第768話 想像を超えた移動手段

統一歴九十九年五月九日、午後 ‐ 『黄金宮』ドムス・アウレア聖堂サクラリウム/レーマ



「馬を飛ばして半月なら、半日あれば着けるかもしれません。

 陸続きならなお好都合。

 僕が行きましょうか、母上マテル?」


 それまでほとんど発言することなく黙ったままだったルード・ミルフが唐突に口を開いた。黙っていたルードがいきなり口を開いたことにも驚いたが、その内容もあまりに突飛とっぴすぎ、レーマ皇帝インペラートル・レーマエマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールは一瞬理解が追い付かなかった。


 え!?

 今、クィンティリアからアルトリウシアまで半日で行くと言ったのか?


 理解が追い付かないマメルクスがポカンとルードへ注目していると、ルードの母親である大聖母グランディス・マグナ・マテルフローリア・ロリコンベイト・ミルフが咄嗟に否定した。


「ダメよ、ルーディ!」


 そのような黄色い声をあげる人物がこの場にいるとは思いもよらなかったマメルクスは驚き、思わずビクリとして声の主を探してしまう。


「初めての土地は何が起こるか分からないわ!

 道に迷ったらどうするの!?

 お母さん許しませんからね!!」


 え!?今の声、大聖母グランディス・マグナ・マテル様の声なのか?


 見れば先ほどまでの聖女然とした態度はどこへやら、マメルクスの前にいたはず大聖母は威厳もへったくれもないどこにでも居そうな女に戻っていた。

 そのフローリアに対し、まるで人形のように無表情だったルードはこれまでのすまし顔をしかめ、まるで見た目通りの年齢の少年が反抗するように口を尖らせる。


「街道を辿たどって南へ進めばいいだけですから迷いませんよ。

 大陸の南端まで行けば間違いなく着くのでしょう?」


「街道って言ったってずっと一本道じゃないのよ!?

 道を間違えればいつの間にか別の方へ進んでて、気が付いたら全然違うところに行っちゃうかもしれないわ。

 たどり着く前に日が暮れちゃったらどうするの!」


「途中で陽が暮れそうになったらちゃんと記録マークして帰るから大丈夫ですよ。」


「ま、ま、待ってください!」


 突然始まった母子の言い争いにマメルクスは割り込んだ。


「いったい、お二人は何の話をしてらっしゃるのですか?

 クィンティリアからアルトリウシアへ行く話をしていたのではなかったのですか!?」


 この時、マメルクスにとって何よりも意外だったのはフローリアとルードの、そして脇に居たロックス・ネックビアードの反応だった。三人とも動きを止め、「何を言ってるんだこの人は?」というような目でマメルクスを見たのである。そして、マメルクスもまた思いもかけずにそのような視線を向けられ、「何か変なこと言ったか?」とそれまで以上に混乱し、四人が四人とも固まってしまった。


「あ‥‥‥あの、えっと‥‥‥」


 何をどうしたらいいか分からない気まずい空気を打ち破ったのはフローリアだった。マメルクスが何を驚いて言っているのかようやく気が付いたのだ。


「ああ!えっと、そうなのよ!?

 クィンティリアからアルトリウシアへ行く方法の話をしてましたの。」


「え!?で、ではホントに半日で?」


 ここへ来てようやくルードもマメルクスが何を混乱しているのか気づいたらしい。何とも言えない微妙な作り笑いをして説明に加わる。


「ああ、すみません。

 その、僕も転移魔法は使えるのです。

 それでクィンティリアからアルトリウシアまで転移魔法を使えば、うまくすれば半日ぐらいでたどり着けるのではないかと……」


「お待ちください。

 転移魔法というのは、行ったことのある場所でなければ行けないのではなかったのですか?」


 フローリアは確かにそう言っていた。彼女はクィンティリアまでしか行ったことが無いからクィンティリアまでは転移魔法で行けるが、そこから先は自分の脚で行くしかないと……


