第764話 ロックス・ネックビアード

統一歴九十九年五月九日、午後 - 『黄金宮』ドムス・アウレア聖堂サクラリウム/レーマ



 大聖母グランディス・マグナ・マテルフローリア・ロリコンベイト・ミルフが転移魔法でゲートを開いて『黄金宮』ドムス・アウレアに来た時、同じゲートを使って複数の人物が付いて来ていた。多くはムセイオンで下働きをしている神官たちであり、フローリアの世話をするためについてきた付き人に過ぎなかったが、フローリアと共に来たうちの二人は明らかに聖貴族コンセクラトゥムであった。

 一人はルード・ミルフ二世……フローリアが夫であるハイエルフのゲイマー、ルード・ミルフとの間に設けた一人息子である。見た目の年齢的には十五~六といったところだが、実際の年齢はもちろん百歳を超えていた。ゲイマーの血を引く聖貴族としては珍しく大戦争中の生まれで最年長である。レーマ皇帝インペラートル・レーマエマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールの戴冠式や結婚式にも母と共に主席したし、それ以前も何度かレーマを訪れたことがあり、マメルクスもその都度ルードの姿を見ていたが、マメルクスはとっくに大人になっているというのにマメルクスが幼少だったころからルードの見た目はほとんど変わっていない。

 その顔立ちはフローリアによく似ているが、フローリアよりは若干細面で鼻や目元などはフローリアよりもシュッと鋭い印象を受ける。そして細く柔らかそうな亜麻色の髪の切れ目から、ハーフエルフらしい細長い耳が伸びていた。ゲイマーの血を引く他の聖貴族にとっては唯一の年上の男性であり、その優し気な緑色の瞳を向けられて頬を赤らめ無い女聖貴族コンセクラータは居ないと言われている。


 そしてもう一人の少女……年の頃はやはり十五かそこらのヒトの少女といったところだが、雰囲気やたたずまい、そしてフローリアに付き従っている神官たちの態度は普通の少女に対するものでは断じてない。そもそも顔立ちが整いすぎている。

 ゲイマーのほとんどは顔も体形スタイルもまるで不自然に整った美男美女ばかりであり、当然その血を引く聖貴族たちもまるで芸術家が理想を追求した果てに作り上げた彫像に生命が宿って動いているのではないかと思えるほどの美男美女が多いのだ。そしてそれは彼女にも見事に当てはまり、絵画の中から出て来たかのように美しく、それが生きて動いていること自体が信じがたい。

 着ている衣装もまるで別世界の代物だ。貫頭衣トゥニカをアレンジするだけのレーマ人のシンプルな衣装などではなく、ランツクネヒト族やチューア人が着ているような人間の体の形に合った服を更に複雑かつ精巧にしたようなドレス。全体としてルビーのような赤を基調として金糸による刺繍と黒いレースで縁取られた彼女の服は見るからに手間がかかっていそうなのにシワひとつできておらず、縫製技術の高さがうかがえる。それ一着だけで少なく見積もっても奴隷の十人分くらいの値段はするだろう。レーマ郊外にちょっとした屋敷ドムスを構えられるくらいの値段だ。

 何かの予定があったわけでもなく成り行きで来てしまったハズのこの場で着ているということは、普段からこのそれだけで一財産になりそうな服を着ているということだ。つまり、平民プレブスなどでは断じてあり得ず、下級貴族ノビレスなどよりもずっと高い身分、財力の持ち主と言うことになる。

 彼女の名はロックス・ネックビアード。一応こちらに来た直後、フローリアが手紙を読んでいる間にルードに促されて簡単な自己紹介はしてもらってはいたが、マメルクスはその名に聞き覚えは無かった。


「あら、この子たちは大丈夫よ。

 そうよね、ルーディ?ロキシー?」


 ムセイオンの聖貴族たちに《暗黒騎士ダーク・ナイト》の縁者が降臨したことを知られるのは不味い。そのことを理解したマメルクスがフローリアと共に来た二人の聖貴族のことを気にかけていることに気づくと、フローリアは半分笑いながら二人に尋ねる。


「もちろんです、母上マテル。」


「はい……私も、大丈夫ですママ……」


 ルードとロックスは相次いで答えた。フローリアのことを「ママ」と呼ぶということは、やはりゲイマーの血を引く聖貴族で間違いないようだ。

 しかしルードの方はマメルクス以上に貴族然としてスマートに答えたのに対し、ロックスの方はどこか浮かない様子だった。


 本当に?


