第779話 召喚の理由

統一歴九十九年五月十日、昼 ‐ 『黄金宮』ドムス・アウレア庭園ペリスティリウム/レーマ



 帝都レーマへ留学中のアルトリウシア子爵家令嬢グナエウシア・アヴァロニア・アルトリウシア・マイヨルが突然、レーマ皇帝インペラートル・レーマエマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールから名指しで指名され、皇帝インペラートルの住まう宮殿ドムスへ召し出されたのはもちろんアルビオンニアで起きた降臨を受けてのものだった。

 降臨の報告を受けたマメルクスは大協約の定めに従い『魔法の鏡』スペクルム・マギクスを通じてムセイオンにいる大聖母グランディス・マグナ・マテルフローリア・ロリコンベイト・ミルフへ報告した結果、降臨者が収容されたというアルトリウシアへフローリアが直々に赴き、降臨者の人品と状況を確認することとなった。しかし、フローリアの転移魔法は過去に行ったことのある場所か、目に見える範囲にしか行くことが出来ず、フローリアはオリエネシア属州より南は行ったことが無かった。


 このため今のままではフローリアは転移魔法を使ってもアルトリウシアまで一気に移動することができない。


 そこで、まずはフローリアに先立ってフローリアの息子ルード・ミルフ二世がアルトリウシアへ行き、ルーンと呼ばれる魔石に位置情報を登録して来ることによって、ムセイオンとアルトリウシアを転移魔法で行き来できるよう下準備を整えなければならない。

 だがルードも基本的に箱入り同然で育てられたため南半球はおろかムセイオンのあるケントルムの街とフローリアの所有するダンジョン以外の場所にはほとんど出たことが無かった。せいぜい、外国の公式行事に参列するために母に連れられて出かけるぐらいで、旅先で一行から離れて外へ一人で遊びに行くような経験すら全くない。そんな土地勘の無いところへ一人で出かけたことのないルードを、近所のお使いならともかくアルトリウシアのような辺境の地へ送り出すなど、母フローリアとしては何とも心もとなかった。

 だからといってフローリア自身が直接オリエネシア属州からアルビオンニア属州まで踏破し、アルトリウシアへのゲートを開拓するような真似をさせるわけにはいかない。フローリアは世界で最も重要な人物の一人であり、決して身軽な身分ではないからだ。


 結局、ルードを送り出す以外無いのだが、そのためには辺境とはいっても現地は決して危険な場所ではないとフローリアに納得させる必要があり、そのために現地を知る人間に現地の様子を聞かせるしかないということになったのだ。

 しかしアルビオンニア属州は帝国のすべての属州の中で最も帝都レーマから遠く離れた土地である。初代アルビオンニア侯爵ヨハンがアルビオン島に初めて上陸したのが統一歴十四年、帝国がアルビオンニアに植民を開始してから八十五年しか経っていない。グナエウス・アヴァロニウス・ユースティティウスが叙爵して初代アルトリウシア子爵になったのは統一歴八十一年……アルトリウシアという地名が名付けられたのはほんの十八年前だ。現地の様子を要人に説明できるほどアルトリウシアに精通している人材はさすがに限られている。現地に赴任したことのある下級官僚たちの多くは既に別の任地へ派遣されていてレーマにはあまり残っていなかったし、下手に守旧派の元老院議員セナートルと繋がりのある人物だったりしたらフローリアがレーマに来ていたことが守旧派にバレる危険性がある。かといってアルビオンニア属州代表として活動している元老院議員は現在キルシュネライト伯爵だが、彼はランツクネヒト族であるのと同時に現属州女領主ドミナ・プロウィンキアエエルネスティーネ・フォン・アルビオンニアと個人的縁故があるゆえに今の地位に就いているにすぎず、アルトリウシアはおろかアルビオンニア属州の地を踏んだことすらなかったから全くアテにならない。

 そこで、当のアルトリウシア出身でちょうどレーマに留学していた現地領主貴族パトリキの令嬢、大グナエウシアグナエウシア・マイヨルに白羽の矢が立ったのだった。


「余がレーマ皇帝インペラートル・レーマエクレメンティウスである。

 おもてを挙げよ、アヴァロニア・アルトリウシア。」


 マメルクスがそう言うと大グナエウシアはひざまずいたまま上体を起こし、頭をあげた。もちろん、大グナエウシアの視線は正面を向けたままであり誰とも合わせてはいない。マメルクスは無言のまま目の前で跪くハーフコボルトの少女をしばらく見下ろし、わずかに逡巡してから口を開いた。


