第770話 宿命の平和主義

統一歴九十九年五月九日、午後 ‐ 『黄金宮』ドムス・アウレア聖堂サクラリウム/レーマ



 大聖母グランディス・マグナ・マテルフローリア・ロリコンベイト・ミルフの言い分はかなり大袈裟おおげさなように思える。

 たしかにゲイマーガメルの強力な魔法やスキルが振るわれることによって戦乱が拡大し、世界を荒廃させたことは否定のしようのない歴史的事実だ。戦後に定められた国際法たる大協約もそうした事実認識に基づき、二度とゲイマーの力に頼ってはならないという教訓から降臨の阻止を至上命題として掲げているのである。そのゲイマーたちと程度の差こそあれ同じ力を持つ彼女の息子ルード・ミルフがその強大な力を振るえば、結局同じ悪夢が繰り返されてしまう……そのように懸念したとしても、そこに根拠がまるでないというわけではない。


 だが、ルードが言ったのは盗賊などに襲われた場合に盗賊たちを返り討ちにするという程度の話だ。現実的に想定できる範囲で言えば、相手は十人も居ないだろう。盗賊なんて多く見積もっても数十人程度であり、百人や二百人といった規模の犠牲者が出るわけではない。いくら見た目が十代半ばの少年とはいえ実年齢百歳を超え、他のゲイマーの子たちの指導役を務めているルードが、そんな膨大な被害が発生するような大魔法を見境なく使うとは想像しがたい。

 まして相手が盗賊だというのならそいつらを退治したとしても、それはむしろ称賛されるべき善行であろう。仮に間違って殺してしまったとしても、おそらく現地の領主や治安担当者はルードをとがめたりはしないはずだ。逆に礼を言い、謝礼金ぐらい包んで渡してきたとしても不思議ではない。


 しかしそれでも、フローリアがかたくなにルードが外でゲイマー譲りの力を行使することをいましめるにはそれなりの背景があった。彼女の立場である。


 大戦争は正体不明の……おそらくゲイマーの一人と思われる怪物 《暗黒騎士ダーク・ナイト》によって世界中のゲイマーが一掃されたことを機に終結した。世界を二分して戦ったレーマ帝国と啓展宗教諸国連合は、その時決戦の地となっていた今のケントルムを中立地帯と定め、そこより東と西で互いの領域を分け合った。そしてその後の世界秩序構築のために話し合う過程で、ゲイマーの力こそが大戦争の原因であったと結論付けられ、ゲイマーの排斥と降臨を阻止すべしという機運が急速に高まっていった。

 ゲイマーの多くは《暗黒騎士》に討ち取られており、二度と復活しなかった。おそらく殺されたのだろうというのが世界の共通認識である。だが少数ながら生き残っていたゲイマーも居た。ただ、彼らはゲイマーとしての力を失っており、只の人間になりおおせていた。最も力が残っていた者でさえ、ゲイマーではない降臨者の血を引く聖貴族コンセクラトゥムと同程度の力しか持っていなかった。

 結局、生き残ったゲイマーたちは、もうかつてのゲイマー達ほどの脅威ではないと見做みなされ、ゲイマーの排斥と降臨の阻止はいよいよ世界共通の基本方針として定める方向へと世界は動いていく。


 フローリア・ロリコンベイト・ミルフが世界の注目を集めたのはそういう時期だった。

 彼女の夫は大戦争が始まって間もない頃、戦乱の世界に嫌気がさしてこの世界ヴァーチャリア再臨ログインしてこなくなっていた。その後彼女は自らの妊娠に気づき、一人でルードを出産する。ハイエルフだった夫の血を引く息子はもちろんハーフエルフだった。そして、ハーフエルフの赤ん坊はとにかく成長が遅かった。

 老い始める自分と成長の遅い息子……このままでは息子が十分に成長しないうちに自分は死んでしまうだろう。誰も知る者の無い世界にたった一人、幼い子供を残して死んでしまうことに恐怖を覚えた彼女は、かつて夫と共に攻略して我が物としていたダンジョンにこもり不死化の研究に没頭……その研究は成果を結び、フローリアは生きながらにして自らをアンデッドと化し、悠久の時を生きるであろう息子と人生を共にする目途を立てたのだった。

 

 自らのアンデッド化に成功したフローリアはこのころヨチヨチ歩きをするようになっていたルードに社会性を身に着けさせるため、ダンジョンを出て近くの村人たちと交流するようになっていた。

 世界はその彼女の存在に気づき、一斉に注目しはじめたのである。

 ゲイマーの血を引き、ゲイマーを夫に持ち、ゲイマーと共に活躍し、その子を産んだ実力者……気づけば彼女は世界で唯一残った、ゲイマーに匹敵する脅威だったのだ。


 彼女を、そして彼女の息子をどう扱うべきか?