 ルードの方は問題ないだろう。彼の父は《暗黒騎士》に殺されたわけではなく、大戦争中に降臨ログインしてこなくなっただけだ。彼の父ルード・ミルフはおそらく《レアル》で生きていると信じられている。

 しかしロックスの方はどうだろうか?

 見た目からしてヒトで間違いないであろう彼女はハーフエルフのルードよりずっと成長が早く、寿命も短いはずである。つまり、今の見た目の年齢はルードと同じくらいでも、実際の年齢はルードよりずっと若いはずだ。ということは戦後の生まれのはずで、父母か祖父母が《暗黒騎士》の手にかかった聖貴族の一人である可能性が高い。

 マメルクスの視線に気づいたロックスはマメルクスの方に向き直り、胸に手を当てて毅然として言った。


「わたくしの心配は御無用です、陛下。

 私の父祖ロックス・ネックビアードは確かに《暗黒騎士ダーク・ナイト》様に討たれはしましたが、殺されはしませんでした。

 ゲイマーとしての力を奪われながらも大戦争を生き延び、そしてヒトとして天寿をまっとうしたのです。

 《暗黒騎士ダーク・ナイト》様に思うところが無いわけではありませんが、御本人でもない方を見境なく責めるような真似はいたしません。」


 ロックスはどうやら気の強い性格だったらしい。そのあくまでも礼節を保ちながら発せられた強い口調、そして晴れた日の北極海の海を思わせる深く透き通ったあおい瞳を向けられれば、マメルクスをして思わず気圧けおされてしまうのを禁じ得なかった。先ほどまでのロックスのどこか気弱そうなはかなげな雰囲気は、おそらく心配事か何かで胸を痛めていたせいだったのだろう。


「いや、これは……余としたことが礼を失したようだ。

 許すがよい。」


 マメルクスがそう言うと、ロックスは小さく「フン」と鼻をならして姿勢を戻した。そのこまっしゃくれた態度を「おほほ」とフローリアが笑う。


「申し訳ありません陛下。

 ほら、私が先ほど脱走者が見つかったのかお訊きしましたでしょう?」


「?……ええ」


「脱走者の中にこの子の婚約者がいるの。」


「ママ!!」


 何か申し訳なさそうに話すフローリアが何を言おうとしているのか気づいたロックスが驚きの声を上げる。だが、フローリアは構わず話を続けた。


「私がゲートを開いてレーマへ出かけようとしたものだから、婚約者が見つかったのかと思ってついて来ちゃっただけなのよ。」


「マ、ママ!!……」


 顔を赤くしたロックスはフローリアに抗議しようとしてたが、フローリアの話に「ホゥ」と驚きの声を上げたマメルクスの視線に気づくと、まさかと周囲を見回し、その場にいる全員の視線が自分に集中していることを知り、顔を耳まで赤くしてうつむいてしまった。


「……す、すみません陛下。」


 ロックスのか細い声が耳に届くと、呆気にとられていたマメルクスはハッと気づいて慌ててフォローする。


「いや、気にせずともよい。

 聖貴族コンセクラトゥムの来訪を歓迎せぬ余ではない。

 脱走者のことは帝国中に手配しておるゆえ、其方そなたの婚約者もほどなくみつかるであろう。」


 マメルクスの励ましにロックスはうつむいたままコクンと頷き、膝の上に置いた両手でスカートをギュッと握りしめた。垂れ下がった栗色の前髪のせいで表情は見えないが、ロックスの耳の赤身はだいぶ薄くなっている。

 「ふぅ」と少しわざとらしく息をすると、フローリアは場の空気を入れ替えるように話題を戻した。


「ともあれ、ムセイオンこちらの側は秘密が漏れる心配は今のところしなくていいわ。

 神官たちにも『魔法の鏡』スペクルム・マギクスでの通話の内容は口止めしてありますから……一応、念のために緘口令かんこうれいは敷くけど、漏れる心配はないでしょう。

 レーマそちら側も秘密は守られると期待してよろしいのでしょうか、陛下?」

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