「今日は、其方そなたから其方の故郷、アルトリウシアについて話を聞こうと思ってな、こうしてしい出したのだ。

 かまわぬな?」


「はい、陛下。

 身に余る光栄と存じ上げます。

 女のわたくしでよろしければ、なんなりと。」


 そう答える大グナエウシアの声は何かが胸でつっかえているかのようであり、ひどく言いづらそうではあった。何かを恐れている、あるいは不安を押し殺しているような感じだが、かといって皇帝の御前で緊張しているというのとはまた違った印象を受ける。

 身分の低い平民プレブス貧民パウペルが高貴な貴族ノビリタスを目の前にしてひどく緊張し、このような状態になることは珍しくはない。専制君主制というわけでもなく、法によって秩序が保たれた共和制社会であったとしてもそれは同じだ。貴族という身分にある者が法の裁きを逃れることはままあったし、そうした特権の濫用によって平民や貧民を不当に死に至らしめることもまた、残念ながらレーマでは珍しくはないからだ。下手に怒らせたら殺されるかもしれない……そういう恐怖が現実的な社会では、そうなってしまうのも当然だろう。

 しかし貴族が自分より高貴な身分の者に対してとなると話は微妙に異なってくる。まして大グナエウシアは上級貴族パトリキの一員であり、アルトリウシア子爵家の庇護下にある。いくら皇帝と言えども、理由もなしに害することなど出来はしない。平民や貧民が貴族を恐れるのと同じように、大グナエウシアがマメルクスを過剰に恐れる理由など無いはずだ。あるとすれば何らかの後ろめたい事情がある場合だろうが、目の前の少女が皇帝の威光を恐れねばならぬような後ろ暗い何かを抱えているようには思えない。

 となれば、大グナエウシアが恐怖を覚えている、あるいは不安を押し殺している理由はマメルクス自身ではないのだろう。マメルクスにはその理由に心当たりがあった。


「其方は……余が其方を召し出した理由に、心当たりがあるのか?」


 普通それは、ホストが招待したゲストに対してするような質問ではない。まるで罪をとがめるかのような質問が持つ不穏当な雰囲気に、大グナエウシアは身をわずかに震わせた。そしてその潤んだ瞳を泳がせ、二度、三度とまばたきをしてから改めて頷くように首を垂れる。


「はい……陛下。

 おそれながら、質問させていただいてもよろしいでしょうか?」


 その大グナエウシアの反応に自身の予感が的中してしまったことを察しながらも、マメルクスは「許す」と答えた。


「ありがとうございます陛下……

 お言葉に甘え、質問をさせていただきます。」


 レーマの貴族はアルビオンニア属州のことになどあまり興味は持たない。帝都レーマから最も離れた辺境であり、そこが対南蛮戦の最前線であることを知らない貴族すら珍しくは無いのだ。

 名目上、対南蛮戦で主力を担うことになっている南部方面軍コミターテンセス・メリディオナリスが本当に備えているのは南蛮に対してではなく、帝国に恭順の意を示しているはずのチューアに対してであることは公然の秘密である。ゆえに、南部方面軍に親戚や家族が従軍している貴族でさえ、南蛮との戦況や実際に南蛮軍と対峙しているアルビオンニアの辺境軍リミタネイの状況には興味を抱いていなかったりする。

 そのことを大グナエウシアはこのレーマでの半年間で肌身に染みるほど感じ取っていた。貴族同士の社交の場において大グナエウシアとの会話を楽しむ貴族たちは、『白銀のアルトリウスアルジェントゥム・アルトリウス』とその妹である大グナエウシアに対して興味を持っているのであって、彼女の故郷や南蛮には何の関心も示したことは無い。せいぜい、南蛮にいるコボルトという種族について多少訊かれるぐらいである。


 それなのに皇帝陛下がわざわざ大グナエウシアわたしを召し出した……


 それが意味するところは一つしかない。大グナエウシアはそれを確かめるべく、躊躇ためらいを振り払って口を開いた。


「アルビオンニアに、《暗黒騎士ダーク・ナイト》が降臨したというのは、真実まことにございましょうか?」

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