 その問題に対して世界がどのような答えを出すかはフローリアにとってとてつもなく重大な関心事だった。下手したら全世界が自分と息子の敵になってしまうかもしれなかったからである。


 いくら世界最強の実力を持っていたとしても全世界を敵に回して生きていけるわけがない。召喚モンスターやアンデッド・モンスターを操り駆使してダンジョンにでも立てこもれば生きていくことだけはできるかもしれない。だがそれでは自分は事実上の魔王になってしまう。

 世界中の恐怖と敵意を一身に集めながら、暗いダンジョンに引きこもって孤独に暮らす?……冗談ではなかった。自分一人ならともかく、まだヨチヨチ歩きしか出来ない息子に、罪のないいとし子に、可愛いルード・ミルフ二世に、そんな絶望的な人生など歩ませるわけにはいかない。


 フローリアは立ち上がった。

 息子が明るく幸福な未来を生きられるようにするため、彼女は世界に訴えたのだ。自分たちは決して世界の脅威にはならないと。戦乱は二度と起こさせないと。

 だが彼女のそうした努力はなかなか実を結ばなかった。世界はさすがにゲイマーに匹敵する実力を有する彼女をいきなり排除しようとはしなかった(したくてもできなかった)が、しかし実力差の大きすぎる彼女のことを簡単に信用することもしてくれなかったのだ。


 必死の努力も虚しくなかなか世界に受け入れてもらえなかったフローリアだったが、思いもかけず転機が訪れる。

 ちょうどその頃、世界の各地でゲイマーの血を引く子供が生まれていたのだ。そして生まれながらにして大人の聖貴族を上回る魔力を有していた彼らは、赤ん坊ゆえに魔力を制御することが出来ず、暴走させてしまう事故が相次いで発生し始めていた。

 寂しさに、闇夜の暗さに、お乳欲しさに、オシメの不快感に、ことあるごとに感情を爆発させる赤ん坊はそのたびに泣き声と共に魔力を放出していた。そしてその放出した魔力に近くの精霊エレメンタルが反応し、何らかの現象を引き起こしてしまうのである。時にそれは大爆発を起こすこともあったし、寝室を水浸しにすることもあったし、家をジャングルに変えてしまうこともあったし、家をまるごと突風で吹き飛ばしてしまうことすらあった。そしてそれによって人が死んでしまうこともあったし、不幸にして赤ん坊自身が死んでしまうこともあったのである。


 各国はそうした事故の対応に苦慮していた。

 国中の聖貴族を動員し、赤ん坊が放出する魔力を外からなんとか制御するようなことも試みられていた。何せゲイマーの血を引く赤ん坊である。その実力は既に明らかだ。ゲイマーは我儘わがままで気分屋で言うことを聞かせるのは簡単ではなかったが、赤ん坊からしっかり育てあげれば国を愛し、国家に忠実で、社会に奉仕する善良な存在になってくれるであろうことが期待できる。


 ゲイマーの実力を持ちながら国を大事に考え、社会に奉仕してくれる存在……それはまさにこの世界ヴァーチャリアで最も望まれる存在である。その存在価値は山よりも高く、期待できる可能性は海のように広い。

 しかし、それも無事育て上げることが出来ればの話だ。


 ただでさえ理性の利かない赤ん坊が、大人が数人がかりでも抑え込めないほどの魔力をひっきりなしに放出してくれるのである。おまけにそれだけの魔力を抑え込めるだけの実力を持った聖貴族の数は非常に限られていた。

 どれだけ完璧に態勢を整えたところで育児は簡単ではない。赤ん坊はよくわからない理由でほぼ一時間置きに泣きわめき、そのたびに魔力を放出する。そして毎回ではないにしろ、放出された魔力に精霊が反応し、時にとんでもない事故が発生してしまうのだ。いくら実母である聖女サクラや魔力に覚えのある聖貴族が付きっ切りで面倒を見ていても、とてもではないが対応しきれるものではなかった。赤ん坊が一回泣き止むまでに、対応にあたっていた母親や大人の聖貴族たちがそろって魔力欠乏を起こしてしまうことも珍しくなかったのだ。

 せっかく抱えた金の卵ではあったが、結局どの国でも持て余していたのである。


 世界各地でそのようなことになっていることを知ったフローリアは奮い立った。


 私なら対処できる!息子だってここまで育てた!

 ゲイマーの子たちを一か所に集めてくれれば、全部まとめて私が面倒を見る!


 その提案も、だがなかなか受け入れては貰えなかった。自国の未来がかかったゲイマーの血筋を、国外に送り出して外国の一人の女に任せることに何の警戒心も抱かない者など居なかった。まして彼女はレーマ帝国の出身者で、おまけにアンデッド化していたことから、啓展宗教諸国連合側の警戒感は非常に強かった。

 それでもフローリアは粘り強く説得を続ける。


 私は絶対に世界の脅威にはならない。二度と戦乱を起こさせない。

 預かった子供たちも平和を愛するように、戦争には加担しないように育てる。


 フローリアは必死だった。息子ルードのことももちろんある。だが、息子ルードと同じ境遇の子供たちを何としても救いたい……その思いが強かったのだ。

 そしてフローリアの必死の訴えがやがて受け入れられ、さまざまな妥協が成された結果、子供たちをムセイオンに収容し、そこでフローリアが育児を行うことを認められたのだった。


 しかし、それですべてが解決したわけではない。

 どの国もフローリアに対する警戒を完全に解いたわけではなかったし、ムセイオンには各国から監視役とでも呼べるような者たちが多数送り込まれてもいる。フローリアは自身が必死に訴えた「私は決して世界の脅威にはならない」「戦乱は二度と起こさせない」ということを、常に実現し続けることで世界の信用を維持することを宿命づけられてしまったのだった。

 そして、そうであるからこそ、息子ルード・ミルフ二世が外で戦闘力を振るうことに、これだけ過剰に反応しているのである。

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