「いえ、転移魔法にはいくつか種類があるのです。

 母と僕が使えるのは二種類で、一つはこのルーンと呼ばれる魔石に記録した場所まで魔法の通路を開ける魔法です。」


 そう言いながらルードはポケットから一握りくらいの大きさの石を取り出して見せた。やや平べったい楕円形のツルツルした石で、表面に何か文様が刻まれている。


「これに記録された場所にならどこからでも魔法の通路を開いて一瞬で行くことができます。僕たちが今日、ここへ来る際に使ったのもこの魔法です。」


 マメルクスはその魔石に興味を持ったが、ルードはとっととポケットへ戻して話を進める。


「そしてもう一つは目で見える範囲に一瞬で移動する魔法です。」


 そう言いながらルードは椅子から立ち上がってマメルクスの方へ向き直った。


「例えばこんな風に……」


 そう言うが早いか、ルードの姿が忽然こつぜんと消えてしまう。


「あっ?!」


 さっきまでそこに立っていたはずの少年の姿は影も形も残さず消えてしまった。彼らが聖堂サクラリウム『鏡の間』スペクラリス・ロクムへ来たときは、彼らが開いたという魔法の通路が強烈な光を発していたが、今回はそんなものは何もない。音もしなかった。


「ここですよ。」


 一体どこへ!?……そうマメルクスが言おうとする前に円卓メンサを挟んだ反対側、マメルクスから見て左側からルードの声が聞こえる。


「え!?……あっ!」


 いつの間にかロックスの背後に立っていたルードの姿にマメルクスが気づくのと同時に再びルードの姿が消え、その一瞬後にはルードは再び自分の椅子の隣に戻っていた。彼らの周囲で見守っていた神官たちもあまりの出来事にどよめいている。


「こういう風に転移魔法を使えば、遠いところでも一瞬で移動できるのです。」


 唖然とするマメルクスをそのままに、ルードは椅子の背もたれに手をかけて腰を下ろした。


「それで僕がまずアルトリウシアまで行って、そこで魔石ルーンに場所を記録マークして帰れば、あとはアルトリウシアまで自由に行き来できるでしょう?」


 ニッコリと微笑みかけるルードの顔をマメルクスは阿呆のようにポカンと開けた口をパクパクさせながら眺めていた。理解が追い付かないのだ。


「あ~……

 えっと、でも、その魔法で一気に行けるというわけではないのですよね?

 その、先ほど道に迷うとかなんとか……」


 解けない難問に挑むかのように片手で頭を掻きむしりながらマメルクスが尋ねる。搔きむしる指のせいで頭の月桂冠が落ちそうになるが、マメルクスはそのことに気づけない。


「ええ、先ほど言ったと思いますが、この魔法は目で見える範囲にしか行けないんです。

 でも、目で見えてさえいれば遠くの山の山頂や地平線まで一気に行けるというわけでもなくて、目で見て、そこに何もないと確認できるところへしか行けません。移動した先に何かがあると、それを弾き飛ばすか、逆に自分が弾き飛ばされるかしてしまうんです。

 だから激しい雨や濃い霧、あるいは煙などで視界が遮られていたり、陽が暮れて暗くなったりすると遠くまでは行けなくなります。これから移動する先の安全が確認できなくなりますから。」


 それほど便利というわけでもないんですよ……そういうニュアンスでルードは苦笑いを浮かべながら説明したが、マメルクスからすれば全く想像すら及ばないほど便利すぎる魔法のように思えた。

 たしかにその魔法を連続して使えるのなら、早馬を駆使して半月もかかる距離でも、ごく短時間で移動できてしまいそうではある。


「えっと、それではホントに、クィンティリアからアルトリウシアまで……半日で行けてしまえるのですか?」


 落ちそうになっていた月桂冠に気づいたマメルクスがすかさず被り直しながら確認を求めると、ルードは残念そうに苦笑いを浮かべながら肩をすくめた。


「昼間、天候に恵まれて、そして道にも迷わなければ、ですけどね。」

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