第1020話 教会への疑念

統一歴九十九年五月十日、昼 ‐ ティトゥス教会/アルトリウシア



 帝都レーマからアルビオンニア属州へ派遣される際に託されたマティアスの最大の任務はレーマ正教会の安定化である。

 アルビオンニア属州は初めてランツクネヒト族の貴族が領主に任じられた属州だ。捕虜になったり、あるいは迫害を逃れてレーマ帝国へ渡って来たランツクネヒト族だったが、レーマ帝国内であれば差別や迫害を受けずに済んだかというとそんなことはない。啓展宗教諸国連合側では彼らの人種的特徴が差別の理由であったが、レーマ帝国側では彼らの信仰するキリスト教が理由で差別を受けることになったのである。

 その点、レーマ帝国側で広く信じられている多くの多神教と共存できるように教義に修正を加えてレーマ正教会を設立させたこと、そして敵味方双方から畏怖されるほどの戦場での活躍によって、ランツクネヒト族に対する差別は時代を経るに従いかなり緩和されてはいったのだが、それでもレーマ帝国には珍しくないアンチ・キリストたちによるヘイトが完全に解消されたわけではなかった。

 そんなランツクネヒト族にとって、レーマ正教会にとって、アルビオンニア属州は「約束の地」になり得る希望の土地だった。属州領主はランツクネヒト族であるから民族や宗教を理由にランツクネヒト族が不利になるような政策が実施される心配はない。アルビオンニア属州は元々無人地帯で土着の先住民もほとんどいないから異民族や異教徒による抵抗も無いだろう。その上、帝都レーマからも啓展宗教諸国連合からも遠く離れた辺境の地なのだから、迫害者たちから物理的に距離を置くことが出来る。アルビオンニア属州の開府と共にレーマ帝国へ渡ったランツクネヒト族のほぼ半数がアルビオンニア属州へ移住したのも無理からぬことであろう。もちろんレーマ正教会も積極的に後押ししている。


 が、その属州領主マクシミリアン・フォン・アルビオンニア侯爵の許に生まれた待望の嫡子カールはアルビノだった。異様な外見……陽の光で火傷する白い肌を見たアルビオンニアの司教はカールを悪魔憑あくまつきだと断じ、マクシミリアンに対してカールを殺すか追放しろと要求、侯爵家の反感を買ってしまう。そして問題は見る間に拡大し、ランツクネヒト族にとって約束の地となるはずの属州で司教&ランツクネヒト族VS領主と非ランツクネヒト族レーマ帝国臣民の対立が起きてしまった。

 アルビオンニア属州はレーマ帝国の中でランツクネヒト族人口が最も多いとはいえ、属州総人口に占めるランツクネヒト族の割合は三分の一といったところだ。それでいて属州領主が息子を悪魔憑き呼ばわりされたことに憤慨し、司教と明確に対立してしまっている。もし、現地レーマ正教会がランツクネヒト族を巻き込んで暴発するようなことになれば、ランツクネヒト族の方が必ず負ける。属州内の人口比でも勝てないのに、アルビオンニア属州に隣接するサウマンディア属州は非キリスト教徒が圧倒的多数なのだ。ランツクネヒト族は、そしてレーマ正教会は、せっかく手に入れた「約束の地」を永遠に失うことになるだろう。


 事態を重く見たレーマ正教会が現地の対立を収束させ、現地教会を安定させるために派遣したのがマティアス司祭だった。現地の対立はカールを悪魔憑き呼ばわりした司教の急死、そして後任司教とマティアスの着任によって一挙に収束したわけだが、しかし急死した前司教を支持する層が消滅したわけではなかったし、カールのアルビノという体質も改善していない以上、いつ問題が再燃してもおかしくない。よって、マティアスの任務はまだ継続中だ。

 カールの悪魔憑き疑惑を根絶し、アルビオンニア侯爵家との協力関係を緊密なものとし、レーマ正教会と異教徒たちの対立を未然に防ぐ……すべてはランツクネヒト族の、レーマ正教会信徒の安住の地を築くためである。マティアスは自分の役割をよく理解していたし、それ成すために司祭でありながら司教に準じた権限を与えられ、また必要に応じて帝都レーマの大司教らに直言することも認められていた。そのマティアスにとって、目の前の子爵領法務官へ協力することには何の問題も無い。むしろマティアスの側から積極的に働きかけても良いくらいだ。

