聖堂前の茶会

第762話 聖堂前の茶会

統一歴九十九年五月九日、午後 ‐ 『黄金宮』ドムス・アウレア聖堂サクラリウム/レーマ



 『黄金宮』ドムス・アウレア最奥にある聖堂サクラリウムから出てすぐ、聖堂を囲むように広がる中庭ペリスティリウムにはよく晴れた空から燦々さんさんと日光が降り注ぎ、既に初夏を思わせるような陽気に包まれていた。

 魔力よりも見栄えを重視されて選ばれる聖堂付きの神官フラーメンたちは必然的に中高年が多くなるためか、聖堂周辺の庭は頼んだわけでもないのに彼らによって丹念な手入れがなされている。庭全体を囲むように点在している、神々や神話の英雄、そして歴代皇帝をかたどった極彩色の石像はいずれも磨き抜かれて苔一つ水垢一つついた様子はない。植木は綺麗に刈り込まれ、季節的に今が最も成長する芝はまばゆいほど瑞々みずみずしい光を放って輝いている。それほど広いというわけではないし上級貴族パトリキ屋敷ドムスの庭園としてはむしろ殺風景なくらいだが、周囲を壁で囲まれて空しか見えないこの場所は帝都レーマのど真ん中にありながら俗世から切り離された別世界そのものだった。


「相変わらず綺麗なお庭ですね。」


 チョロチョロと心地よく流れる噴水の水音、そして時折優しく吹き抜ける風音に懐かしむような女性の声が加わる。


大聖母グランディス・マグナ・マテル様はこちらへおいでになられたことが?」


「随分前のことよ。

 ここが神殿アエディスから今の形に改築されてすぐだったかしら?

 『魔法の鏡』スペクルム・マギクスを据え付けた時が最初だったわ。

 それから‥‥‥たしか二回くらい来たかしらね?

 最後に来た時はまだ先帝がお若くていらしたから、もしかしたら陛下はまだお生まれでなかったかもしれませんね。」


 大聖母グランディス・マグナ・マテルフローリア・ロリコンベイト・ミルフの屈託くったくのない笑みにレーマ皇帝インペラートル・レーマエマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールは苦笑いを浮かべた。

 目の前で笑う少女とも淑女ともつかぬうら若き女性は、見た目に反してクレメンティウス朝がおこる前から生き続けてきた歴史の生き証人なのである。自分の物心つく前の、それも自分の知らない自分のごく身近な話をされれば、誰だって心の内側をくすぐられているような気持ちになってしまう。マメルクスは何か救いを求めるような気持で、改めて庭を見渡した。


 聖堂を囲む庭の一角……トラバーチンを丸く敷き詰めたちょっとした休憩用のスペースが、レーマ皇帝マメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールと大聖母フローリア・ロリコンベイト・ミルフの会談の場になっていた。突如、転移魔法を使って『鏡の間』スペクラリス・ロクムに現れたフローリアはマメルクスが持っていた二通の手紙を読み終えると、気持ちを落ち着けるために外でお茶を飲みたいと言い出したのだ。

 フローリアの所望しょもうということで神官たちが慌てて円卓メンサと人数分の椅子セッラを用意し、さらに日差しを防ぐために天幕で張って即席の東屋あずまやを用意する。そこに艶やかに輝く絹のテーブルクロスを敷き、その上に銀の皿を並べて出来合いの焼き菓子とドライフルーツを乗せ、チューアから取り寄せた最上等の茶葉を使って香茶をれ、それを白く濁ったガラスに金の象嵌ぞうがんを施した茶碗ポクルムへと注ぎこむ。


 いったいどこでそんな練習をしていたんだ?


