第766話 対応までの制限時間

統一歴九十九年五月九日、午後 ‐ 『黄金宮』ドムス・アウレア聖堂サクラリウム/レーマ



「でもっ!」


 ロックス・ネックビアードが何か反発するように少し大きな声を上げた。


「成功を納めて帰ってくれば、それ以上のものを得られるのではないのですか?」


 思いもかけず世間知らずな少女と政治談議をすることになったレーマ皇帝インペラートル・レーマエマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールは苦笑いを浮かべて首を振る。どうもロックスと話をしていると、相手が自分と同じくらいか、それ以上の年齢であることを忘れてしまいそうになって仕方がない。


元老院議員セナートル上級貴族パトリキです。

 そして貴族ノビリタスが世間の目を盗んでコソコソと何かをすることを、レーマ人は決して良しとはしません。

 特に上級貴族パトリキは正々堂々、公明正大であることが求められるのです。

 どこへ行くにもお供ラウディケーヌスを大勢引き連れ、名告げ人ノーメンクラートルに高らかに名前を告げさせているのもそのためです。

 それなのに元老院議員セナートルが誰にも内緒で半年もの間、姿を消したらどうなりますか?

 世間は怪我か病気でもしたか、それとも何か世間に隠れて悪いことでもしているのではないかと噂するでしょう。それは元老院議員セナートルにとって大きなダメージになります。」


 身振り手振りを交えたマメルクスのやや大げさな話しぶりはまるで宮廷道化師のようであった。実際、彼には元老院議員たちに対して不満や反感が鬱積しており、ここぞとばかりに元老院議員たちを小馬鹿にすることで、無意識のうちにそれを晴らしていた。

 しかしロックスの目にはそのマメルクスの口ぶりや態度は、自分を小馬鹿にしているように映ってしまったようだ。やや表情を固くしたロックスが不満そうに同じ質問を重ねる。


「でも、成功すればそのダメージは覆せるのでは?」


「言ったでしょう?

 それはの話です。

 そして……成功しなければ彼らにとって致命傷です。

 よしんば成功したとして得られる利益が大きいとは限らない。

 世間に隠れて半年もの間レーマを離れていたと思ったら、その理由が降臨者との交渉だった……もちろん評価する者も多いでしょうが、しない者も多いでしょう。

 『奴は抜け駆けをしたんだ』……そう陰口を叩く者は必ず現れます。」


「では、降臨者様への使節になるのは、名誉にならないということですか!?」


 ロックスにとってそれはあまりにも意外だった。この世界は降臨者がもたらした有形無形の恩寵おんちょうによって発展してきたのだ。そして、彼ら聖貴族たちは自分がその降臨者の血を引いていることを最大の誇りとしている。それなのに、その降臨者の応対をすることが名誉とされない……それはロックスにとって自分の価値観を根底から否定されるような衝撃だった。


「労が多く、リスクも大きい。

 

 そのようなを進んで買って出る元老院議員セナートルなどおりません。」


 ロックスの受けた衝撃がどういうものだったかをマメルクスは正確に理解していたわけではなかった。ただ、目の前の少女が驚いたとだけしか認識していなかったが、それでもマメルクスはどこか憐れむように微笑んだ。


「つまり降臨のことと、降臨者様と会いに行くことを事前に公表するのでなければ、元老院議員セナートルは誰も使節としてアルビオンニアには行きたがらないということよ、ロキシー」


 降臨者に会うことが名誉にならない……どうやらそのように勘違いしているらしいロックスを慰めるように大聖母グランディス・マグナ・マテルフローリア・ロリコンベイト・ミルフが言うと、ロックスは自分が何か勘違いして必要以上に重大に受け止めていたことに気づいたようだった。フローリアの方を振りむき、小さく「あ」と言って口元を手で押さえる。

 それを見てどうやら話は一区切りついたようだと判断したマメルクスは目の前の香茶の入った自分の茶碗ポクルムを手に取り、話をまとめに入った。


「その通りです、大聖母グランディス・マグナ・マテル様。

 事前のこうすると公表したうえで出かけるのなら、たとえそれに失敗したとしても最低限の名誉は守られます。ですが、隠れてコソコソとやって失敗すれば名誉は確実に損ねるでしょうし、成功したとしても高くは評価されない。

