第544話 道連れ

統一歴九十九年五月七日、晩 - ブルグトアドルフ/アルビオンニウム



 新たに大軍が迫っているのを目撃し、屋根から降りたクレーエとレルヒェは隠れる場所を探す。街道沿いに並んだ商店兼家屋といった造りの建物の裏手には、裏庭から先は川までずっと見渡す限りの牧草地が広がっており、隠れる場所は見当たらない。日が暮れたとは言え、こうも明るい月明かりの下ではこのだだっ広い牧草地を駆け抜けるなど危険極まりないと言っていいだろう。きっと川にたどり着く前に見つかってしまう。

 やはり家屋のどこかに潜むしかなさそうだが、下手なところに入り込むとレーマ兵が踏み込んできて見つかってしまいそうだ。いや、レーマ兵はきっと残敵掃討のために一軒一軒すべての家屋を点検して回るに違いない。


「どうする、クレーエの旦那?

 隠れていられそうなところなんて無いぜ?」


 相変わらず口の中で干し肉をクチャクチャ噛みながらレルヒェが尋ねる。レルヒェは凡庸ぼんような男だ。特に何かに秀でているというわけでもなく、どこか間が抜けていて、見ている者にドンクサイ印象を与える。そんな彼だが一つだけ人より秀でた才能があった。人を見る目である。

 彼は自分には何の才能も無いことをよく承知していた。周囲の環境に割と流されやすい性格でもある。自分で下手に何かを考えて実行しても失敗するという事を、よく理解していた。それゆえか、幼いころから自分より優れた誰かについて行くことが成功のカギだと無意識に思うようになっていた。そして彼には、誰について行けば良いかを見抜く目があったのである。

 そのレルヒェは盗賊になって以来、ついて行くべき相手を探し続け、そしてクレーエを見出していた。


 クレーエについて行けば間違いない…


 レルヒェはクレーエと出会って間もなく、本能的にそう見抜いていた。以来、ずっとクレーエについて従っている。


 クレーエもレルヒェを特に邪魔者扱いしたりはしなかった。レルヒェは凡庸な男だが、決して余計なことはしない。ドンクサく見えるが決してドジではない。むしろ凡庸を装っているのではないかと疑いたくなるほど目端が利いたりすることもある。

 多少なりとも出来る人間には、そいつを利用してやろうというよこしまな考えを持った人間が必ず寄って来るものだ。クレーエもそう言う風にすり寄ってきた人間を何人も見て来た。そして、そういう人間は心のどこかで自分は頭がいいと思い込んでおり、都合が悪くなったらそいつを切り捨てようと考えている。だから、自分の理解の及ばない事や都合が悪いように思える事があったりすると、急に不平を言い出したり勝手な行動を起こしたりする。そしてそれが命を縮める。その手の無能は他人を巻き込まずにはいられないのだ。

 盗賊に限らないが、裏稼業で長生きするにはそう言う人間とは距離を置くことが最大の秘訣だ。だからクレーエはあまり大きい所帯しょたいを好まない。彼が率いて来た盗賊団“リベレ”も、それが理由で多くて六人を超えた事は無い。


 レルヒェにはそういう要素が無かった。天性のお人好しなのだろうか、一も二も無くクレーエの言う事を信頼しきっている。不平や不満を口にすることはあるが、むやみに我儘わがままを言ってクレーエに逆らったりしない。

 積極的に他の盗賊団を狙うという異色な盗賊団“リベレ”は、その特性ゆえに戦闘能力の高い人間で構成されていたのだが、『勇者団ブレーブス』に力づくで傘下に飲み込まれて以降もレルヒェだけが生き残っているのは、レルヒェのそういう性格があったからこそだろう。他の構成員たちは腕っぷしに自信がありすぎたせいか、クレーエの制止も聞かずに『勇者団』を挑発してしまい、無残に殺されてしまった。


「街に残るのは無しだ。

 南の森へ逃げるしかねぇよ。

 軒伝のきづたいに進もう。影から出るなよ?」


「分かった。」


 今や二人だけになってしまった“リベレ”の二人は壁から離れないように、軒先が作る影から決して出ないように南へ進む。

 戦闘の喧騒は既に遠く離れており、銃声もまばらになっている。おそらく盗賊たちは尻に帆をかけるようにして逃げだしているのだ。今や発砲しているのはレーマ軍の方であり、盗賊側が発砲するとしたらせいぜい牽制や威圧のためにぶっ放しているだけなのだろう。


「「!?」」


 二人はゴソゴソと何かが這いずるような音に気付きピタッと足を止めた。“盗賊狩り”を専門にしてきただけあって、他人の気配を察し、自分たちの気配を殺して行動することには人一倍慣れている。

 二人は息を殺したまま互いに顔を見合わせ、手の合図だけで「誰かが居る」「わかった、出てきたら捕まえろ」とやり取りすると頷き合った。レルヒェは両手に持っていた短小銃マスケトーナを地面に置き、腰に下げた軍剣カッツバルケルをソォ~っと引き抜く。クレーエも同じように軍剣を抜いて構えた。その内に気配の主が建物の間でゴソゴソと起き上がり、何やら身につけた物をゴツゴツと壁にぶつけながら出て来る。


 素人だな…息が荒いぜ、足音も消せちゃいねぇ。

 それじゃ位置が丸わかりだ。


 そいつが建物の間の、わずか二ぺス(約六十センチ)も無い隙間から出て来た瞬間、レルヒェは脚を突き出し、そいつの腕を掴んで引き倒そうとする。


「ひあっ!?」


 しかしその瞬間、そいつはレルヒェが手に持っていた剣に気付いて咄嗟とっさに払いけた。が、脚の方は気づけずに引っかけられたのでそのままバランスを崩し、二歩三歩とを踏むように前につんのめり、そして倒れた。が、倒れ込む瞬間にそいつは身体を捻り、転びながら手に持っていた銃をレルヒェに向けた。


 カチンッ!