 経験豊富な中高年の神官を揃えていたことが思わぬ功を奏し、マメルクスがそのような疑問を抱いてしまうほど、その準備は手際よく短時間で完成した。準備の終わりを告げられるや否やフローリアはマメルクスに案内を催促し、そしてその通りに皇帝自らフローリアとその従者を案内し、一同は席について今に至る。

 今年初めて収穫された茶葉の香りは若々しく、味わいもスッキリとしていた。その香りを胸いっぱい吸い込んで堪能し、一口すすったフローリアはホォォ~~とすっかり惚れ込んでしまったかのように息を吐いて全身を脱力させた。


「この香茶もおいしいけど、このポクルムもすごく綺麗ね。

 レーマで御造りになられたものかしら?」


 この世界ヴァーチャリアのことなら何でも知ってそうなフローリアが知らないのも無理はない。それは彼女が予想した通りレーマで最近作られ始めたガラス製品だった。


「お気に召されたのなら幸いです。

 それはスペル・ルイギ卿の新作です。」


「スペル・ルイギ!?」


 フローリアとその両隣に居た二人が驚き、目を丸くした。スペル・ルイギとは降臨者スーパー・ルイージの一人息子……聖貴族コンセクラトゥスである。ムセイオンでフローリアに育てられ、成人してからは実母の生地である帝都レーマに移り、持ち前の魔力を活かして製鉄長官マギステル・フェラーリィとして働いていた。スペル・ルイギとはスーパー・ルイージのラテン語読みである。


「彼は、製鉄のかたわらでガラス細工に挑戦しておられるご様子でしてね。

 それでその成果物をこうして献上してくれたのですよ。」


 説明を聞きながらフローリアは改めてその器を目の高さまで持ち上げ、光に透かしながらマジマジと観察しながら目を細めた。

 この世界ヴァーチャリアではガラス製品は宝石のような扱いを受けている。簡単には加工できないからだ。ガラスを溶かして加工するには鉄さえも溶かすほどの高温が必要であり、それほど高温の炎を作り出せば火に精霊エレメンタルが宿り、《火の精霊ファイア・エレメンタル》と化して暴れ始めてしまう。強い火を使うためには、短時間だけ高温にして精霊が宿る前に火を消してしまうか、さもなければ強力な魔力を有する神官か聖貴族が《火の精霊》を制御しなければならない。しかし、《火の精霊》を御せるほどの魔力の持ち主などほとんどいないのが実情であるため、そのような魔力の持ち主はどうしてもまず製鉄に割り振られる。ガラスよりも鉄の方が需要が高いからだ。そのため、未だにガラスは超の字が付くほどの貴重品であり、製造技術は驚くほど未熟なままであった。

 その製造技術の未熟さを反映して、フローリアが手にしているガラスの器も不純物と気泡がいっぱい混じりこんでおり、白く濁って向こう側などほとんど見えない。

 その代わり、今フローリアがしているように光にかざしてみると、ガラスに含まれている大量の不純物や気泡が不規則に光を乱反射してキラキラと光って見えるのだ。その様はまるで手の中で発生したダイヤモンドダストのようである。そしてそのガラスの器に金の象嵌を施すことで、口縁こうえん高台こうだいの形を整え、全体としての出来栄えを高いものとしている。間違いなく逸品と言って良い物だろう。フローリアはかつての教え子の作品にこの上ない満足を覚えていた。


「素晴らしいわ、いつかあの子にも会いたいものね。」


大聖母グランディス・マグナ・マテル様がお気に召したと伝えれば、彼もさぞや喜ぶことでしょう。」


「是非伝えてください陛下!

 ……ああ、でもそれはまだしばらく待ってからにしていただかなくてなはなりませんわね。」


 何かを思い出し、不本意ながら現実に引き戻されてしまったかのようにフローリアは残念そうに言い、掲げるように捧げ持っていたガラス茶碗を下ろした。


「私がここへ来たことは、内密にしていただかなければなりませんから……」


 彼女の口調から先ほどまでの無邪気な様子は消え失せ、表情も口調もマメルクスが以前からよく知っているフローリアの取り澄ましたものへ戻っている。それは彼らのこの場での話を、本題へ戻すべき時間になったということを告げていた。

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