第880話 捕えられていたインプ
統一歴九十九年五月九日、夜 ‐
「ようこそお運びでありがとうございやす
インプがいるという部屋にルクレティアがようやくたどり着いた時、入り口で迎えたリウィウスはそう言って頭を下げた。
「ここなの?」
「へぃ。
……他の方々は?」
「後から来るわ。」
脇へ
これが……インプ……
ルクレティアが眉を寄せ目を細めたのはロウソクの光が眩しかったからなのか、それともインプの見た目の醜悪さからなのか……ともかくルクレティアは机を見据えたまま立ち止まり、息を飲んだ。
インプが夢中で何かを食べ続けている様子に目を奪われたままのルクレティアに続き、部屋に戻ってきたリウィウスがインプを見張っていたヨウィアヌスと話を始める。
「何でぇ、まだ食ってんのかよ。」
「ああ、もうすぐ二つ目ぇ食い終わるとこだ。」
「
「もう
「何ぃ、今食ってんのはお
俺のぁまだ
「今のが二つ目って言ったろ?
そうこうしている間にインプは食べ終え、舌なめずりしながらパンパンに膨れた腹を満足そうに両手で
「おっと、お
コイツぁカルスの分なんだからよぅ?」
ヨウィアヌスが籠を頭よりも高く掲げ、インプを見下ろしながら𠮟りつける。するとインプはシーシーと言いながらヨウィアヌスの方へヨタヨタと歩み寄り、机の縁から身を乗り出すようにしてヨウィアヌスの服を掴み、
「あ、オイ駄目だっつったろ!?
コイツぁカルスの分なんだよ!
お前ぇのは終わりだ、ホラ放せって!」
右手で籠を掲げ上げたヨウィアヌスが左手で何とかインプを引き離そうとするが、インプは諦めようとしない。両手でヨウィアヌスの服にしがみつき、しきりにキシーキシーと鳴きながら羽をバタつかせて抵抗する。その形相は必死そのものだ。ヨウィアヌスも机から離れればよさそうなものだが、そうするとインプが机から落ちてしまいそうだ。
「ヨウィアヌス、いいからくれてやれ。
カルスの分は後で別のを買ってやらぁ。」
呆れたようにリウィウスが言うと、ヨウィアヌスは
「いいのかよ
もう屋台なんて閉まってるぜ?」
ヨウィアヌスにしがみついていたインプは自分を押さえつけようとするヨウィアヌスの左手越しに降ろされていく籠を視線で追い、籠が机に降ろされるや否やヨウィアヌスを放して籠に向かって突撃する。
「何を……食べさせているのですか?」
インプが籠に残っていたパンに飛びつくのを嫌そうな表情で見たままルクレティアが尋ねると、似たような表情でインプを見ていたヨウィアヌスが答える。
「えっと、ライベクーヘンとかいう菓子でさぁ。
表の屋台で売ってた物らしいです。」
ジャガイモを摩り下ろして塩と香辛料を加え、多めの油で揚げ焼きにしたものであるが、摩り下ろすとは言ってもあまり細かくし過ぎないで繊維を残すのと余計な水分を絞ってある取り除くのがおいしさのコツだ。摩り下ろしたジャガイモには細かく刻んだり摩り下ろしたりしたタマネギを加えることもあるし、
高温で揚げ焼きにするので見た目はパンケーキというよりは揚げカマボコや
通常はアップルソースなどを酸味のある甘い果実ソースをつけて食べるが、帝都レーマではサワークリームをつけて出す店も多い。シュバルツゼーブルグを含むライムント地方ではクランベリーの生産が盛んなのと、南蛮から砂糖が比較的安く入って来ることからクランベリーのソースやジャムをつけて出す店が増え始めている。
今インプが食べているライベクーヘンは、今日はブルグトアドルフへ行ったアロイスの部隊が今日帰って来るからというので、軍人たちの需要を見込んで営業していた屋台で作られたものだ。それを店主の期待通りに兵士が買い求め、兵舎に持ち帰っていた物の一部をヨウィアヌスがかっぱらってきたのである。このため、屋台で売られている時には添えられていたクランベリーソースはついてきてなかった。インプがかぶり付いているライベクーヘンはジャムもソースもついてない、素のままである。
本来のおいしさからは
「それはそうとカルスの奴ぁどうしたんで?」
「カルスさんは伯爵公子閣下の御迎えに行かれました。」
ヨウィアヌスの質問にはルクレティアではなく、ルクレティア付きの侍女クロエリアが答えた。
籠に飛びつき、中に残されていたライベクーヘンを両手で掴みだしたインプが最初の一口を頬張り、顔を上げて満足げに
「・・・・・・・」
インプの動きがピタリと止まり、赤く光る目がルクレティアを見据える。
「……りゅくえった、ひゅぱーたかしゃ?」
「しゃべった!?」
首を
リウィウスとヨウィアヌスはいつでもルクレティアを守れるように、腰の左側に差した
「りゅくえった、ひゅぱーたかしゃ!
ゆくえった、ひゅぱぅたかっしゃ!!」
インプは食べかけていたライベクーヘンを籠の中へ投げ出し、四つん這いで机に放りだしていた手紙の元へ駆け寄るとそれを油でまみれた両手で抱え上げ、ルクレティアの方へ向かってトタトタと身体を大きく左右に揺らしながら歩み出た。そして机の縁まで来ると、両手で抱えた紙束をルクレティアの方へ突き出し、それをブンブン上下に振りながら笑顔でルクレティアの名前を連呼し始める。
「りゅくえった、ひゅぱーたかしや!
ゆくえった、ひゅぱぅたかっしゃ!!」
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