 ただ、問題は当のアグリッパの態度である。マティアスに協力を求めるというような態度ではなく、どちらかというと挑発的……敵対的ですらある。法務官としてのアグリッパの仕事ぶりは定評がある。いくらキリスト教が嫌いだとしても、まさか公私混同するとも思えないが、アンチ・キリスト者として職権を振るおうとしているのであれば看過できない。


「アナタが私を警戒するのはもっともなことです。

 ですが私も色々と警戒せねばならぬ立場でしてね。

 ただ、私が疑っているのはアナタではありません、マティアス司祭。」


「では誰を?」


 苛立いらだちをにじませ、警戒を強めるマティアスにアグリッパは表情を消した。そしておもむろに前のめりになり、声を潜めた。


「『それが主の御心に沿うものであれば』とアナタはおっしゃられた。

 しかし残念ながら私はアナタの信じる神の御心の所在を知りません。

 そこで尋ねますが、アナタの神の御心は侯爵家を御守りくださいますか?」


 もちろん……と即座に答えようとしたマティアスをアグリッパは手をかざして制止し、そのまま言葉を続ける。


「それとも、教会を御守りすることを望まれますか?」


 言葉を切ってマティアスの目をジッと射抜くように見据えるアグリッパを、マティアスは見返しながら眉を寄せた。


 まさか教会を?

 教会と侯爵家の対立のことを言っているのか?


 マティアスは悪い冗談でも聞かされたかのようにフッと短く笑った。


「侯爵家と教会は一体であると、私は信じております。

 以前あったような不幸な対立は誤解によるものでした。

 既に過去のものであると、私は……?」


 教会と侯爵家の対立……それはあってはならない不幸だ。そしてマティアスはその不幸を解消し、再発を防ぐために存在している。ならばアグリッパの抱く疑念を否定するのは当然だろう。

 だがマティアスが言い切る前に、アグリッパは無言のまま首を左右に振った。そしてそれに気づいたマティアスが言葉を中断するのと同時に前のめりにしていた上体を起こし、逆に背もたれへ上体を預けながらフーっと息を吐く。


「残念ながら教会も一枚岩というわけではありません。」


 アグリッパの言わんとしていること、その意味に気づいたマティアスは驚いた。


「まさか……」


「そのまさか、と言わざるを得ませんな。

 私はむしろ安心しましたよ。

 司祭と話をするまでは、ひょっとして教会が組織だって侯爵家に背こうとしている可能性もあるのではと考えていましたから。」


「それは!絶対にありません!!」


 今度はマティアスの方が身を乗り出す。さすがに聖職者だけあって感情を剥き出すことはないが、それでも彼が身体を支えるように肘掛けを掴んで前のめりになるのはかなり珍しい。それだけ抑制が利かなくなっているのだろう。アグリッパはそれまでとは裏腹に険のとれたような様子でマティアスを宥めるように軽い笑みを浮かべながら手を翳した。


「それは承知しております。

 司祭とお話して確信しましたからご安心を。」


 マティアスは自分が取り乱してしまったことに気づくと、それを恥じるように襟元を正しながら姿勢を戻す。

 信じたくはないが教会内部に侯爵家との関係を悪化させるような不届き者が存在しているとしたら一大事だ。しかも、そのような者の存在にマティアスが気づけず、外部のアグリッパに教えられるなど、本来ならあり得べかざる失態である。しかし、失態を糊塗ことするわけにはいかない。マティアスには個人的な恥などとは比較もできぬほど重大な責任というものがあるのだ。


「いったい、何があったというのです?

 侯爵家の方が害されるようなことがあったのですか?」


 恥を忍んで尋ねるマティアスにアグリッパは意外そうに片眉を大きく持ち上げた。


「お忘れですか?」


「何をです!?」


「前回の、マニウス要塞カストルム・マニでの日曜礼拝で起きた異変ですよ。」

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