第882話 脅迫

統一歴九十九年五月九日、夜 ‐ 『黒湖城砦館』ハーレ・デア・シュバルツゼーブルク倉庫ホレウム/シュバルツゼーブルグ



 ルクレティアの承諾を得るとカエソーはさっそく蝋封を切るために腰に下げていた自分の小剣プギオーを引き抜いた。メンサの上のインプはそれを見ておびえた表情を作り、ササッと机の反対側の縁まで後ずさるが、インプが逃げようとしていると思ったのかヨウィアヌスがすかさず回り込んでその退路たいろふさぐ。

 インプとヨウィアヌスの動きなど意にも介さず……いや、気づくことすら無くカエソーは小剣で蝋封を切り、鞘に戻すのが面倒だったのか机の上に小剣を置くと手紙を広げた。隣のアロイスやその後ろのスカエウァも覗き込もうとするが、暗くて読めない。

 喉の奥で何か唸るような声を漏らし、顔をしかめたカエソーは後ろを振り返って松明たいまつを掲げていた軍団兵レギオナリウスに無言で光を求めた。軍団兵はカエソーの視線に気づくと松明を高々と掲げ、手紙が良く見えるように手元を照らす。天井の高い倉庫ホレウムでなければ天井が焦げていただろう。

 松明の光に手紙をかざしつつ、自分の頭が影を作らないように身を引くとようやく文章が読めるようになった。が、その文章を読み進めるにつれてカエソーやカエソーと共に手紙を読んでいたアロイスの表情が険しい物へと変わっていく。


「むぅぅ~~~……」

「これは……」


「……なんて……書いてあるんですか?」


 インプへの嫌悪感から自分宛だったはずの手紙への興味関心を薄れさせてしまっていたルクレティアだったが、カエソーたちの反応を目の当たりにするとさすがに無関心なままではいられない。いや、カエソーの反応云々が無かったとしても無関心になられては困るのだが……

 先に読み終えたカエソーは渋面のままチラリと視線をルクレティアへ向け、それから机の上に置いた自分の小剣を取り、代わりに手紙を置いた。小剣を鞘に納めてから手紙を両手で机の上に広げて見せると、ルクレティアが机に広げられた手紙に角度を合わせるようにカエソーの方に身体を寄せ、首を傾げながら覗き込む。




『親愛なるルクレティア・スパルタカシア殿


 シュバルツゼーブルグへのようやくの到着、まことにご苦労である。ブルグトアドルフからの馬車の旅はさぞや難儀なんぎなことであったろう。何せ我らなら半日とかけずに踏破とうはできる道程みちのりに二日もかけたのだからな。その鈍重どんじゅうぶりには亀でさえあきれ果てるに違いあるまい。てっきり既にアルトリウシアへ飛んで帰ったものと思っていたにもかかららず、其方そなたを追いかけてシュバルツゼーブルグまで来てみれば其方はまだ着いてもおらぬというではないか。我らは思いもよらぬ仕儀しぎにあきれ果てたものだ。其方が我ら「勇者団」ブレーブスの知略を上回る部分があるとすれば、分不相応な精霊エレメンタルの加護とその鈍重っぷりであろうよ。

 さて、愚鈍ぐどんなる其方そなたには何故なにゆえ我らがこのように手紙をよこすか見当もつけられぬやもしれぬゆえ、紳士的礼節をもって懇切丁寧こんせつていねいに教えてやることとしよう。

 理由は一言で言うと其方にある。

 其方は我らが同胞はらからファドに話があると申したな?慈悲じひ深き我らは其方のその無謀とも思える申し出を受け入れ、其方に会談の機会を与えた。しかるに、其方は血筋も怪しい凡俗ぼんぞくに我らの相手を任せてアルビオンニウムより逃げおおせた。まったく名高きスパルタカスの末裔まつえいとは思えぬ為体ていたらくに我らは呆れて言葉を失ったものだ。

 どうやらあまりにも古き血筋ゆえ、《レアル》より受け継ぎたる高貴は其方の一族からは既に失われたと見える。もはや貴族など名乗るのは止めた方が良いのではないか?

 その魂より高貴を失いたるあわれな其方に念のため教えておいてやろう。高貴なる者の相手は高貴な者にしか務まらぬのだ。血筋の怪しい凡俗に我らの相手をさせようなど言語道断である。魔力を持たぬNPCというだけならいざ知らず、亜人ごとき卑しき者に語る言葉など我らは持たぬことを知るがよい。

 卑しき者に殿しんがりを任せ戦場から逃げ出したる卑劣、そのくせ行く脚もノロノロとして先回りした我らを待たせる怠惰たいだ。本来ならば許しがたき怯惰きょうだそしりはまぬがれぬところであろう。

