第935話 見つけた気配

統一歴九十九年五月九日、深夜 ‐ グナエウス峠/西山地ヴェストリヒバーグ



 なんだ!?


 まだ見ぬ街道の先で急に高まり始めた魔力の気配にデファーグ・エッジロードはシュバルツゼーブルグをって以来ほとんど止めることの無かった脚を初めて止めた。腰に下げたままでは暴れて走りにくいために両手で持っていた愛剣を元の位置に戻し、剣の柄を左手で押さえながら右手は胸に当て、すっかり上がっていた息を整える。


 気配は二つ……どうやら攻撃の準備を整えているようだな……


 伝わってくる魔力の波動は相手が並大抵の実力ではないことを示している。アルビオンニアの地に居るこれほどの実力者……それは『勇者団』ブレーブスのメンバー以外、デファーグは知らない。

 より強大な魔力の持ち主としては《地の精霊アース・エレメンタル》がいる。おそらく『勇者団』が束になって戦っても勝つのは難しいだろう。もしかしたら大聖母ママよりも強いかもしれない。少なくともデファーグが間接的にとはいえ戦った相手の中では最強だ。だが、アルビオンニウムで戦った時に感じた《地の精霊》の気配はもっとぼんやりしていて具体的な感じはしなかった。明確にと思わせるような存在感はなく、全体を包み込む空気そのものが《地の精霊》の存在を感じさせるような、そんなおぼろげな印象だった。今、前方から伝わってくる魔力の波動とは明らかに異なる。魔力の強さからして間違いなく人間……それもハーフエルフじゃない。ヒトの聖貴族だろう。

 ということは前に居る二人は『勇者団』のメンバーと見ていいだろう。だが彼らが『勇者団』の誰かだと安易に決めつけることはできない。何故ならデファーグが探しているメンバーは五人の筈なのに前方の気配は二人分だけだったし、その二人は妙に殺気立っていて、しかもその殺気をデファーグに向けていたからだ。


 あれは誰だ?

 『勇者団』ブレーブスの誰かじゃないのか?

 何で殺気立っている?


 呼吸を整えながら回らない頭を必死に回してデファーグは考える。だが、その答は簡単には出てこない。


 クソっ、まるで頭がしびれるようだ……


 デファーグは夕方にシュバルツゼーブルグ郊外のアジトを発ってからほぼずっと走り続けていた。魔力に優れたハーフエルフがその持てる魔力を身体強化に惜しみなく注ぎ込み、剣術鍛錬に集中して身体を鍛えぬいた結果剣聖ソード・マスターの称号を得るまでに至った彼である。走れば馬などよりずっと速く、しかもその速度で数日間走り続けることだってできるだろう。その彼が夕暮れ時にシュバルツゼーブルグを発ったにも関わらず、日付が替わるであろう時間にもなってようやくグナエウス峠を登り詰めるところまで到着したのは彼がシュバルツゼーブルグへ到着したルクレティア一行……その中にいるであろう《地の精霊》に見つからないようシュバルツゼーブルグの街の外側を大きく遠巻きに迂回しなければならなかったからであり、そしてグナエウス街道に入ってからはずっとティフ達が立ち寄りそうなところをイチイチ確認しながら来ていたからだ。

 ティフたちはルクレティア一行が先に行ってしまったと勘違いし、居もしないルクレティアを探してグナエウス街道を進んでしまった。ルクレティア一行を探すために行ったのだから、ルクレティア一行が宿泊しそうな場所を確認しながら進むだろう。もしもデファーグがティフ達が街道上を進んでいるものと思い込み、脇目もふらずにただ街道上を走り続け、それでもしもティフが慎重に探索しながら進んでいたなら、デファーグは気づかぬ間にティフ達を追い越してしまい、最後までティフ達を見つけることが出来なくなってしまうかもしれない。デファーグはティフ達を追跡するための体力には一切の不安を持ってはいなかったが、さすがに存在しないはずの場所からティフたちを見つけ出す自信は持ちようがなかった。探し求める相手を気づかぬ間に追い越し、追い越したことに気づかずに先を進み続けるティフの失敗を、それを報せるために走る自分が同じように犯すわけにはいかないのである。

 この状況はデファーグに無用の負担をかけた。ただ、無心に走ればいいだけならデファーグは何の負担も感じなかっただろう。身体と剣術を鍛え上げることに心血を注いできた彼のことだ。むしろ快い運動くらいに思えたかもしれない。だが今回は違う。どこへとも知れぬ場所へ行ってしまった仲間を探し出さねばならない。デファーグはそうしたことがあまり得意ではなかった。


 剣聖と呼ばれるほどの剣術の達人にしては意外なことだが、他の聖貴族たちが当たり前にやっているような誰かの気配を探す、あるいは自分の気配を消すといった行為がデファーグは苦手だった。いや、苦手というよりそういったことには研鑽けんさんを積んでこなかったのだ。

