インプ
第879話 倉庫
統一歴九十九年五月九日、夜 ‐
晩餐会を終えたカエソーとアロイスはヴォルデマールの歓待に礼を述べ、大ホールを後にした。その後彼らは一旦自室へ引きこもり、それから
北西の倉庫群は現在使われておらず空っぽの建物だけが残っている。が、今夜だけは『黒湖城砦館』の主ヴォルデマールも知らされることなく、臨時の取調室として使われることになっていた。その対象は言うまでもなくインプである。
「
カルスが
表の半開きになっていた扉から倉庫を覗き込んだカルスは用心深く、腰の右側に下げた
「お~ぅ、こっちだぁ」
よく見るとロウソクの頼りない明かりに照らされたリウィウスが手を振っているのがかすかに見える。カルスはヘヘッと安堵の笑みを浮かべて自分の後ろに付いて来ていたルクレティアを振り返った。
「
カルスは安心しきっていたがルクレティアとしてはそのまま馬鹿正直に中に入るのはどこか抵抗があった。何せここはあのファドが潜み、ヴァナディーズを襲った現場なのである。複雑な表情でカルスの曇りのない笑顔を見たルクレティアはわずかに逡巡した後、《
「《
カルスはその声に一瞬目を丸くし、それからバツが悪そうに気を付けの姿勢を取った。
そんな彼とルクレティアの近くに、緑色に光る半透明の小人が姿を現す。
『何用か、
「《
この辺りに“敵”は
『この建物の中にはインプとホブゴブリンどもだけじゃ。
全部、同じ部屋にまとまっておる。
その他は何も居らん。ネズミすら
しばらく使われないまま放置されていた上に、ヴァナディーズ襲撃事件を受けて綺麗に清掃されてしまった倉庫にはネズミの餌になるような物は残っていない。屋根裏に巣くっていたコウモリですら綺麗さっぱり追い払われていた。
「で、ではこの
『
……いや、北から兵どもが近づいてきておる。
ヒトと……ホブゴブリンじゃ。
まとまって来ておるが、ホブゴブリンは少ないの……』
「それはきっと味方です《
ヒトの軍人は伯爵公子閣下と、あとキュッテル閣下だわ。
他には、他には何も居ませんか?
あの……あのファドみたいな者が潜んでは?」
『いや、おらん。
あ奴は魔力を隠して居ったから普通のヒトにしか見えんかっただけじゃ。
居るのは分かっておったが、“敵”と区別できんかった。
じゃが、今は何も居らん。
じゃからあ奴は潜んでおらんよ。』
《地の精霊》から安全のお墨付きをもらい、ルクレティアはようやくホッと胸を撫でおろした。むろん、これらの会話の内 《地の精霊》の念話の分は周囲の者たちには聞こえていない。ルクレティアの声だけしか聞こえてなかったが、それでもルクレティアの態度からどうやら安全が確認されたらしいと言うことだけは分った。
「お待たせしましたカルスさん、行きましょう?」
安堵したルクレティアがようやく緊張を解いてカルスに呼びかけると、カルスは先ほどまでのどこか弛緩した態度とは打って変わってビシッと引き締まった態度で元気よく答える。
「
「!?……え、ええ……よろしく、お願いするわ……」
まるで絵に描いた軍人のようなカルスの反応に
「ま、待ってカルスさん。」
「は、はい
カルスはルクレティアの数歩前で立ち止まり、振り返ったがその姿は既に見えなかった。カルスの目が倉庫入り口から差し込む月光を反射しているのがかすかに見えるくらいである。
「その……暗いわ。何も見えない。
「ああぁ……すみません
人目に付くから火は使うなと言われたもんで……」
「ア、アナタは平気なの?
ホブゴブリンがヒトより夜目が利くなんて聞いたことないんだけど?」
ヒトとホブゴブリンは種が違うだけあって見た目以外にも色々と能力的な違いもある。よく言われるのが体力だ。ホブゴブリンはヒトに倍する筋力を誇るが、スタミナはヒトに及ばない。あと、肩関節の微妙な違いからホブゴブリンは腕もまっすぐ上に挙げることが出来ない。だから何かに両腕で捕まってぶら下がって移動する、いわゆる「
ヒトと戦闘する上でそれらはホブゴブリンの弱点であり続けたが、それでもヒトに倍する筋肉量が
感覚器ではヒトより嗅覚が優れている点が挙げられる。いつぞやのカール・フォン・アルビオンニア侯爵公子を襲った毒麦事件でも、ホブゴブリンやブッカ、そしてハーフコボルトたちは麦に混入された毒麦の臭いを嗅ぎ取ることができたが、ヒトは毒麦の存在を教えられた後ですら誰一人その臭いを嗅ぎ取ることができなかった。
ほかにも皮下脂肪が少ないので寒さに弱いとか、泳ぎが苦手とかいう話もある。平均寿命はヒトの方が確実に長いが、成長の速度はホブゴブリンの方が早い。知能はヒトの方が優れているとかいう話もあるが、大差ないという説もある。
が、ヒトとホブゴブリンの差異はルクレティアが知る限りその程度の筈だ。視力でヒトとホブゴブリンの間に差があるなんて話は全く聞いたことが無い。たぶん、種族の差より個人差の方が大きいはずだ。そして、カルスの答えはルクレティアのそうした認識が間違っていないことを告げるものだった。
「あ、ああ……俺も見えてねぇですよ?」
暗すぎて何も見えてない……それはどうやらルクレティアもカルスも同じだったようだ。が、カルスはルクレティアの前をまるでちゃんと見えているみたいに平気で歩いていた。
「!?
じゃ、じゃあどうして平気で歩けるの?」
見えないのに歩けるわけないじゃない!
何かにぶつかったらどうするのよ!?
そうしたルクレティアの疑問は当然のものだろう。事実、ルクレティアの後ろで話を聞いていたクロエリアも驚き、困惑を隠せないでいた。が、そうした疑問に対してあっけらかんと答えたカルスは二人を拍子抜けさた。
「え!?……そりゃあ、ここにゃ何も無ぇことはわかってますんで、あとはこうやって壁に手ぇついて壁伝いに歩けばいいんですよ。」
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