第763話 秘匿の必要性

統一歴九十九年五月九日、午後 ‐ 『黄金宮』ドムス・アウレア聖堂サクラリウム/レーマ



「内密にですか……それは、でしょうか?」


 自分が来たことを内密にしてほしいと言った大聖母グランディス・マグナ・マテルフローリア・ロリコンベイト・ミルフを見据えたまま、レーマ皇帝インペラートル・レーマエマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールはわずかに姿勢をかしげ、右手を口元へやった。そのまま人差し指で鼻の下をさする様に自然に口元を覆い隠す。


 国際機関ムセイオンの長たるフローリアが正規の手続きを踏まずに帝都レーマへ、それもレーマ皇帝の宮城きゅうじょうたる『黄金宮』ドムス・アウレアの最奥に直接飛んできたとなれば、普通に考えれば確かに問題である。その情報の発表の仕方によっては世界を揺るがす一大スキャンダルにすら発展しかねない。内密にしたいというフローリアの申し出は当然と言えば当然であった。

 しかし、マメルクスもレーマ皇帝という立場からするとこのことを秘密にするのは、短期的にはメリットになっても長期的にはデメリットにしかならない。彼は降臨についてムセイオンに報告し、フローリアの裁可を得て対応を行ったということにしなければならないからだ。さもなければ今回の降臨の対応、その責任が全て自分に降りかかってくることになりかねない。

 今回のような前代未聞の大事件、何をどう対応したとしても必ずどこかで失敗はする。失敗を完全に防ぎきることなど現実的には不可能だと言っていいだろう。それが致命傷にならずに済むようにするためには、これから下す決定のすべてについて世間が納得しうる根拠を用意せねばならないのだ。そして、今のところマメルクスが自身に降りかかる責任を回避するために最も頼りになるのが大協約とフローリアなのである。しかし、ここでフローリアとの会見を秘密にする……つまり、フローリアと相談しなかったということにしてしまうと、頼るべき根拠としての効果が薄くなってしまう。


「そうですね……できれば新たな降臨者様の人物を見極めて、その対応が決まるまででしょうか?」


「どう対応するかが決まった後でなら、公表してもかまわないと?」


 鼻の下を人差し指で自然に抑え、口元を半ば隠しながらマメルクスは少し意外そうに尋ねた。てっきりフローリアは魔法でここへ来たという事実を隠したいのだとマメルクスは想像していたからだ。

 フローリアが転移魔法を使えることは特に秘密にされているわけではない。彼女が冒険者として現役だったころの物語は広く知られているし、いくつかのエピソードは御芝居の題目にもなっているほどだ。当然、マメルクスもフローリアが転移魔法を使って移動できることぐらいは知っている。

 しかし、フローリアが転移魔法を使って移動するのは現在では彼女が所有するダンジョンとムセイオンを行き来する時だけだった。それ以外の場所へ公式行事で行く場合は転移魔法など使わず、普通の貴族と同じように何らかの乗り物に乗って正規の手続きを踏んで移動している。マメルクスの戴冠式や結婚式で帝都レーマへ来てくれた時もそうだった。だからマメルクスはフローリアが転移魔法で直接『黄金宮』へ入ってきたのはかなり例外的なケースであり、法的にか、あるいは社会通念上なのではないかと勘繰っていたのだった。


 もしそうなら、フローリアに対して“貸し”を作ることができる……公表すべきことを秘密にするのだから、それ相応の対価を期待できるだろう。


 だが残念ながらマメルクスの期待は空振りに終わった。フローリアはマメルクスの考えを知ってか知らずか屈託なく笑う。アンデッドだと聞いているが、マメルクスの目に映るその顔は陽の光の下で見ても生者のそれとしか思えない。


「別にそれは構いませんわ。

 でも、今は未だ秘密にしておきたいわね。」


 フローリアがそう言うとマメルクスは口元を隠していた手を下ろし、姿勢を正した。


「ということは、降臨の事実も伏せておくということですね?」


「ええ、もちろんそうです陛下。

 現地の領主たちが降臨者も降臨があったことも伏せてくださったのは都合が良かったわ。

 まして降臨したのが暗黒騎士ダーク・ナイト》様と関わりの深いゲイマーガメルとなれば、どんな混乱が起こるかわかりませんもの。」


 言いながら、最悪の事態を想像してかフローリアの顔がわずかに曇る。


「ムセイオンには《暗黒騎士ダーク・ナイト》様のことを親のかたきと考えている子たちがたくさんいますの。

 一つ間違えば、あの子たちはその……リュウイチ様でしたか?……新たな降臨者に襲い掛かりかねませんわ。でも、もし本当にリュウイチ様が《暗黒騎士ダーク・ナイト》様と同じ身体と力をお持ちなら、彼らでは絶対に敵わない……」


 円卓メンサの上で茶碗ポクルムを包み持つフローリアの手にギュッと力が入るのをマメルクスは見逃さなかった。


 なるほど……それは想像してなかったな……


 考えてみればたしかにそうだ。今ムセイオンに収容されているゲイマーの子や孫たちは、父母や祖父母を《暗黒騎士》に殺された者たちがほとんどだ。ゲイマーの孫ぐらいになればまだ《暗黒騎士》に対する怨恨や敵愾心は薄いかもしれないが、直接の子供となればそうもいかないだろう。たとえ《暗黒騎士》本人じゃないとしても、その縁者であれば見境なしに復讐の対象としかねない。

 だが彼らの実力は誰一人として父祖たるゲイマーのレベルに到達していないと言われている。ヴァーチャリア人との混血である彼らは、血の薄まりとともに魔力が低くなってしまっているからだ。父祖のゲイマー本人でさえ束になっても《暗黒騎士》一人に勝てなかったというのに、その父祖より実力の劣る子たちが束になったところで敵うわけがない。もしリュウイチの実力が本当に《暗黒騎士》と同等なら、彼らの全滅は避けられないだろう。


 それは……たしかに絶対に避けなければならないな……せっかくこの世界ヴァーチャリアに遺されたゲイマーガメルの血が根こそぎ失われてしまうことになる……


 それは想像するまでもなく、世界にとって耐えがたい損失となるだろう。今、成人してムセイオンから出た聖貴族コンセクラトゥムたちは製鉄を中心に様々な産業に従事し、産業や技術の発展を阻んできた精霊エレメンタルという障害を取り除きつつあるのだ。その彼らがいなくなれば、世界は再び未発達だった古代世界に戻されてしまうことになるだろう。


「!」


 そこまで状況を理解したところでマメルクスはハタと気が付いた。


「あの……大聖母グランディス・マグナ・マテル様?」


「?……何でしょうか陛下?」


 マメルクスはフローリアを挟むように左右に座る少年と少女を交互に見た、


「彼らはその……大丈夫なのですか?」


 二人ともフローリアが転移魔法で空間に開けたゲートを通り、ムセイオンからフローリアに付いて来ていた。どちらも見た目は十代半ばだが、たたずまいが普通の十代の少年少女とは明らかに違う。フローリアのことを「ママ」と呼んでいたし、間違いなくゲイマーの血を引く子であろう。

 少年の方はマメルクスも以前から見知っている。フローリアの一人息子のルード・ミルフ二世だ。マメルクスの戴冠式や結婚式にフローリアと共に出席し、挨拶をしてくれた人物だ。だから今の話を聞かれてもおそらく問題はない。

 だが少女の方は?

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