 自分の肉体を魔力によってどれだけ強化するか、どれだけ自在に動かすか、どれだけ素早く鋭く剣を振るか、そして剣にどれだけ上手く魔力をはしらせるか……彼のこれまでの研鑽はすべてそこに注ぎ込まれていた。通常の剣術家がやるような敵の挙動を見抜き、その動きを察して切っ先を制したり、あるいは自らの動きを悟られぬように気配を消したりといったことはもちろんデファーグも多少はやっている。が、デファーグのそれはあくまでものものであり、まだ見ぬ敵を探し求めたり、あるいはまだこちらに気づいていない敵に忍び寄ったりというの部分はまったくおろそかになっていたのだ。


 さすがに今のように相手が自分に向けて攻撃魔法を準備しているような状況では気づくことも出来るが、そうではないのならたとえ相当の魔力の持ち主であっても、見えないところにひそんでいるのを気配だけで探し出したりといった真似は出来ない。スワッグやナイス、ファドがやっていたように、逃げ隠れしている盗賊たちを気配を頼りに探し出すような真似なんか到底できないのである。デファーグがもし誰かを探し見つけ出そうとしたなら、普通の人間たちがそうするように実際に目で見るなり耳でその声を聞くなりしなければならないのだった。


 である以上、デファーグは走れば走るほど不安を募らせることになった。そろそろ見つかるか?さすがにもう見つかるだろう。まだ先に行ったのか?もう次で見つかるだろう。そう思いながら走り続けるがどこを探しても見つからないのである。そのうち、ひょっとして気づかない間に追い越してしまったんじゃないか?どこか見落としがあったんじゃないか?という不安が頭をもたげ、彼をさいなむようになったのだ。

 これが他のメンバーたちなら気配察知できないのだからここには居ないと自信を持って判断を下して次へ次へと進めるのだろうが、自分の目と耳だけが頼りのデファーグにはそれができない。まして陽は暮れてとっくに真っ暗になっているのであるから、見落としがあったのではないかという不安は時が経つにつれてより一層強まっていく。だからといって簡単に引き返せるわけでもない。本当にこれでいいのか?と確信も持てないままこれだけ長時間走り続けるのはデファーグにとって初めてのことだった。


 そしてやっと見つけた気配はしかし彼に安心をもたらすことはなかった。いや、最初はホッとしたのだ。だがその気配が明確に自分に対して敵意を見せて攻撃の準備を整えているとなれば話は違ってくる。しかもティフは五人で出発したはずなのに、前方にいる気配の主は二人きり……たとえそれだけの魔力の持ち主が『勇者団』しかいないはずと思っていても、本当にメンバーなのかどうか疑いたくなるのも当然であろう。


 前方の二人は『勇者団』の誰かで間違いないと思うが、それなら他の三人はどうしたのだろうか?何故、殺気立ってこちらを攻撃しようとしているのだろうか?それを考えた時、デファーグは別の可能性に思い当たった。


 ……まさか、ティフ達の身に何かあったのか!?


 『勇者団』は世界最強の戦闘集団だ。それが彼ら自身の認識だったし、それは完全に間違っているわけでもないだろう。実際、デファーグ自身も剣術の実力は自他ともに世界一と認めるところであるし、他のメンバーもかなりな実力者ぞろいだ。しかし、ここへ来てその『勇者団』を圧倒する存在が次々と現れている。ルクレティア・スパルタカシアが使役する《地の精霊》、アルビオン海峡をつかさどる《水の精霊ウォーター・エレメンタル》アルビオーネ、そしてブルグトアドルフの森に現れたという《森の精霊ドライアド》……話に聞く限りいずれも現在人類最強である大聖母フローリア・ロリコンベイト・ミルフに優るとも劣らぬ存在だ。ここへ来てまた新たな実力者が現れたとしても不思議ではないし、そんな強大な存在にティフ達が突然出くわし、思わぬ被害を被った可能性は否定しきれない。前に居るのがその生き残りだとしたら、仲間三人を失ったか、あるいははぐれたかして神経質になっており、それでこちらに過剰反応を示しているのかもしれない。


 フゥゥゥーーーーーッ


 デファーグは考えながらも深呼吸を繰り返し、息を整えた。


 ……ひとまず、行くしかないか……


 そう、ここで待っていても仕方ない。どういう状況かは分らないが、ティフが探し求めていたルクレティアの一行は今シュバルツゼーブルグにおり、ペイトウィン・ホエールキングが足止めを試みている。ティフにはその事実を知ってもらい、なるべく早く戻ってもらわねばならないのだ。

 デファーグは覚悟を決めた。仮に戦いになっても、近接戦闘能力でデファーグに優る者はいない。『勇者団』メンバーの魔法攻撃であったとしても、短時間なら防ぐなり避けるなりして懐に踏み込むことはできるはずだ。デファーグは愛剣ティルフィングの柄をギュッと握り、感触を確かめた。


 よし、行こう!

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