 しかし、我らは寛容かんようの美徳を知る者である。我らは大海のごとき寛大をもって其方の愚行をあえて許し、今一度の機会を与えてやろう。

 このシュバルツゼーブルグに留まり、我らからの次の指示を待つがよい。さすれば再び其方は我らとの会談の機会を得るだろう。

 だが心せよ。我らの寛容も無限ではない。其方の怠惰は大海のごとき寛大をもってしても許容しがたきほどのものであるからだ。素直に応じるならば良し、応じぬというのであれば懲罰ちょうばつをもって其方にむくいねばならぬ。ここシュバルツゼーブルグで其方を待つ間、我らはその準備を整えた。もし、其方がなおも我らから逃げ続けるというのであれば、其方はこのシュバルツゼーブルグの街を二目ふためと見る機会を永遠に失うであろう。其方がいかに強大なる《地の精霊アース・エレメンタル》と《水の精霊ウォーター・エレメンタル》の加護を受けようとも、我らにはまだ《火の精霊ファイア・エレメンタル》と《風の精霊ウインド・エレメンタル》の加護があるのだ。去りし日のレーマ大火のごとく、この地にイフリートの顕現けんげんする様を見たくばあえて我らを無視するのも良いかもしれぬ。

 しかし言っておこう。くれぐれも、我らの忍耐を試そうなどとは思わぬことだ。これは心よりの忠告である。其方のとぼしき知能が事態を正しく理解することを期待するやせつである。


 「勇者団」の中の勇者ブレイブ・オブ・ブレーブス

 


「な……何ですかこれは!?」


 さすがに読んでる途中から顔色を変え始めたルクレティアがカエソーを振り返る。あまりにも無礼かつ挑発的で、到底貴族相手に送り付けてよい内容ではあるまい。前回のティフからの手紙も十分におかしな文面であったが、今回はそれに輪をかけて常軌じょうきいっしている。

 カエソーは小さく首を振りつつ、沈痛な面持おももちで答えた。


「少なくとも『勇者団』あいつらは、まだ諦めてはいないと言うことだろう。」


 その一言に一斉にため息が漏れる。アルビオンニウム、そしてその後のブルグトアドルフの戦闘で『勇者団』が使う盗賊団の戦力はそれぞれ半減し、現在は多く見積もっても三十人と残っていないと思われている。それに『勇者団』のリーダーであるティフは《地の精霊》を介し、これ以上戦う意思はないことを伝えてきている。ブルグトアドルフでの襲撃は命令伝達のミスのようなものだと……だから、少なくとも当面は『勇者団』の側からの積極的な攻撃は無いだろうと考えられていた。おそらく、戦力の充実を図るか、あるいは降臨に適した別の場所を探すかするのだろうと……だがそれはどうやら甘い考えだったようだ。手紙の文面を見る限り戦う意思がないどころか戦う気満々である。


「どうすればいいのですか?」


 ルクレティアは無意識に胸元のネックレスを握りしめた。服に隠れて見えないが、そこにはリュウイチから拝領した魔導具マジック・アイテム生命のネックレスネックレス・オブ・ヴァイタリティ』があった。

 もしかしたら責任を感じているのかもしれない。手紙の内容からはルクレティアが『勇者団』からの手紙を無視してアルビオンニウムを発ったことが理由であるかのように語られている。


「本来であればこんな手紙なんか無視して早々にアルトリウシアへ向かいたいところだが……」


 カエソーが顎をさすりながら言うと、アロイスがいきり立った。


「いやっ、それではシュバルツゼーブルグはどうなるのです?

 奴らはこの街を火の海にすると言っているんですよ!?」


 言われるまでもなくカエソーもそのことは理解している。だからこそ「向かいたいところだが」と言葉を濁したのだ。

 『勇者団』の戦力は大きく減じられている。三百人に達しようとしていた盗賊団は既に三十人を下回っていると思われ、『勇者団』本体からも二人が捕虜となってこちらの手に落ちている。残りはおそらく『勇者団』が十一人と盗賊三十人弱……人数だけを見れば少ない戦力だが、それでもシュバルツゼーブルグを火の海にするくらいは難しくは無いはずだ。

 東西を山地に挟まれたライムント地方は一年を通して雨が少ない。まして秋から冬になろうとしている今、山から吹き下ろす風は非常に乾燥している。おまけに街全体を囲うようにバラックが密集しており、には事欠ことかかない。風上側のバラック数か所に放火するだけで、火災はまたたく間に街全体に広がるだろう。

 『勇者団』が盗賊団の生き残りに放火して逃げるように指示すれば、これを完全に防ぐ手立てなど全くない。警戒態勢を強化しようにもシュバルツゼーブルグの治安を維持する警察消防隊ウィギレスの数は慢性的に不足した状態で、街中だけならともかく周囲のバラック街にまでは手が回らない。だいたい数万人の難民の中にもぐりこんだ数十人の盗賊を見つけ出せと言われても無理な話だ。《地の精霊》の魔力探知だって盗賊団と住民たちを区別できない。

 仮に盗賊団に対応できたとしても、『勇者団』には魔法使いが複数参加しているのだ。噂によればムセイオンの聖貴族は大砲のような威力と射程を持つ攻撃魔法をポンポン放つことができるらしい。それが本当なら街を囲むバラック街どころか、それよりさらに広い範囲を守らねばならない。が、当然ながらそのような戦力は無いし、ヴォルデマールやシュバルツゼーブルグ住民に知られることなく大規模な作戦など展開できるはずもない。


「んん~~~むむむ」


 カエソーは突然降って湧いた難問に頭を悩ませながら、顎をしごくようにさすり、机の上の手紙をにらんで唸った。

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