第167話 御大尽遊び

統一歴九十九年四月十六日、晩 - 《陶片》満月亭/アルトリウシア



 一体ありゃあ何の行列だい?



 その時、『満月亭ポピーナ・ルーナ・プレーナ』のフロアにいた者たちは、その行列に加わっていた本人たちを除く全員が、客はもちろん店員たちも同じように思っただろう。

 その行列が厨房から姿を現した瞬間から、物静かだった店の空気ががらりと変わる。


 先頭は緋色の髪スカーレット・ヘアーの娼婦リュキスカ。両手に銀の酒杯キュリクスを持ち、まるで小躍こおどりするように身体をくねらせ、薄絹のトゥニカから透けて見えるその豊満な尻とフリフリ、乳房をユッサユッサと揺らしながら満面の笑みで歩いくる。

 その後ろには十二、三歳ぐらいの肌の黒いヒト種の可愛らしい少女がやはり満面の笑みで一抱えほどもある手洗い壺レベースを二つ重ねて持っている。ニッコリ笑ったその唇は、先ほどリュキスカに塗ってもらったばかりの真っ赤な口紅で輝いている。

 さらにその後ろにブッカやホブゴブリンの娼婦たちが料理の乗った銀の皿を両手に一つずつ掲げ持ち。最後尾には普段店の用心棒をしているブッカ、ホブゴブリンそしてコボルトのごっつい男たちが混酒器クラーテール酒壺アンフォラ、予備のテーブルや腰掛けを抱えて付いてくる。

 全員がリュキスカほどではないにしろ、ニッコニコの笑顔を顔面に張り付け、喜びを全身で表すかのように身体をリズミカルにゆすりながら歩く。BGMに『聖者の行進』でもかけたら、さぞやマッチすることだろう。

 あいにくと楽団はいないが、彼らの小気味よい足音はフロア中に鳴り響いた。そしてまず音で、そしてその姿で、店中の注目を集めた。


 店中の視線を浴びながら行列を引き連れたリュキスカは店のフロアの一番いい席へと進む。そこには先ほどこの行列が運ぶ酒肴しゅこうを注文した張本人が座ったまま待っていた。


『いや・・・え?・・・はっ!?』


 店の中でこの行列の登場に一番驚いているのは外ならぬ彼自身だった。その正体はもちろんリュウイチである。

 彼は目立たないようにちょっとだけ飲んで、ちょっとだけ女を抱いたら目立たないようにとっとと帰るつもりだったのだ。なのに店に入ったとたんに何故か店中から注目されるし、手持ちの最少額の小銭でテキトーに頼んだらこの大行列で再び店中の注目を集めている。


 え、何か間違った?

 ひょっとして銀貨のつもりで金貨を渡しちゃったか!?

 いや、そんなはずは・・・



 リュウイチの戸惑いを他所よそに、リュキスカは普段ルクレティアがしているようにリュウイチの横に立って行列のメンバーらに指示を出し始める。

 まずテーブルを持って来た男たちがリュウイチの前のテーブルに繋ぐように、同じ正三角形のテーブルを並べて置いてテーブルを正六角形にした。

 そこにブッカやホブゴブリンの娼婦たちが料理を並べ、リュウイチに愛想をふりまいては脇に避けていく。

 その向こうでは混酒器クラーテールが置かれ、リュキスカが手に持ったし布をパッと混酒器クラーテールの口に広げると、酒壺アンフォラを持ってきていた男たちが混酒器クラーテールに『ギリシャ風』ワインを注ぎこむ。

 ある程度ワインを注いでし布を一旦けて、十分なワインが入った事をリュキスカが確認すると、し布を本格的にけて今度は水を注ぎ入れる。

 その間に別の男がリュウイチの横に腰掛を置き、その上に女の子が手洗い壺レベースを置くと、また別の男が手洗い壺レベースに水を注ぎ入れる。

 すべてが終わってから正六角形になったテーブルの中央に銀の燭台が置かれ、ロウソクに火が灯されると、行列に加わっていたメンバーがサッと横一列に並んで一礼をした。


『は?あ、え?』


「どうかしたかい?」


 混酒器クラーテールから柄杓を使って酒杯に酒を注ぎながら、リュキスカが笑みを浮かべたまま訊ねる。


『いや、俺こんなに頼んだ?』


「頼まなきゃ出て来るもんかい。」


 リュキスカはアハハと笑ってからそう答えると、ワインの入った銀杯キュリクスをリュウイチの前にコトンと置いた。


『え、彼らは?』


「そりゃ、ここの店員と娼婦たちさ。きまってるだろ?」


『あ、ああ・・・いや、そうか・・・あ、そうだチップ』


「「「「「え!?」」」」」


 既に手間賃チップを貰っている彼らだったが、彼らが驚くのとほぼ同時くらいにリュウイチはデナリウス銀貨を取り出し、全員に一枚ずつ手渡しはじめた。

 その様子に店中がざわめき始める。

 

「ありがとうございます旦那様ドミヌス!」


 受け取った全員がイチイチ大袈裟にそう言って顔をほころばせる。娼婦たちに至っては抱き着いてオッパイを押し付けながらキスまでしてくる始末だった。

 最後に手洗い壺レベースを運んでくれた女の子にも銀貨を一枚渡す。


「ありがとうございます、貴族パトリキ様」


 女の子はそう言うとスカートの裾を持ち上げて上品にお辞儀した。すると後ろの娼婦たちがたしなめる。


「これ、ハンナ!

