第771話 現地の懸念

統一歴九十九年五月九日、午後 ‐ 『黄金宮』ドムス・アウレア聖堂サクラリウム/レーマ



 大聖母グランディス・マグナ・マテルフローリア・ロリコンベイト・ミルフの唱える平和主義がかなり過剰であることは、彼女と接したことのある者ならば誰もが思うことである。それは彼女の境遇や立場からすればやむを得ないものではあるが、それを正しく理解できる者はどこにもいない。ただ、彼女が大聖母グランディス・マグナ・マテルフローリア・ロリコンベイト・ミルフという偉大な存在であるがゆえに、大っぴらに批判されることなく(少なくとも表面上は)尊重されているに過ぎない。もし、彼女が何の力も立場も持たないごく普通のどこにでもいる女性の一人であったなら、彼女の言い分は一笑にされたことだろう。

 実際、この場にいるレーマ皇帝インペラートル・レーマエマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールも、彼女の実の息子であるルード・ミルフ二世も、そして彼女に育てられた子供の一人であるロックス・ネックビアードも、ある程度は理解してはいても正しくすべてを理解できていたわけではなかった。

 フローリアの現実離れした言い分にマメルクスは頭痛を堪えるような苦笑いを浮かべつつ、自らの内側に沸き起こりつつある苛立いらだちを抑えながら説得を試みる。


大聖母グランディス・マグナ・マテル様、暴力に訴えてくる暴虐の徒にどのように対処すべきかも、誰もがいつかは学んで身につけねばなりません。

 大きすぎる力を使うのを戒めるのは確かに大切ですが、かといって力の振るうことを避け続けていては、いつまでたっても力を正しくぎょする術を身に着けることはできないのではありませんか?」


 だがフローリアはルードの方に顔を向けたまま目だけをキッとマメルクスに向ける。


「練習はムセイオンか私のダンジョンでやればいいのです。

 実戦を経験しなければならないということはありません、陛下。」


 その声にルードに話しかける時のような優しさ柔らかさは無い。レーマ皇帝であるマメルクスに対してこのような態度を取れる女性は世界でも彼女だけであろう。


「そういえばミルフ殿は大聖母グランディス・マグナ・マテル様と共に聖貴族コンセクラトゥムたちへの戦闘の指導役を務めておられるそうではないですか!?

 ならば盗賊ごときの相手で失敗などすることもないのではありませんか?」


「そうです母上マテル

 確かに返り討ちにしてやるとは言いましたが、別に殺すつもりで言ったわけではありません。」


 マメルクスが参戦したことで第三者の目があることを思い出したのであろう、フローリアの口調や態度は幾分か平静さを取り戻していたのだが、それはあくまでも他所様よそさまにみっともないところを見せたくないという心情から抑制が働いただけにすぎなかった。しかし、フローリアが冷静に話を聞き入れる態度を示していると勘違いしたルードがしつこく言いすがるとフローリアは再び反発する。


「そんなの当たり前です!!」


 母の姿勢が軟化したわけではないことに気づいたルードはたちまち閉口する。しかしフローリアの勢いは止まらない。いや、マメルクスの存在を気にして多少の抑制は働かせてはいたが、勢いを殺しきれずsそのままルードへ説教を続けてしまう。


「でもあなたは聖貴族コンセクラトゥムしか相手にしたことないじゃないの!

 普通の人間は弱いのよ!?

 貴方が思ってるよりずっと簡単に死んじゃうんですからね!?」

 

 ここへ来てマメルクスはどうやら話が噛み合っていないことに気がついた。フローリアはルードが危険な目に遭ってしまう事を恐れているのではない。不慣れな俗世間で予想外な状況で力を使ってしまい、うっかり相手を殺してしまうことを、それによってルードを始め彼らゲイマーの血を引く聖貴族たちが世間から危険視されてしまうことを恐れていたのだ。


 くそっ、ややっこしいな……


 うつむき、頭を抱えるようにして指先で眉間をゴリゴリと掻いたマメルクスはハァーッと大きくため息をつきながら顔を上げた。


大聖母グランディス・マグナ・マテル様」


 さきほどまでと違うマメルクスの声に気づいたフローリアたちの視線が集まる。


「では、ミルフ殿に護衛を付けるのはいかがでしょう?」


「護衛ですって?」


「ミルフ殿、先ほどの転移魔法で誰かを連れて行くことはできますか?」


「え……

 一緒に転移するということでしたら、一人とか二人ぐらいでしたら……」


 訊き返すフローリアを無視してマメルクスがルードに問いかけると、ルードは戸惑うように一瞬、フローリアや同席しているロックス・ネックビアードの顔を見てから答えた。明らかに意味が分からないと言った様子である。