 そいつが地面に転がる直前に金属音がする。一瞬、火花は散ったように見えたが銃は不発だった。次の瞬間、クレーエが前に出てそいつの銃を蹴っ飛ばし、仰向けに転がったそいつにし掛かるようにしてそいつの口を塞ぎ、同時に首に剣を突き付けた。


「動くな!

 レルヒェ!?」


「だ、大丈夫だ。

 周りに気配はないぜ?」


 レルヒェはクレーエが具体的に指示するまでもなく、男が飛び出して来た建物の間を覗き、安全を確認していた。改めて取り押さえた男を見ると、男は目を大きく見開いてクレーエとレルヒェと交互に見ている。万が一レーマ兵だったら不味いと思って取り押さえてはみたが、剣と銃は持っているもののロリカガレアも身につけていない。どう見ても逃げて来た盗賊の一人だった。


「なんだ、御同輩か…驚かせやがって…

 いいか?手を放してやるが大きい声出すなよ?」


 クレーエが呆れたように言うと、男はコクコクと頷いた。


「ブハッ」


 解放された男は特に言葉を発することもなく、寝転がった姿勢のままクレーエとレルヒェを観察しながら息を整える。


「乱暴して悪かったな、軍団兵レギオナリウスかと思ったんだ。

 立てるか?」


「ア、ア、アンタ、クレーエだろ?

 アンタ、指揮官じゃないのか?

 なんでこんなところにいる?」


 男は声で相手がクレーエだと気づいたようだ。クレーエが差し出した手を取ると、立ち上がりながら立て続けに質問を浴びせて来た。


「作戦終了の合図にゃアンタも気づいただろ?

 でっけぇ花火だったな?

 だから逃げてる真っ最中さ。」


「みんなまだ戦ってるぞ。

 放っておいていいのか!?」


 どうやら面倒くさい奴に出くわしちまったらしい…クレーエは溜息をかみ殺しながら答えると軍剣を鞘に戻した。剣を抜きっぱなしでは何かの拍子に剣身が月光を反射して居場所がバレてしまうかもしれない。


「俺が指揮官なのは戦が始まるまでさ。

 作戦の説明は聞いていただろ?

 作戦終了の合図はたちが出すし、その後は各自好きに逃げろってことになってただろうが…そっから先は知ったこっちゃねえや。」


 クレーエがそう答えると直後に、先ほどクレーエが蹴とばした男の銃を拾いあげて渡してやる。


「ホラよ、アンタの銃…弾が出なくてよかったな。」


「ああ、弾込めてあったのに…調整もしてもらったのに…クソゥ」


 男はまだクレーエに何か言いたそうだったが、レルヒェから押し付けられた銃を受け取ると今までの不満を銃にぶつけるかのごとく悔しそうにこぼした。戦の前に確かに撃てるように火打石フリント火打ち金フリンジを調整してもらったのに、二発撃っただけでもう撃てなくなってしまった。

 それを見てクレーエが再び溜息をかみ殺しながら言う。


「別に銃が悪いんじゃないぜ?

 アンタがさっき転びながら撃った時、たしかに火花は飛んでたんだ。」


「ええ!?じゃあ何で?」


 男は訳が分からないといった様子でクレーエの顔を見る。


「アンタ、音から察するに家の床下を這ってきたんだろう?

 その間に火皿パンから着火薬パウダーがこぼれちまったのさ。

 火皿に火薬を入れなおせば多分、そのまま撃てるぜ。」


「へぇーっ!詳しいんだな!?」


 男は目を丸くしてそう言うと、両手に持った自分の銃に再び視線を落とし、色々と角度を変えたりして様子を確認し始める。


「おっと、撃つのは俺たちと別れて一人になってからにしてくれ。

 銃声で軍団兵を呼び寄せちまう。」


「クレーエの旦那、そろそろ行こうぜ?

 例の新手が来ちまうよ。」


 長話になりそうな雰囲気を察したレルヒェがクレーエを急かした。それを聞いて男は再び顔を上げる。


「新手だって!?軍団レギオーか?」


「ああ、他に来ないだろ?」


 クレーエは一言そう言うと、男の顔をしばらくそのまま観察し、逡巡しゅんじゅんした後でさらに付け足した。


「南から大軍が来てるのが屋根の上から見えたんだ。

 松明たいまつたくさん掲げてよ…まるで光の洪水だったぜ?」


 コイツがそこらの馬鹿な盗賊なら、その一言でおそらく北へ引き返すか、西へ放牧地を横切ってシュバルツァー川を目指すだろう。こちらから「アッチ行け」と追い払うまでもなく、邪魔にならないどこかへ消えてくれるはずだ。むしろ、そうしてくれた方がこの男をおとりにして自分たちが逃げやすくなる。

 だが、クレーエの思惑は外れた。


「俺は南の森へ逃げる!

 そのつもりで来たんだ。

 北に居たはずのアンタがここにいるって事は、アンタもそのつもりだったんだろう?」

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