第934話 戦闘準備

統一歴九十九年五月九日、深夜 ‐ グナエウス峠/西山地ヴェストリヒバーグ



「ど、どうすんだよ!

 隠れるとこなんてないぞ?!」


 一人で三頭の馬を曳いているソファーキングは「誰か来る」というスワッグの言葉に慌てた。何もさえぎるもののない石畳の街道のど真ん中、右手は断崖絶壁だんがいぜっぺき、左手は岩肌あらわな急斜面で馬を連れたままでは脇へれる余地がない。夜中だからどうせ通る者など居ないだろうとたかくくっていたのはいくら何でも軽卒過ぎたかもしれない。ソファーキングの声に異変を悟ったのか、馬たちも落ち着きを無くし浮足立ち始めてしまう。


「落ち着け!脇へ寄って普通にしてろ。」


 スワッグは前方から接近して来る気配を気にしつつ背後のソファーキングにそう指示を出すと自分も左右の二頭の馬のくつわを持つ両手に力を入れ、強引に右手の崖の方へ身を寄せ始めた。


「ふ、普通にったって無理だろ!

 こんな夜中に馬を二頭も三頭も連れて街道歩いてたら、馬泥棒にしか見えないんじゃないか!?」


「うるさい!

 いいから普通にしてろ!

 それがさも当たり前な風によそおってりゃ、普通じゃなくても普通なのかもって思うもんなんだよ!」


 街道のど真ん中を歩いていたソファーキングはスワッグにドヤされ、口を尖らせながらも自分も右側へ馬たちを寄せた。そしてスワッグに続いてそれが当たり前のように歩き始める。


 ホントに大丈夫なのかよ!?

 いっそ馬に乗っちまった方がまだ怪しくないんじゃないか?


 そうは思いつつもペトミーからは馬には絶対に乗るなと厳命されている以上、不用意に乗るわけにもいかない。ここはスワッグの言うとおりにする他なかった。

 しかし、スワッグの言っていることもあながち間違ってはいないだろう。一見おかしなことをしているようでも、それが当然であるかのように周囲の目を気にすることなく当たり前の仕事であるかのようにやっていれば、見る者はたとえ気になっても軽々しく声をかけようとしたり、あるいは通報したりしようとはしなくなるものだ。


 ドヤドヤと道路の右側によって乱れた呼吸を整え、目の前を進むスワッグに歩調を合わせる。ソファーキングには未だに前から近づいて来る気配とやらはわからなかったが、スワッグが言うのだから間違いではないだろう。探知魔法でも使えばソファーキングにも分かるかもしれないが、地属性の魔法は未だに使えないままになっていたし風属性の探知魔法は周囲に魔力を放出して《風の精霊ウインド・エレメンタル》の助けを借りねばならないためスワッグの気配探知スキルの邪魔をしてしまう可能性があった。それにすぐ間近に魔獣化モンスタライズ寸前で魔力に鋭敏になっている馬たちがいるのに、そんな魔法を使えば馬たちを刺激して魔獣化させてしまうかもしれない。

 ソファーキングはこの事態に能動的なことは何もできず、ただスワッグの言うことを聞いて大人しく従うしかなかった。スワッグの方は馬を両側に従えたまま目を半開きにして意識を前方から迫りくる気配に集中する。


 気配は……一人……一人か!?


 最初に気配に気づいてから人数が増える様子が無い。集団なら距離が迫るにつれて感知できる人数も増えるはずだ。なのに増えないということは実際に一人なのだろう。


 いっそってしまうか?


