第769話 大聖母の制止

統一歴九十九年五月九日、午後 ‐ 『黄金宮』ドムス・アウレア聖堂サクラリウム/レーマ



「ダメよ、ルーディ!

 いけません!!」


 息子ルード・ミルフ二世がレーマ皇帝インペラートル・レーマエマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールに転移魔法についての説明を終えたところで、大聖母グランディス・マグナ・マテルフローリア・ロリコンベイト・ミルフは改めて制止した。

 しかし、マメルクスに質問する時に浮かべていた笑みを少し苦みのあるものに変え、ルードはしつこく止めようとする母に反論する。


「大丈夫です母上マテル、何も心配はありません。」


「心配です!

 知らない土地では何があるか分からないものなのよ!?

 道が迷ってどこへ行ったらいいか分からなくなったらどうするの!」


「ウチの魔石ルーンを持っていくから迷っても大丈夫ですよ!」


「またお前は!

 その魔石ルーンを落として無くしちゃったらどうするの!?」


 最初、二人が何を話しているのか全く分からなかったマメルクスだが、転移魔法について説明を受けたことから何となく話が理解できるようになってきた。ルードはまずゲートを開いてクィンティリアに行き、そこから瞬間移動を繰り返してアルトリウシアまで行き、そこで魔石に場所を記録させてムセイオンとアルトリウシアの間を自由に行き来できるようにしようというのだ。ところが、フローリアはクィンティリアから南は彼女らにとって全く未知の土地であることから、ルードの身を案じて行かせないようにしているのである。

 だが、フローリアの言い分は最早こじつけに近い。魔法については素人のマメルクスでもその程度は分る。自宅の位置を記録した魔石を持っていていつでもどこからでも帰れるルードが迷子になるなど考えにくいし、そもそも迷子になったからと言って困ったことになるとは考えにくい。まして、その魔石を失くしたらだなんて言い出したら何もできなくなってしまうだろう。

 二人のやりとりが理解できてくるにつれ、おそらく世界一聡明で世界一高貴だと思っていた親子が、どうやらとんでもなく馬鹿げたことで言い争っているらしいことも否応なく気づけてしまう。マメルクスは予想外の事態に頭痛の予兆を感じ、右手で額を抑えた。


「他にも予備の魔石ルーンを持っていくから、たどり着いた街ごとに場所を記録すれば、迷ってもそこからやり直せます。

 だいたい、道が分からなくなったら人に訊けばいいじゃないですか。」


「ルーディはホントにいい子で失敗したことも怖い目に遭ったことも無いから分からないのよ!

 世の中には怖い人や悪い人がいっぱいいるのよ!?

 ルーディみたいに可愛いハーフエルフなんか見つけたら、きっと悪さをしようとするわ。

 そういう人はわざと嘘を教えてルーディを危ない目に遭わせようとしたり、何か大事な物や高価な物をだまし取ろうとしたりしようとするの!

 お母さんだって若い頃、どれだけ酷い目に遭ったことか!」


「い、いや大聖母グランディス・マグナ・マテル様。

 今の世の中でハーフエルフを騙そうなんて無鉄砲な人間はそうそういないと思いますが……」


 マメルクスが割り込むとルードは頼りがいのある味方を得た喜びに表情をパァッと明るくした。逆にフローリアは裏切り者を目の当たりにしたかのように顔を青くする。


「ですよね、陛下!?」


「そんなこと分からないじゃありませんか!

 私は夫と冒険している時だって、騙そうとする悪い人を何人も見たんですよ!?」


「待って、待ってくださいお二人とも……」


 世界一高貴な親子のイメージが自分の中で音を立てて崩れていくのを感じながら、マメルクスは両手をかざして二人をなだめる。


「そりゃあ、昔は大戦争もありましたし、ゲイマーガメルもたくさん居ました。

 だからそういうこともあったでしょう。

 ですが今は時代が違います。」


「どう違うっていうんですか!?」


「まあ、落ち着いてください大聖母グランディス・マグナ・マテル様。

 今は大戦争が終わってゲイマーガメルもいなくなって百年も経とうとしています。

 ゲイマーガメルの血を引く方々は全員がムセイオンに入られ、無事成人してムセイオンを出られた方々も皆上級貴族パトリキとして扱われているので平民プレブスは誰もゲイマーガメルの血を引く高貴な方々なんて見たことがありません。

