第765話 レーマの政治家たち

統一歴九十九年五月九日、午後 ‐ 『黄金宮』ドムス・アウレア聖堂サクラリウム/レーマ



 今回の降臨について、降臨者リュウイチの為人ひととなりや《レアル》へという事情の詳細その他の状況が分かり、対応の方針が決定するまでは降臨の事実と降臨者のこと……特に《暗黒騎士ダーク・ナイト》の縁者であるらしいという事実については暫定的に秘匿する。大聖母グランディス・マグナ・マテルフローリア・ロリコンベイト・ミルフのその決定に対して異論はない。ムセイオンの内部事情については知られていないことが多いが、ムセイオンの長たるフローリアがムセイオンの側の秘密保持については大丈夫だと確約したということは、おそらく彼女の言う通り大丈夫なのだろう。

 ではレーマ帝国側は?


「我が帝国も……あ、いや……」


 一も二もなく大丈夫だと確約しそうになったレーマ皇帝インペラートル・レーマエマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールだったが、途中で表情を曇らせて言いよどんだ。


「どうかなさいましたか、陛下?」


 フローリアの問いかけに顔を曇らせたままのマメルクスは再び口元に手をやり、ややうつむき加減になって考え始める。


 不味まずいぞ……この件は既に元老院セナートスの守旧派どもが既に知っている。あいつらは元老院から代表者を選んで公式の使節としてアルビオンニアへ派遣するつもりだ。

 だとしたら、秘密裏になんかするはずがない……


「あの、陛下?」


「あ!?……ああ、すみません大聖母グランディス・マグナ・マテル様……

 残念ながら帝国われわれの側での秘密保持は難しいかもしれません。」


 口元を覆った手を下ろしてマメルクスが残念そうに答えると、ルード・ミルフの方は無反応なままだったが、フローリアとロックス・ネックビアードの二人は少し驚きの表情を見せた。


「どういうことでしょうか?」


「はい、実はこの件は既に元老院セナートスに知られているのです。

 どうやら彼らの方にも報告が行っていたようでしてね。

 彼らは元老院議員セナートルからなる公式の使節団を、降臨者のもとへ送り込むつもりのようなのです。」


 それはそれは……とばかりに背をわずかに伸びあがらせながら背もたれに上体を預けたフローリアとは対照的に、ロックスはマメルクスの方へ身を乗り出した。


「止められないのですか、陛下!?」


「できんよ。

 残念ながら余のいかなる権限も元老院セナートスには及ばないのだ。」


 マメルクスが顔も姿勢もフローリアに向きあった状態のまま、目だけをロックスへ向けて答えると、フローリアは手を伸ばして円卓メンサの下でロックスの服の裾を引っ張る。ロックスは出過ぎた真似をしてしまったことに気づき、口をへの字に結んで身を引き、うつむき加減で小さく「すみません」と詫びた。


元老院セナートスに秘密保持への協力を要請することはできないのですか陛下?」


大聖母グランディス・マグナ・マテル様の要請となれば元老院かれらとて無下むげには出来んでしょう。

 ですが、それで間に合うかどうかはわかりません。」


 一国の元首たる皇帝の言葉が自国の元老院に対しては効力が無く、それよりも国際機関の人間の方が言うことを聞いてもらえる……それは本来なら恥ずべき告白であったろう。だがマメルクスは先ほどまで前のめり気味に……いや、うつ伏せ気味にしていた上体を起こして臆面もなく言い放った。

 フローリアは笑みを消し、顎を引いて上目遣いでマメルクスの表情をジッと観察すると、一旦目を閉じて小さくため息をついた。


「私の名前が必要であれば使ってくださってかまいません陛下。

 ですが、間に合わないとはどういうことですか?」


「既に秘密は保てないかもしれないということです、大聖母グランディス・マグナ・マテル様。」


 背筋を伸ばし、対面に座るフローリアたちを見下ろすようにしていたマメルクスは一度深呼吸をすると、今度こそ恥じ入るように表情を曇らせた。

 

