ハン支援軍の反乱

第41話 ハン支援軍の蜂起

統一歴九十九年四月十日、朝 - アルトリウシア海軍基地/アルトリウシア



 レーマ帝国の最南端に位置する属州アルビオンニア。その西端にあるアルトリウシア子爵領領都アルトリウシアは東にそびえる西山地ヴェストリヒバーグの山々越しに降り注ぐはずの陽光を雲にさえぎられ、いつものようにはっきりしない朝を迎えていた。


 一口に領都アルトリウシアと言っても、アルトリウシアと名付けられた一つの都市が存在するわけではない。二つの要塞カストラ・スタティヴァと一つの軍港カストルム・ナヴァリア、そしてレーマ帝国がやってくる前から住んでいたブッカたちの村セーヘイム、それら四つを起点にこれから都市を作ろうとしていた・・・いわば都市の建設予定地だ。


 現在はそれぞれの起点同士を結ぶ道路が整備され、その道路付近の適当な平地にアルビオンニウムから流れてきた避難民たちが集落を作って住み着いている。


 今アルトリウシアと呼ばれている地域は、要塞カストルムと要塞周辺の城下町カナバエと、いくつかの貧民街。そして東の丘陵地帯に設けられた農地と、陸地総面積の大半を占める広大な湿原から成り立っていた。


 そのアルトリウシアの海軍要塞カストルム・ナヴァリアでは、現在のそこの住民であるハン支援軍アウクシリア・ハンのゴブリン兵たちが珍しい事に日の出前から汗みずくになって働いていた。



 倉庫にあった物資の積み込み作業は思っていたよりも随分と時間がかかっていた。

 本来なら夜明け前には積み込みを終わり、作戦を次の段階まで進めてなければならなかったはずだった。

 しかし、辺りはすっかり明るくなっており、辻々の食堂タベルナ軽食屋バールは朝食を食べに来た客で既ににぎわい始めている。

 人目を避けて行動を開始するつもりだったが、最早それは無理だ。


 だが、関係ない。


 アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの主力は一昨日アルビオンニウムへ行ってしまった。奴らの船が海峡を西へ進んだのを確認したと、昨日帰還した斥候が報告している。


 残る兵力のうち半数が神殿の警備強化とか言う名目でアーレ半島の先にあるトゥーレ岬へ行ってしまった。

 アルビオンニウムから船が帰ってくるには三日はかかるし、トゥーレ岬へ行った部隊も帰ってくるには丸一日はかかる。


 今アルトリウシアを守っているのは何故かアルビオンニウム遠征から置いてけぼりを食ったブッカの水兵たちと、二つの要塞の守備兵力だけ・・・どちらもまともにぶつかれば我らにとっても脅威だが、奴らは基本的に守るべき要塞から出てくることはできない。


 自由に動けるのは水兵たちだけだが、それだけなら何とでもなる。


 彼らが我々の行動を邪魔できないようにするため、町中に火を放つ準備はできている。街の西側から一斉に火の手が上がれば、アルトリウシアに残されている部隊は消火作業と住民避難に忙殺されて我々の行動へ対処できなくなるだろう。


 今日、我らは脱出する。

 船は選別代わりに貰っていく。ついでに働き手も。

 

 ハン支援軍がアルビオンニアへ派遣される際に帝国から譲られた旧式のガレアス船のうちの唯一の残存艦『バランベル』は一年半ぶりとなる出港の準備を整えつつあった。族長エラクの妻クレカとその幼子アーチルは、ハン族に残された数少ない女性たちや他の側近たちに守られながら船室で出港を待っている。


「あとは、漕ぎ手さえそろえれば出港できます。」


「うむ」


 ディンキジクの報告を受けたムズクはハン族のエラクにふさわしい威厳を持って部下たちを睥睨へいげいした。その視線の先にはダイアウルフに跨ったゴブリン騎兵二十七騎、ゴブリン歩兵百二十八名が静かに隊列を組んで命令を待ち構えている。その半数の兵士らの手には、もう夜は明けているというのに松明が握られていた。彼らは陽動部隊。

 その隣にはムズクの弟オクタル率いる二百十二名。オクタルを始め王族軍人ホブゴブリンを集中配置した本日の主力部隊だ。



「レーマは我らの草原を侵し、奪った!

 我らに文明を授けるなどと抜かし、我らから土地も、財産も、自由も、誇りも、そして家族さえも奪った!」


 兵たちは自らの王エラクの言葉に静かに聞き入っている。


「奴らが保証した栄光などどこにもありはしなかった。

 奴らは我らをたぶらかし、我らを遊び半分で勝ち目のない戦場へと送り込み、戦士の高潔な血を流させた。我らの命を弄んだのだ!!


 今やハン族の女は王族の妻子を残すのみ。もはや我らの滅亡は避けられぬ!

 ならば、何でこれ以上レーマに従わねばならんと言うのか!!


 どうせ滅亡が避けられぬのなら、せめて最後は自由を取り戻す!

 誇りを取り戻す!

 草原を駆け、支配した父祖たちのごとき栄光を、おのが力で取り戻すのだ!!


 今日、屈辱の日々が終わる!