 特にハーフエルフなんて、平民プレブスにとっては御伽噺や御芝居の中だけの存在なのです。」


 ムセイオンという狭い世界に半ば閉じこもって生きて来た彼らにとって、マメルクスの話はどうやら意外だったようだ。マメルクスからすればそっちの方が意外なのだが……とにかく三人は思いもかけない話を聞かされたように目をいつもより大きくしてマメルクスに注目している。


「そんな御伽噺や御芝居の中にしかいないハーフエルフがいきなり目の前に現れたたとして、普通の人間はまずは驚き、呆気にとられるだけですよ。

 騙そう、騙して何かを奪い取ってやろうなんて考えはまず頭に浮かびません。

 だいたい、誰かを騙そうとするときは、相手がどう考えるか、気づいたときにどう対応してくるかも考えるものです。そうでしょう?

 ハーフエルフなら間違いなく魔法やスキルが使える。なら、もし怒らせたら訳の分からない力でどんな目にあわされるか分からない……悪党なら余計にそう考えて用心します。

 なのに御伽噺や御芝居の中でしか知らないような別世界の存在を目の当たりにして、いきなり騙してやろうなんて思いつく者など居やしませんよ。」


 マメルクスの話を聞いてルードはこれ以上ないくらい緩み切ったドヤ顔を作ってフローリアに向けた。いつもの冷たさすら感じるほど取り澄ましたスマートな印象からは想像もできない顔である。


「ほら母上マテル、陛下もこうおっしゃってるじゃありませんか。

 僕はこの陛下の国に行くのです。

 陛下がおっしゃるんだから間違いありません。」


 既に勝ち誇っているルードだったがフローリアはまだ負けを認めていなかった。


「どの王様だって自分の王国のすべてを知っているわけではないわルーディ。

 お母さんだってムセイオンのすべてを知ってるわけじゃないし、自分のダンジョンのすべてを知り尽くしているわけじゃないもの。

 貴方だってそうでしょう?

 現にの脱走を防げなかったじゃないの。

 だもの、下手な王国よりもずっと広い領土をお持ちの皇帝陛下が、帝国のすべてを御存じなわけは無いわ。」 


 ルードは痛いところを突かれてドヤ顔を引きつらせる。

 そう、ゲイマーの子供たちを指導はルードの仕事の一つであり、彼はフローリアのダンジョンへ子供たちを連れて行く途中、脱走者を出してしまっていた。彼自身が引率していたわけではなかったが、ダンジョン探索という一種の修学旅行の移動計画を立てたのは彼であり、移動の書類上の責任者はルードだったのだ。


「ま、まあでも仮に誰かが騙そうとしたところで危ない目に遭わせることなんてそうそうできないでしょう?

 ルード・ミルフ様も御父上に優るとも劣らぬ実力を既にお持ちだとうかがっております。」


「そんなことはありませんわ陛下!

 そりゃ私のルーディは今のムセイオンの子供たちの中では一番強いですけど、夫はもっと強かったです。

 そもそもルーディには経験が無さすぎるのです。

 ルールのある試合では無敵の強さでも、ルールのない実戦では格下相手だって油断なんてできないものなの。今のルーディじゃ簡単に足元をすくわれてしまいますわ。」


 おいおい息子を産んだのは百年以上前だろ!?

 ひょっとして百年もずっとこの調子なのか???


 フローリアは世界一高貴な存在でおそらく世界一聡明なのは間違いない。それはムセイオン設立の経緯やその後の運営などを見ても間違いないのだ。だが親バカなのか夫バカなのか知らないが、どうやら身内のことに関してはこの人はダメなようだ。母親として子離れが出来ていない。


「いや大聖母グランディス・マグナ・マテル様、経験が足らないのなら経験を積ませるべきなのではありませんか?」


「そうです母上マテル

 たとえ軍隊が攻撃してきたところで僕を傷つけることなんてできません。

 盗賊ごときが相手なら、逆に返り討ちにしてやりますよ。」


「いけません!!」


 ルードが言い終わらないうちにフローリアはキッと目を剝き、円卓メンサを両手でバンと叩いた。その音に全員がビクッと身体を震わせる。


「力に頼って問題を解決するのはダメです!

 大きすぎる力は戦乱さえ引き起こすのですよ!?」

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