 こういう店では身分の高い人は全部なんだから、どんなに偉い人でも御自身で身分を明かされるまでは全部『旦那様ドミヌス』ってお呼びするんだよ!」


 背後からたしなめられた少女は慌ててリュウイチに向き直りお辞儀しなおした。


「ごめんなさい、パト・・・旦那様ドミヌス。」


『いいんだよ、気にしないで。お仕事がんばって偉いね。』


 少女は申し訳なさそうにしてたが、リュウイチからそう優しく声をかけられるとニコッと笑ってありがとうございますと礼を言った。

 その後、リュキスカが手で帰っていいと合図すると、全員がもう一度笑顔で一礼して散っていった。

 女の子を視線だけで見送りながらリュウイチが尋ねる。


『あんな小さい子もこの店で働いてるのか?』


「え?ああ、ハンナかい?

 そうさ。身寄りを亡くしちまってね、妹と食っていくためにここで働いてんだ。

 いつもは皿洗いやってるけど今日はチップをはずんでくれる御大尽おだいじんが来てくれたからね。特別に給仕も手伝ってもらったのさ♪」


 いつの間にかリュウイチの隣の席に座ったリュキスカが答えた。


『そこまで大盤振る舞いした?

 俺、なんか変?』


 店に来て以来やたら注目を集めてしまっている事が気になったリュウイチがリュキスカの方を向いて尋ねると、リュキスカは目を丸くして見つめなおし、数秒後ブッと噴き出したかと思いきや盛大に笑い始めた。

 《レアル》日本の金銭感覚で言えばリュウイチの行為は平均客単価千円程度の店でメニュー表も見ずに一万円出して「これで小腹を満たす程度のを、おつりはチップだ」と言った上に店員全員にさらに一万円ずつチップを振る舞ったようなものだ。もしこれでリュウイチが貧相な恰好でもしていれば、店の方で遠慮した上で「やめといたほうがいいよ」と忠告していたかもしれない。


「アッハハハハハハ。

 いや、気にしなくていいよ!

 この店の客はここ最近しみったれたヤツばかりでね、チップもろくに払いやしないんだ。アンタみたいに気前よく払ってくれる客は今や珍しくなっちまったのさ。

 さあ、せっかく持って来たんだ。飲むなり食べるなりしなよ。」


『あ、ああ』


 さっそく酒杯キュリクスを手に取って口に運ぶ。一口、口に含んで思わず眉をしかめかけた。


 うわ、すっげー甘い。

 そういやこっちで出される上等なワインって全部甘いな・・・最初からビールって頼めばよかったか?

 ジュースとしては不味くはないけど、悪酔いしそうだな・・・まあこの身体はいくら飲んでも酔わないみたいだからいいか・・・。


「ま、不味かったかい?」


 リュキスカが心配そうに尋ねる。


『いや、甘いなって思って・・・』


「甘いの苦手なのかい?」


『そういう訳じゃないけど、飲み物が甘いと料理は甘く無いのがいいかな・・・』


「えぇーっ!飲み物も食べ物も甘い方が贅沢じゃないのかい!?

 んー・・・貴族パトリキ様ってのはやっぱ違うのかねぇ・・・

 なら、この燻製ハムシンケンはどうだい?」


『ああ、ありがとう・・・うん、コレ旨いね。』


「そうかい?

 よかった、どんどん食べとくれよ。

 そうだ・・・」


 リュキスカが顔をグイって寄せてくる。


『?』


 リュキスカはやや神妙な様子で小声で訊ねた。


「アタイも御相伴ごしょうばんにあずかっていいかい?」


『ん?ああ、いいよ。どうぞどうぞ。』


 どうせ食べきれないであろう量の御馳走を振る舞い渋るほどケチなリュウイチではない。リュキスカもそれを見越して自分用の酒杯キュリクスを既に用意していた。


「やった!」


 リュキスカはそう喜んで言うと早速自分の酒杯キュリクス混酒器クラーテールとは別の素焼きテラコッタ水差しヒュドリアから飲み物を注いだ。


『ん?それは?』


「これかい?ただの酢水ポスカだよ?」


『酢水!?

 ・・・旨いの?』



 生水は飲み物としては非常に危険な存在である。病原体が多数生息し、下手に飲めば腹を壊し、最悪の場合死ぬこともあり得る。だから水に少量の酢を混ぜて殺菌し、水を無害化して飲む・・・それがポスカである。旅行中の旅人や貧乏人が飲むための飲み物で、当然ながら美味では断じてない。

 幼い子供なんかだと口に入れた途端に吐き出して泣いて拒絶することもある。



「アッハハハハハハ、酢水ポスカが旨いわけないじゃないか!

 飲んでみるかい?」


 リュウイチはリュキスカの差し出した酢水ポスカを一口飲んで顔をしかめた。

 以前勤めていた会社の同僚が健康のために酢飲料をよく飲んでいた。あれはたしかリンゴ酢などの果実酢を水で割って蜂蜜を加えて自分でつくったとか言っていたもので、割とおいしかった記憶がある。

 それを想像していたリュウイチだったが、今口に含んでいるのはそんなジュースとは比べ物にならない味だ。

 普通の水に薄い酢が入ってるだけで、むせて飲めないほどキツイわけでは決してないのだが、糖分などで味を調えているわけでもないので味はそれだけである。しかも、使われている酢はアルコールの飛んでしまったワインだ。好んで飲みたいとは誰も思わないだろう。


『んっ・・・これ飲むくらいならワイン飲んだら?あるんだし・・・』


「ん、ありがたいけど遠慮しとくよ。

 お酒飲むと次の日、子供がオッパイあんまり飲んでくれなくなるからね。

 どうも、お酒飲んだ後はオッパイが不味くなるみたいでさ。」

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