかしていただきたいと存じます。」


「それであれば、我々も軍船を用意できようし、ナンチンの宿も手配できよう。

 レムシウス・エブルヌス卿、我らの用意する軍船にお乗りください。」


「ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子、感謝いたします。

 それではお言葉に甘えてそのようにさせていただきたいと存じます。」


父上プブリウス、そのようにしたく存じますが、軍船を使わせていただいてよろしいですか?」


 勝手に話を進めてしまったが、軍船はサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの所有ではない。領主であるプブリウスの同意がなければ、筆頭軍団幕僚であろうと勝手に動かすことは出来ないのだった。

 プブリウスが「ああ」と頬杖を突いたまま不機嫌そうに返事をするのと、扉が開かれるのは同時だった。


 扉を開いたのはプブリウスの身の回りの世話を担当する、執事のような役割の奴隷であった。彼は役目上ノックをせずに部屋に入っても良い事になっていた。

 奴隷が扉を開けて無言のまま一礼し、脇へよけると兵士が一人姿を現した。


「会議中のところ失礼します!

 急報が入りましたので、お持ちしました。」


 兵士は敬礼するとそう告げ、ササっと小走りにマルクスのもとへ駆け寄った。


「急報だと?」


 扉の向こうは既に夜のとばりが降りていた。


 やれやれ、思ったより時間が経っていたようだ。酒宴コミッサーティオを始めるにしても少し遅くなりすぎたかもしれんな。

 ああ、そうか・・・感情的になってしまったのは腹が減ったせいか?


 プブリウスがそんなことを思っていると、兵士から通信文らしきものを渡されたマルクスが表情をこわばらせ、今度はプブリウスの脇まで速足で来てひざまずいた。

 何事かと眉をひそめるプブリウスにマルクスが通信文の書かれた絹のリボンをいくつか差し出す。


「領主閣下、どうやら一大事です。」


「一大事だと?」


 プブリウスは絹のリボンを受け取ると、ロウソクの灯りで照らしながら書かれた文章を読んだ。それはアルトリウシアから伝書鳩を使って送られてきた通信文だった。


「ふむ、先ほどの予定は変更せねばならんようだな。」


 全員の注目が集まる中、プブリウスは指示を出し始めた。


「アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵、アルビオンニウムの確認調査はウチサウマンディウムから人員を派遣しよう。そなたは持てる全軍でアルトリウシアへ急行するが良い。

 カエソー、軍船は使って良いから兵を少なくとも一個中隊マニプルス、できれば一個大隊コホルスを完全武装で連れて行け。」


父上プブリウス、何かあったのですか?」


 プブリウスは通信文をアルトリウスへ渡しながら言った。


「アルトリウシアでハン支援軍アウクシリア・ハンが蜂起したそうだ。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る