 我らはレーマの頸木くびきを脱し、自由の地へと赴くのだ!」


 ムズクが右手を振りかざし叫ぶと、眼前に整列していたハン族のゴブリン戦士たちは喊声かんせいをあげて応える。


 もう後戻りはできない。


「すべて手筈通りだ。かかれ!」


 陽動部隊ゴブリン兵はアルトリウシア海軍要塞カストルム・ナヴァリア・アルトリウシで彼らに割り当てられていた船着き場から一斉に駆け出して行った。



 放たれたゴブリン兵たちは要塞を出ると二手に分かれ、半数ずつ南北へと展開していった。先頭を進むダイアウルフに跨った騎兵たちは後続の歩兵たちを置き去りにして全力で駆けていく。

 ポニー種に劣らぬ体格を誇るダイアウルフの脚は、その背に武装したゴブリンを乗せても鈍ることは無い。

 通行人を避け、あるいは跳ね飛ばし、ドドッドドッと馬並みの重量にふさわしく、同時に肉球独特の柔らかさを持った低く重々しい足音を響かせ突き進む。


 いくつかの集落と湿地を貫く道路を駆け抜けたゴブリン騎兵部隊は、アルトリウシア湾へ注ぎ込む四本の主要な河川、最も北のヨルク川と最も南のセヴェリ川まで来るとそれぞれ東へ転進する。その向かう先にはアルトリウシアの二つの要塞カストラがあった。


 とは言っても、彼らの目標は要塞ではない。彼らの任務はあくまで陽動である。

 レーマ帝国の城塞には必ずと言っていいほど、正面出入口に市街地が出来ている。軍団の兵站を担う商人や軍団将兵の家族らが城塞の真正面に住居や店舗を建て、いわゆる城下町が形作られる。

 ゴブリン騎兵部隊が狙うのもその城下町だ。無防備な城下町で火災を発生させ、要塞の守備兵に対応を強要することで拘束する。


 騎兵部隊が二つの要塞にたどり着く前に、彼らの後方で最初の火の手が上がった。



 ヨルク川とウオレヴィ川に挟まれたアンブースティア地区と、ヤルマリ川とセヴェリ川に挟まれたアイゼンファウスト地区・・・先刻騎兵部隊が通過したこれら二つの貧民街はどちらもアルトリウシア湾岸にある集落の中では最も規模が大きい。


 騎兵部隊が駆け抜けていった後に遅れてやってきたゴブリン歩兵部隊は数人ずつの小集団に分かれると、いぶかしむ住民たちを威嚇し押しのけながら路地裏へ散っていく。

 そして、前日のうちに雨に濡れないように仕込んでおいた藁束や油の染み込んだボロ布へ次々と火をつけて回った。


 用の済んだ松明を手近なバラックへと投げ込んで剣を抜く。

 初期消火を妨害するため、松明を持ってきていた兵士は剣で、松明を持ってこなかった兵士らは短小銃マスケートゥムで、住民を脅し、あるいは殺害していく。

 火災を大きくするため、油の入った壺や樽を見つけては壊していく。

 食堂タベルナ売春宿ポピーナなど人の集まっている場所には容赦なく投擲爆弾グラナートゥムを投げ込む。


 アルトリウシア周辺は雨が多い。基本的にいつも曇天で、晴天など週に一度あるかないかといったところだ。昨日も断続的に小雨が降っていたせいで、建材や屋外に置かれていた荷物やゴミは重たく湿っている。

 にも拘わらず、火の手はアルトリウシア湾を越えて吹き付ける西風に煽られ、着実に広がっていく。しかも、湿った木材は燃える際に大量の白煙を吐き出していった。


 爆音、銃声、悲鳴、喊声、そして火と煙とが辺り一帯を支配し、その場にいる住民たちを容赦なく混乱へと巻き込んでいく。

 無秩序に建てられたバラックは路地を迷路のように複雑にし、そこへ黒色火薬と火災がもたらす濃密な煙が充満すれば、もうどこへどう逃げればいいかなど誰にも分らない。

 見通しが効かない煙の中で爆音と銃声が鳴り響き、おびえた住民があらゆる方向から悲鳴をあげながら逃げてくる。そんな状況で自分がどの方向へ逃げればいいか冷静に判断できる人間など居ようはずもない。

 混乱は被害の実態以上の速度で爆発的に拡大していった。



 ゴブリン兵に襲撃された二つの貧民街には、それぞれ顔役とでもいうべき人物がいた。

 北側の貧民街の顔役はホブゴブリンのティグリス・アンブーストゥス、南側の貧民街の顔役はヒトのメルヒオール・フォン・アイゼンファウスト。どちらもその地区を治める郷士ドゥーチェだが、実態としてはチンピラやゴロツキどもを束ねる元締めだ。

 かつて手下を率いてアルトリウシア子爵の海賊退治に協力し、手柄を認められてアルトリウシア建設事業への参加を認められた有力者・・・いわば新興豪族である。


 異変に気付いた彼らは即座に集められるだけの手下を動員した。

 そして銃声と爆発音からこれがただの火災では無いと察知すると、かつて戦場を共にした信頼のおける部下たちに武装を命じ、自身も鎧を身に付けて武装を整えると、武装を整えて再集合した二十数名の手下を引き連れ、それぞれ自らの邸宅から出立したのだった。


 自分たちの縄張りで起きた今回の異変に対し、彼らは領主はもちろん他の誰もが期待していた以上の働きを見せる事になる。

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