第881話 届いた手紙

統一歴九十九年五月九日、夜 ‐ 『黒湖城砦館』ハーレ・デア・シュバルツゼーブルク倉庫ホレウム/シュバルツゼーブルグ



 インプが差し出した手紙をルクレティアがすぐに受け取らなかったのはインプに対して抱いた感情のみが理由ではない。そのすぐ後でカエソーたちも到着したからだ。ガチャガチャと具足ぐそくを鳴らす音、ゴリゴリと軍靴カリガの底に打たれたびょうが石畳の床を引っかく音を鳴り響かせながら、彼らは現れた。


お嬢様ドミナ、伯爵公子閣下が来られました。」


 背後から鳴り響く音に気づいたルクレティアが振り返るのと、カルスの到着を見届けたクロエリアがルクレティアに報告するのはほぼ同時だった。ちょうど入り口をふさぐように立っていたルクレティアはクロエリアと共に脇へ移動し、これから入って来るカエソーたちのために道を開ける。

 ちょうどそこへ、松明たいまつを掲げた従兵とカルスに先導されたカエソーたちがズカズカと入って来る。そして部屋に入ったカエソーは目の前のメンサに丸められた紙の束を掲げた謎の生物を認め、思わずその場に立ち止まる。その表情は初めてインプを見た時のルクレティアと同じだった。

 カエソーのすぐ後ろについて入ってきたアロイスは目の前でカエソーが急に立ち止まったために追突しそうになったが、辛うじて立ち止まりカエソーの頭越しにインプの姿を見つけ、やはり「ウッ」と声を漏らして顔をゆがめた。

 そのすぐ後ろにはスカエウァ、そしてルクレティアの護衛隊長セルウィウス・カウデクスと続いていたのだが、こちらは立ち止まるのが間に合わず次々とアロイスの後ろで玉突き衝突を起こしていた。ぶつかるたびに「ウッ」とか「アッ」とか声が漏れ聞こえる。

 後ろから衝突されたアロイスは、しかし自分の背後に対して特に何らかの反応を示すでもなく、身体を横にずらしてカエソーの脇から部屋に入り、カエソーの隣に並んだ。その間、カエソーもアロイスも共にインプにずっと注目したままである。


 次々の現れる軍人たちの物々しさに、ルクレティアを見つけた喜びに浮かれていたインプも次第に表情を固くし、捧げ持っていた手紙をスルスルと手元に引き戻して抱え込み、一歩、また一歩と後ろへ後ずさった。

 その間もカエソーとアロイスの後ろから、アロイスが先ほどしたのと同じ要領でスカエウァとセルウィウスが室内に入って来る。そのうち、松明を持った従兵も部屋に入ってきたことから、室内がいままでよりも明るくなった。


「これが、インプ……という奴なのか?」

「初めて見た……」

「なんと禍々まがまがしい……」


 男たちは誰に求められたというわけでもないのに口々に感想をつぶやく。

 インプは状況がつかめず、手紙を大事そうに両手で抱えながら入ってきた軍人たちとルクレティアの顔を交互に見ては赤く光る目をパチクリさせ、キシッ、キシシシシッと警戒音を鳴らし始めた。


「そいつが抱えているのが『勇者団』ブレーブスからの手紙か?

 既にお読みになられたのですかルクレティア様?」


 カエソーはインプから視線を外すことなくたずねた。


「いいえ閣下、私もまだ、到着したばかりでしたので……」


 ルクレティアの返事を聞くと、カエソーは短く「そうか」とつぶやき、ゴクリと喉を鳴らしてからインプの方へ手を伸ばした。するとインプはビクッとして抱えた手紙をギュッと抱きしめ、カエソーをにらみながらトトッと後ろへ二歩下がった。そしてキシキシと警戒音を激しく鳴らし、歯を剥き出しにして威嚇しはじめる。

 その様子にカエソーはムッとした。


「!?……なんだコイツ、手紙を持ってきたのではないのか?」


「お、恐れ入りやす閣下!」


 不満を露わにするカエソーに脇からリウィウスが一歩出てサッと頭を下げた。


「何だ?」


「ヘッ、コイツぁルクレティア様以外にゃ手紙を渡そうとしねぇんで……」


「むっ!?」


 この時、カエソーは室内に入って以来初めて視線をインプから外し、リウィウスの方を見た。それから「そ、そうか」と言って手紙を取ろうと伸ばした手を引っ込める。

 すると今度は全員の視線がルクレティアに集まった。


 他の者たちと同様に視線をインプに釘付けにされていたルクレティアだったが、全員の視線が自分に集まっていることに気づき、そちらへ目を向けてどうやら自分が手紙を受け取ることを期待されているのを確認すると、小さくため息をついた。そして覚悟を決めると机の方へ一歩出て、躊躇ためらいがちに手を差し出す。


「る、るくぇった、ひゅぱぅたかしや?」


「ええ、私がルクレティア・スパルタカシアです。」


 信じられない……そんな表情でルクレティアを見上げたインプに名乗ると、インプはヘッと片頬だけを引きつらせて笑ってから、差し出されたルクレティアの右手に向かって抱えていた手紙を差し出した。

 紙の筒の先がルクレティアの手に触れ、ルクレティアがそれを掴むとインプはヘヘッと笑いを大きくし、抱えていた手紙を手放した。そしてその場で四つん這いになって低い姿勢のままササッと後ろへ下がる。それを見届けたルクレティアが手紙を受け取った手を引っ込めると、這いつくばった低い姿勢のままキシッキシシシシッとインプは笑い始めた。


 やった、手紙を渡した!やり遂げた!!


 そう喜んでいたのかもしれない。だがインプの笑顔は、笑い方は、ルクレティアをはじめその場にいた人間たちにはひどくいやしいものに見えた。

 ルクレティアは自分を見上げながら卑しく笑うインプから視線をずらし、改めて受け取った手紙へ注目する。両手で持ち直してクルクルと回し、蝋封ろうふうを見つけると自分でもそれを観察しながらカエソーたちの方へ示した。それを受けてカエソーたちも首を伸ばして手紙の蝋封を覗き込む。


「前回のと、違う紋章みたいです。」

「ああ、前のは確か、ブルーボール家の紋章だったのは確認できた。

 今回のは……見たこと無いな?」

「ええ、私も初めて見ます……たぶん……ええ、記憶にありません。」

「別の人物が書いたということか?」

「本当に『勇者団』ブレーブスからの手紙なのでしょうか?」

「インプを使役して手紙を届けさせるなど、他におりますまい?」

「ともかく、内容を確認してみればわかることだ。」

「それもそうですな。」


 彼らが覗き込んだ拍子にルクレティアはカエソーにそのまま手渡してしまったのだが、男たちはあーでもないこーでもないといじくり回した挙句あげく、結局は当たり前な結論に落ち着く。ただ、面白かったのは男たちは手紙に興味は示しつつもカエソー以外の誰も手で触れようとはしなかったことだろう。カエソーはアロイスやスカエウァにも見せようとはしたのだが、彼らは決して手を出さず、特にアロイスはカエソーが手紙を差し出すとむしろ身を引いて触れないようにしたほどだった。


「それでは、開封して拝見してもよろしいですかなルクレティア様?」


 再び全員の視線がルクレティアに集まる。いつの間にかルクレティアはカエソーたちから一~二歩ほど離れたところに立ち、まるで他人でも装うかのように立っていた。


「はい……どうぞ……」

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