第1021話 毒ロウソク

統一歴九十九年五月十日、昼 ‐ ティトゥス教会/アルトリウシア



「あれが!?」


 アグリッパの示唆にマティアスは愕然とした表情を見せた。

 今週の日曜日、叔父であるアルビオンニア軍団軍団長レガトゥス・レギオニス・アルビオンニイのアロイス・キュッテルから軍務の実際について師事を受けるべくマニウス要塞カストルム・マニへ移ったカール・フォン・アルビオンニア侯爵公子のために開かれた日曜礼拝、そこでマティアスは事件に巻き込まれていた。突如として参列者たちの体調が急変し、意味も無く狂ったように笑い始める者たちが続出したのだ。マティアス自身も体調を崩している。原因はまだ分からない。礼拝の補助をしていたザスキア尼シュヴェスター・ザスキアは悪魔の仕業と思っていたようだが、少なくともマティアスはあの時、悪魔の存在を示すような異常な魔力は感じなかった。


 あれが人為的なものだったというのか!?


「はい、あれは毒によるものでした。」


「毒!?」


「エルゴット……カビに侵された麦から作られる毒薬で、薬として使えば血止めの効果があるが、意識を混濁させ、幻覚を見せる副作用もある。

 酷いと手足を腐らせるそうですな。」


「悪魔の爪……」


 エルゴットは麦角菌ばっかくきんに冒された麦を乾燥させ、磨り潰して作る黒い粉末状の毒薬だ。アグリッパが言ったように服用すれば出血を抑制する効果があり、主に出産の際に産褥さんじょくに対処するために用いられるのでマティアスもその存在は知っている。薬として使えば有効だが、間違って普通の麦と一緒に食べてしまうと意識の混濁や幻覚といった副作用が現れ、手足が壊死することもある非常に危険な毒だ。このため、麦角菌に侵された麦はその見た目から「悪魔の爪」とも呼ばれ恐れられている。


「待ってください。

 エルゴットなら確かにあの症状は説明が付く。私も納得できます。

 ですがあの時、私は飲食はしていません。礼拝の前にお茶をいただけです。

 お茶にエルゴットが入っていたとしたら症状が出るまでに時間がかかりすぎているし、あの場にはお茶を飲んでなかった人もいました。

 全員が同じタイミングで症状が出たというのは……」


 半信半疑で自身の記憶を手繰たぐるマティアスの目の前で、アグリッパは複数のロウソクを差し出してテーブルに無造作に置いた。置く瞬間、コトコトッとロウソクが乾いた軽やかな音を立てる。


「それは……」


 それは南蛮ロウソクの燃え残りだった。レーマで南蛮ロウソクは珍しいが、それらはマティアスも見覚えがあった。アグリッパの説明がそれを裏付ける。


「あの時、使われていたロウソクです。

 毒はこれらに仕込まれていました。」


「これにエルゴットが!?」


 マティアスはロウソクの一つを手に取った。燃え残りの芯が黒くなっているのは当然だが、それ以外に特に異常があるように思えない。


「どうやらロウソクの芯の内側に、エルゴットがまぶしてあったようですな。

 ヒトの鼻では分からないようですが、鼻の良いホブゴブリンやブッカには辛うじて臭うようです。

 生憎と私の鼻ではよくわからなかったのですが、事件の後で来られた子爵公子アルトリウス閣下は部屋全体が臭うとおっしゃっておられましたな。」


 言われてマティアスは南蛮ロウソクの底から芯の中を覗き込んだ。南蛮ロウソクはレーマ帝国で一般的なロウソクと違って紙を筒状に巻いた芯を使う。このため芯の中心には孔が開いており、そこから空気が入り込むためともされた火への酸素の供給量が多くなる。このため普通の、糸を芯に使ったロウソクよりも炎が強く明かるくなるのが特徴だ。その代わりに火は常に明滅を繰り返すかのように揺らぎ続けて明るさが安定せず、また炭化して燃え残った芯を定期的に切って取り除かねばならないなどの欠点もある。マティアスが覗きこんだのはロウソクの筒状の芯の孔だったが、その内側は確かに黒くなっていた。


「エルゴットは口から服用しなくても、蒸し焼きにしたり燃やしたりした煙を吸い込むだけでも効果があるのだそうです。

 あの時、それと同じ毒入りの南蛮ロウソクが何十本と灯されていた。それも、締め切った部屋の中で、長時間にわたって……」


 マティアスはンン~ッと喉の奥で低く唸ると、手に持っていたロウソクをテーブルに戻した。


「なるほど、その南蛮ロウソクを用意したのは我々、法務官殿が教会を御疑いになられたのも頷けます。

 ですが、我々ではありません。私共に侯爵家の皆様を害する意図など……」


 弁明を始めたマティアスをアグリッパは静かに手をかざして制止した。


「教会が関わっていないことは承知しております。

 しかし、犯人が教会の内部にいることは間違いありません。」


「そんなっ!」


 静かに断言するアグリッパの自信に満ちた態度にマティアスは絶句する。アルビオンニアに着任してから約六年、アルビノという体質に対する誤解とカールを悪魔憑きとする偏見の解消、そして教会と侯爵家の和解にマティアスは心血を注ぎ続けてきた。その成果は着実に現れ、悪魔憑きという噂はすっかり聞かれなくなり、侯爵家と教会の信頼関係も強固なものとなっている。火山災害の混乱はあったが、侯爵家と子爵家、そして教会の尽力もあって人心は安定を見せている。


 それなのに、今になってまた!?

 ……いや、まだ間違いという可能性も……


 困惑を隠せない様子で視線を落とし、救いを求めるように視線を泳がせていたマティアスは何か救いを求めるように顔をあげた。


「法務官殿。」


「何ですかな?」


「本当にその毒ロウソクは侯爵家の皆様を狙ったものでしょうか!?」


 マティアスから疑問を投げかけられたアグリッパは驚いたように眉を持ち上げて上体をわずかに仰け反らせた。


「その南蛮ロウソクは教会が用意した物ですが、元々教会に寄付された物です。

 本来は日曜礼拝ではなく、教会に併設された孤児院で使われるはずのものでした。それが間違って日曜礼拝に使われるはずの蜜蝋ロウソクと入れ替わってしまったのです。

 侯爵家を狙ったものではなく、教会を狙ったアンチ・キリストたちの犯行だったのではありませんか?」


 驚いた表情のまま聞いていたアグリッパはマティアスの訴えかけるような疑問を聞くと、表情も姿勢も変えることなく一度、大きく鼻で深呼吸した。


「その可能性はないでしょう。」


 溜めを利かせるように間を置いたアグリッパが一息に言い切ると、マティアスは残念そうにゴクリと唾を飲む。


「毒を仕込まれた南蛮ロウソクが教会に寄付されたのなら、その可能性は高かったと言えます。ですが、南蛮ロウソクに毒が仕込まれたのは教会に寄付された後なのです。」


「で、では……」


「毒は教会で仕込まれました。」


 マティアスが縋った唯一の可能性はアグリッパによってハッキリ否定された。

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