 それがレーマ貴族なのです。」


 そこまで言ってマメルクスは香茶で舌を湿らせた。


「では、元老院セナートスは代表者を集めるために、既に降臨のことを公表しているということですか?降臨者様のことも!?」


 香茶を啜ったマメルクスはフローリアからの質問をまるで無視するかのようにそのまま口元で茶碗を揺らし、しばし香りを楽しむと茶碗を両手で包み持つようにしながら降ろし、顔をあげた。


「余が『魔法の鏡』スペクルム・マギクスで御報告する半時間ほど前に、彼らは宮殿ここへ来ました。そして降臨者様へ元老院セナートスから使者を送ると、宣言しています。」


「それは困ったことになりましたね。

 一応、要請を出すとしても情報が洩れること自体はもう防げないということですか……」


 フローリアは頭痛でも堪えるかのように自身の眉間を揉み始める。


「その手紙にありましたように元老院議員セナートルが既に一人、降臨者様と謁見しているはずです。

 使者を出すのは彼が戻ってからにするよう釘を刺してはありますから、元老院セナートスの公式な使節がレーマを発つのはだいぶ先になるはずです。ですが、今頃はもう人選を始めているでしょう。

 執政官コンスルのタウルス・アヴァロニクス卿はタウルスと言う割に動きが早い。」


元老院セナートスの使節がいつ発つかはこの際問題ではありません。

 問題はこの情報がどれだけ早く、広く拡散し、そしてどこにどんな影響が出るかですわ、陛下。」


 眉間を揉むのをやめて顔を上げると、フローリアはレーマ皇帝という自分の立場で問題を扱おうとし始めているマメルクスに釘を刺す。


「ことがムセイオンの聖貴族子どもたちに伝わり、彼らが暴走してしまう前に対処してしまわなければなりません。

 現地で降臨が起きたのが先月十日、今日が九日だから現地の話がレーマに届くまで一か月というところですね。

 これ以上早い情報伝達はできるものなのでしょうか、陛下?」


 マメルクスは両眉をひょいと持ち上げて視線を逸らし、束の間無言のまま考えるとフルフルと小さく首を振った。


魔道具マジック・アイテムでも使わない限り、帝国の郵便網タベラーリウスが最速であると信じたいものですな。」


「では、その郵便システムタベラーリウスを使ったとして、ムセイオンまでこの情報はいつまでに届くとお考えかしら?」


 マメルクスはジッと上目遣いでフローリアを見据え、考え込むように口元に右手を当てる。そのまま人差し指で鼻の下を二度三度とさすってから手を下ろし、おもむろに答えた。


「早くて半月後といったところでしょう。

 帝都レーマからケントルムまで最新の快速船クリッパーで二週間から三週間といったところです。

 そして、現地のアルビオンニアからケントルムまで、もし直接報告の手紙が送られていたとしておそらくひと月半からふた月……どのみち到着するのは同じくらいの時期であろうと考えます、大聖母グランディス・マグナ・マテル様。」


 いくら帝国中を繋ぐ郵便システムの整備・運営を所管しているのが皇帝であるとはいえ、帝国全土の郵便伝送速度まで把握しているわけがない。にもかかわらずマメルクスは大して間を置かずによどみなく答えた。

 アルビオンニア属州は帝国最南端であり対南蛮戦が継続している最前線だ。そして現在ムセイオンがあるケントルムはかつて大戦争時代に対啓展宗教諸国連合との主戦場だった土地であり、ケントルムと接するディアネイア属州(ちなみにケントルム東部はかつてディアネイアの一部だった)には現在でも野戦軍西部方面軍コミターテンセス・オクシデンタリスの主力が駐留している。つまりどちらも帝国にとって“最前線”であり、帝国の防衛を所管するマメルクスはそれぞれ位置関係や距離、情報伝達速度については日ごろから特別に留意していたのである。

 フローリアは何か吹っ切れたかのような表情で胸の前で両手を合わせた。


「では、私たちはあと半月でアルビオンニアへ行って事態を把握し、対応を決めなければならないのね。」

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