 この夜中に一人で猛スピードでこの峠道を駆けあがって来るということはおそらく早馬か何かだろう。ならば途中で何かに出くわしたとしても多少のことなら無視して先を急ぐはずだ。スワッグたちを見つけた早馬はスワッグたちを怪しく思ったとしても、積極的に声をかけてきたりすることはないだろうし、減速して観察しようとすらしないはずだ。仮にそうしてきたとしても、相手が一人ならスワッグなら瞬殺できる。ソファーキングもいるから相手が鉄砲を持っていたとしてもどうにでも出来るはず。死体なんて崖から放り投げてしまえば、他の通行人に見つかることもあるまい。


 うん、なるべく戦闘は避けろと言われているがこれくらいはいいだろう。

 ファドだって砦で誰か殺したらしいけど、特に怒られなかったし……

 いざとなったら騒ぎになる前に殺してしまおう。


 スワッグは腹を決めた。が、それを背後のソファーキングに伝えようとしたところで違和感に気づいてしまう。


 あれ……馬の気配が……ない?


 接近して来る相手は結構なスピードで峠道を駆けあがってきている。その速度は馬の駆け足ぐらいはあるだろう。人間ならほぼ全力疾走に近い速度だ。当然、そいつは馬に乗っているものだとスワッグは無意識に思っていた。

 ところが馬の気配が感じられない。気配の主はおそらく結構な魔力量だ。間違いなく常人NPCを上回る魔力を持っているだろう。だからスワッグにはこの距離でも感知できた。馬は所詮は普通の獣でしかないので魔力量は大したことは無い。なので足音や呼吸音は人間なんかよりずっと大きいにもかかわらず、スワッグのように魔力を感知して相手を見つけるスキルを身に着けている者からすると、人間よりも気配が小さく感じられてしまう。

 だからスワッグは馬の気配が感じられないだけで、きっと馬に乗っているのだろう。もう少し近づけば馬の気配だって感じられるようになるはずだと考えていた。ところが馬の気配も確実に伝わって来るであろう距離になっても馬の気配は感じられない。伝わってこない。


 あいつ……馬にも乗らずにこの峠を駆け上がってきたのか!?

 並大抵の脚力じゃないぞ!?


 まだ姿を見せない接近中の相手にスワッグは脅威を感じ始めていた。


 いったい何者だ?!

 こんな実力者がこんな辺境でたった一人で!?

 ……いや、ひょっとして一人じゃないのか?

 気配遮断のスキルを持った奴が近くにいる!?


 足音、呼吸音、その他の雑音やわずかな体温……それらが一般に人間が感じることのできる“気配”の正体だ。スワッグをはじめこの世界ヴァーチャリアの住人たちはそれらに加えて相手の身体から漏れ出ている魔力をも感じることが出来る。そして、それらは訓練を積めば遮断することができた。それを可能とするのが気配遮断のスキルである。

 スワッグ自身も気配遮断のスキルは持っているし、他にも持っている者はいる。『勇者団』ブレーブスで最も気配遮断のスキルに優れているのはファドだ。次いでナイス、ティフ、スワッグの順だろうか?ファドが本気になるとスワッグでは見つけることが出来なくなるが、それでもティフやナイスぐらいなら気配遮断のスキルを使われたとしても頑張ればある程度は感知できる。

 ところが、今接近中の相手は相変わらず一人だ。


 ファド並みの実力者なのか?

 いや、本当に一人なのか?


 ともあれ、スワッグはその相手に何か気持ち悪いものを感じていた。


 緊張を強いる嫌な相手……うん、殺してしまおう!


 スワッグは前方を注視したままわずかに振り返った。


「ソファーキング!

 相手は一人だ。

 何者かわかんないけど、殺してしまおう!」


るのか!?」


「ああ、さっきファドだって砦で誰か殺したみたいだし、別にいいだろ?

 騒がれるよりはマシだ。

 いっそ殺して死体を崖へ投げ捨てよう。」


 唐突なスワッグの提案はあまりにも極端なものだったが、やはり同じ『勇者団』の仲間なだけあってソファーキングにはこういう展開も想像できていたようだ。驚いたそぶりこそ見せてはいたが、月明かりに照らされたその表情は決して硬くなく、むしろ何か吹っ切れたかのようにリラックスしている。


「わかった。

 後衛は任せろ。」


 スワッグの耳に届いたソファーキングの声は、どこか踊っているかのような楽し気な響きがあった。

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