「代表者を派遣しようとしているのは元老院セナートスの守旧派議員たちです。

 元老院議員セナートルは……特に守旧派の議員は本来なら帝都を離れたがりません。

 その守旧派議員を帝都から赤道を越えて遠く南の辺境まで派遣しようとすれば、その議員にはそれなりのを用意してやる必要があるでしょう。」


「……おっしゃることがよくわかりませんが?」


「彼ら元老院議員セナートルにとってのは主に三つ。

 ポストと、金と、そして名誉です。

 ですが守旧派が自由にできる元老院議員セナートル用のポストは既に埋まっています。

 そして金は……誰も出さんでしょうな。

 そもそも帝都レーマに残る利益を無視して南の辺境に行くのに見合うだけの額となれば相当な額です。そんな大金を同僚議員だれかにくれてやるくらいなら自分で行くでしょう。」


 マメルクスは冗談でも披露するように両手を広げて見せた。


「残るは名誉と言うことになりますね。」


「そうです。」


 マメルクスが何を言おうとしているか察したフローリアは沈痛な面持ちで言うと、マメルクスは自分の説明に自分で呆れたかのように皮肉な笑みを浮かべる。


「その……すみません。おうかがいしてもよろしいでしょうか?」


 先ほど出しゃばって注意されたことを反省したのか、ロックスが遠慮がちに伺いを立てた。フローリアと、そしておそらくはその息子ルード・ミルフも状況は理解したようだが彼女は話が読めないらしい。

 マメルクスは広げた両手を腹の前で組み、ロックスの方を見やりながら左拳を包み込むようにした右手の人差し指でトントンと数度、左手の甲をノックしながら数秒考えると、彼女に質問の機会を与えた。


「どうぞ?」


「ありがとうございます陛下。

 その、降臨者様への最初の使節に選ばれるのなら、それだけで既に十分に名誉なことではないのですか?

 それが秘密を保てない理由とどうつながるのか、わからないのですが?」


 率直すぎる質問はマメルクスにとって意外だった。一瞬、呆気にとられた彼はそのままジッと身じろぎもせずにロックスの、ゲイマーの血を引く聖貴族に共通した整いすぎた美しい顔を見つめ、そして大きく深呼吸するとヤレヤレと言わんばかりに首を振った。


「つまり、彼らが自分たちが送り出す代表者に提示できる見返りは名誉だけということです。

 そして、名誉は世間に知らしめることで初めて意味を持つということですよ。」


「?……それは、帰って来てから世間に公表するのではいけないのですか?」


 実年齢はもしかしたらマメルクスと同じかそれ以上かもしれないロックスの表情は、見た目どおりの少女のあどけなさをそのまま残しているかのようだ。人間、歳を重ねれば精神年齢が高くなるかと言うとそんなことは無い。結局は経験の豊かさこそが人を成長させる。そしてムセイオンで箱入り状態で育った彼ら聖貴族は、実年齢の割に幼さや精神的未熟さを保つ傾向にあった。ちょうど、今の彼女のように……


「無理でしょうな。」


 マメルクスは苦笑いを浮かべた。


「まず使節として遠くアルビオンニアまで行ったとして、必ず成功を納めて帰ってこれるわけではありません。

 何せ相手は百年ぶりに降臨した降臨者で、どういう人物なのかもロクに分からない。いにしえの悪しきゲイマーガメルのようにたわむれに人を殺すような人物ならば、生きて帰れないかもしれません。」


 これを聞いてロックスは顎を引き、口をキュッと結んだ。

 ゲイマーの血を引く彼ら聖貴族にとって、ゲイマーは悪しき存在と規定する大協約体制の価値基準は愉快なものではない。もちろん、歴史を学んでいる彼らも一部のゲイマーが略奪と殺戮ハック・アンド・スラッシュに明け暮れ、世界に不幸をまき散らしたことは承知していたが、だからといって自分の父祖までもが否定されるのはどうしたところで不愉快にならざるを得ないのだ。

 しかし、マメルクスはそのようなロックスの心情など知る由もない。


「次にアルビオンニアはあまりにも遠い。

 往復の移動だけでおそらく半年ぐらいはかかるでしょう。

 代表者として降臨者と何らかの交渉に及べば、それだけ長く帝都レーマから離れることになります。でも元老院議員セナートルにとって帝都レーマを離れることは色々と不都合が多い。

 自分が居ない間に重大な決定がなされるかもしれないし、政情に疎くなってしまうかもしれない。そしてそれ以上に、レーマに居ないというだけで元老院議員セナートルは評価が下がってしまうのです。」

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