大聖母グランディス・マグナ・マテル様、余の方で護衛となるものを御用意いたしましょう。

 ミルフ殿にはその者を伴ってアルトリウシアまで行っていただく……それでいかがでしょうか?」


「護衛って……」


 フローリアはハッ、ハッと断続的に失笑を漏らした。真面目な話なのか冗談なのか判断ができず、笑うべきか抑えるべきか迷っているのだろう。


「ルーディに護衛なんて、失礼ですけど、ルーディはゲイマーガメルに匹敵する程度の実力はあるんですのよ?

 そのルーディを守れるほどの強者が帝国に!?」


 ルードはフローリアを除けばこの世界ヴァーチャリアで最も強い魔力と実力を有するハーフエルフである。彼一人でムセイオンにいる他のハーフエルフを複数同時に相手にすることができるほどだ。そのルードを守り、面倒を見てやれる存在は世界広しと言えども自分一人……そういう自負がフローリアにはある。実際、ルードが産まれてからルードをあらゆる面で守りはぐくみ続けてきたのは彼女を置いて他にはいない。それ以外の者などいかなる面においても取るに足らない存在でしかない。

 レーマ帝国にはゲイマーの子として生まれ、ムセイオンで育てられ、成長してフローリアの元から巣立っていった聖貴族が何人かいる。その彼らにしてもルードを守るには力不足なことは否めないだろう。マメルクスにルードを守るに足る実力者を用意することなどできるはずがないのだ。

 にもかかわらず護衛を用意すると言う……それは、今までルードを守ってきたのは自分だというフローリアの自負心を刺激するものだった。


 いかにも腹立ちを抑えているという雰囲気のフローリアに対し、マメルクスは苦笑いを禁じ得ない。


大聖母グランディス・マグナ・マテル様は勘違いをなさっておられる。」


「私が勘違いですって?

 一体何をどう勘違いしているというのですか、陛下?」


 マメルクスは冷静になるよう求めるためにかざした両手を下ろし、上体をやや前のめりにした。


「余に用意できる護衛はもちろんです。」


 それを聞いた途端、それ見たことかとまるで下らない冗談のネタばらしでもされたように口をへの字にして身体を引いた。


「ですが、盗賊などの相手をするにはで十分でしょう?

 ルード殿にその手をわずらわせないようにするための護衛であって、これから相手せねばならぬ降臨者様から守るための護衛などではないのですから。」


 そうでしょ?とマメルクスが右の口角を吊り上げると、フローリアは視線はマメルクスへ注いだままいぶしむように顔を逸らした。

 ルードはひょっとして行けるのか?と目に期待を浮かべながらひっきりなしにマメルクスとフローリアを交互に見ている。彼自身、ムセイオンの外へ出たいという欲求があるのかもしれない。マメルクスの知る限りではルードは他のムセイオンで暮らす聖貴族たちと同様、基本的にムセイオンの中だけで暮らし、たまに何らかの公式行事でフローリアに付き従って外出する以外はフローリアのダンジョンにしか出かけられないはずだった。


「ホントにそれで十分でしょうか?」


 藪睨やぶにらみにマメルクスを見据えながらフローリアは怪訝そうに尋ねる。


「と、いいますと?」


 フローリアへの説得に自信を持っていたマメルクスは茶碗ポクルムを再び手に取るとリラックスするように上体を背もたれへ預け、鷹揚おうように訊き返す。フローリアは円卓メンサに置かれたままになっていた手紙をわざとゆっくり手に取り、意地悪そうに尋ねた。


「この手紙によれば現地では戦が起きているそうではありませんか。

 ほら、ハン支援軍アウクシリア・ハンとかが叛乱を起こしたとか……」


 マメルクスは姿勢はそのままにジッとフローリアを両目で正面に見据えながら、香茶を啜る。その表情に目立つような変化はない。


「現地で戦が起きているのであればが一人二人、護衛に付いたところでルーディの安全が守られるとは、残念ながら思えませんわ。」

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