第731話 情報収集(3)

統一歴九十九年五月九日、午後 ‐ エッケ島・エックハヴン/アルトリウシア



 一般に、貴族と庶民の違いは貧富の格差によって生じ、社会制度によって固定される。このため庶民が本気になれば貴族に実力で対抗することは不可能ではない。実際、下剋上げこくじょうはどの国でも在りうることである。貴族と庶民の身体的な能力差はそれほど極端なものではないからだ。

 しかしハン族の場合は違う。王族はホブゴブリンだがそれ以外はゴブリンだ。だから王族とそれ以外との力関係は、他の人間社会における身分制度以上に歴然としている。ホブゴブリンとゴブリンでは大人と子供ほども体力差があるため、ゴブリンに過ぎない庶民が反抗を試みたところで、実力差がありすぎて抗いようがないからだ。このため、ハン族においては王族の意向は絶対であり、ハン族の王族は命令によって庶民や兵士に無理やり言うことを聞かせ、力づくで抑え込むことは日常茶飯事だった。

 それを知っているからこそ、王族のモードゥが一言言ってやればハン支援軍アウクシリア・ハン内部で囁かれる不穏な噂なんて、簡単に揉み消せるだろうとヨンネ・レーヴィソンは考えたのだ。


 しかし、モードゥはヨンネの暢気のんきな一言を否定する。もしもヨンネが考えた通り、不穏な噂を囁くのがゴブリン兵どもならモードゥもそうしただろうが、相手がモードゥよりも上位の者となるとそうはいかなくなる。


 ハン支援軍でモードゥよりも「たっとき」奴?


「ああ、なるほど……ムズクがビビッてんのか……」


 王族より上位なのは王そのものだろうという安直な発想からヨンネがそう溢すと、モードゥはパッと目を剝きヨンネの方に掴みかからんばかりに声を上げた。


「馬鹿を申すな!!」


「!?」


 驚いたヨンネが眉を寄せ身を引くと、モードゥはハッとして姿勢を戻し、咳払いをする。


「ウッ、ウンッ……大きい声を出してすまぬ。

 だが、ムズク陛……ムズク閣下を呼び捨てにせんでくれ……」


「お、おう……」


 どのような貴族社会であれ序列は絶対だ。ましてそれが貴族の頂点に立つ王ならばなおのこと、うやまわねばならない。自分自身の身分も、王の権威に依存するからこそ保障されるからだ。

 モードゥは王族であったし、王族である以上は王族の一員として自分より上位の王族の名誉は守らねばならない。このため、ディンキジクの名誉を守るためにあえて「誰が」をぼかして話をしたつもりだったが、そのせいであろうことかハン族の王たるムズクに不名誉の疑惑がかかってしまった。モードゥは自らの軽卒を悔いつつ、同時にヨンネの不躾ぶしつけを恨んだ。

 取り乱してしまった二人は揃って姿勢を改めると話を続ける。


「言っておくが、ムズク閣下ではない。

 閣下は冷静沈着で考えの深い御方だ。

 サウマンディアの軍団レギオーが丸ごと現れたとしても、慌てふためいたりせぬ。」


「へぇ……次、小麦だ。」


「うむ、小麦だな……


 ……気にしておられるのはディンキジク様だ。」


 モードゥは降ろされる積み荷の確認を続けながら、思い切ったように打ち明ける。このままムズクに不名誉な疑いがかかったままでは、それが万が一ハン族の他の誰かの知るところとなれば、ハン支援軍における彼の立場が無くなってしまいかねない。


「ああ……なるほど……」


「言っておくが、ディンキジク様とて決して臆病なのではないぞ?

 ディンキジク様は我らハン族の、ハン支援軍アウクシリア・ハンの存続に心を砕いておられるのだ。

 ゆえに、その脅威となるものが現れたりせぬか、常に細心の注意を払い続けておられるのだ。」


 物は言いようだな……ヨンネはモードゥに気づかれぬように小さくため息をつく。ヨンネに言わせればそれはビビッてるのと大して変わらないのだが、貴族ノビリタスという奴が体裁や体面を気にするのはどこも同じらしい。

 呆れるヨンネに気づくこともなく、モードゥは話を続ける。


「ディンキジク様は何故この時期にあれだけの艦隊がアルトリウシアへ来たのか、その目的は何なのかを随分と気にしておられる。

 このままディンキジク様に疑心暗鬼ぎしんあんきおちいられて困るのは我々も其方そなたらも同じであろう?」


「次、干し肉だ。」


「うむ、干し肉だな……

 私とてハン族とアルトリウシアの平和と安定を願っておるのだ。

 ヘルマンニ殿の側近である其方そなたなら、あの艦隊のことぐらい知っていよう?」


「まあね。」


「なら教えてくれ。

 あの艦隊のことがわからなければトゥーレスタッドへ行って直接調べるよう、ディンキジク様から命じられておるのだ。」


「行けばいいじゃないか……」


 そんな簡単なことで何を大袈裟おおげさな……ヨンネの口調にはそんななさに染まり切っていた。そして、そうであるがゆえにモードゥを失望させる。

 モードゥは天を仰ぐように視線を上げて大きく息を吸い、そして如何にも残念そうに身体を脱力させながらハァ~~~っとため息をついた。


「意地悪を言わないでくれ、ヨンネ殿。」


 まるで駄々っ子の我儘わがままに困り果てた父親のような態度である。ヨンネからすると駄々っ子なのはモードゥの方で困らされているのはヨンネの方なのだが、モードゥにとっては違うらしい。


「私とて暇ではないのだ。

 この補給物資を受け取ったら倉庫に運び込まねばならないし、そのあとは倉庫に残っている物資を点検せねばならん。

 とてもではないがトゥーレスタッドまで行って話を聞いて帰ってくるような時間など、私にはないのだよヨンネ殿。」


 しまいにはショボショボと同情でも買うように愚痴り始めたモードゥに、ヨンネは少しばかり驚いた。


「アンタがそんなことしてんのか?」


「……そうとも。

 ゴブリン兵どもときたら全く油断がならんのだ。

 隙を見つけると勝手に食料などを勝手に持ち出してしまったりするからな。

 だからムズク閣下の信任厚き私が帳簿を預かり、毎日こうして物資を管理しておるのだ。」


 意外そうに尋ねたヨンネに答えるモードゥの態度は愚痴をこぼしていた時よりもどこか自慢げであった。

 実際のところ、モードゥはそこまで厳格に物資を管理しているわけではない。むしろ、補給物資を管理する役目であることをいいことに、横流しや横領などを積極的に行っているクチだ。物資を着服し私腹を肥やしたり、あるいは他の王族に横流しして自分の立場を守ったりするのは日常茶飯事だったが、そうした不正を行っているのが管理者自身なのだから帳簿を誤魔化すのはお手の物である。まずバレることはない。仮に誤魔化しきれなくなったら適当なゴブリン兵に罪をなすり付ければ良いのだ。ただ、それをしっかりやるためにこそ、帳簿は毎日しっかり管理せねばならない。


「そういやアンタ、字ぃ読めるんだな?」


「当然だろ?

 読むだけではない。

 書くことだってできるぞ!?」


 ヨンネが何を気にしてそんな質問をするのか、その意図に気づかないままモードゥはフフンッと得意げに胸を張る。だが、ヨンネの次の一言でモードゥのその得意げな態度は固まってしまうのだった。


「じゃあイェルナクが作ってた捕虜の名簿、アンタも作れるんじゃないのか?」

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