第543話 《地の精霊》の離脱

統一歴九十九年五月七日、晩 - シュバルツァー川ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



 ブルグトアドルフの上空に小さな太陽が産まれたかのように光が生まれ、辺り一帯を明るく照らし出した。その光を目にした者はあまりのまぶしさに視界を一時的に奪われてしまうほどだったが、それは一、二秒ほどですぐに暗くなり、一瞬遅れて腹にズシンと響くような爆発音が遠雷のごとくとどろきわたる。特大の打ち上げ花火のようだが、爆発が起こったであろう上空に煙のようなものは残されていない。間違いなく魔法による爆発だった。


「?!…この音、ナイスか?」


 不意を突いた閃光と轟音に一瞬呆気にとられたティフ・ブルーボールだったが、すぐにそれがナイス・ジェークの打ち上げたものだと気づいた。ティフがつぶやくと、同じくナイスの信号だと理解したスモル・ソイボーイは、先ほどまでの怒りを忘れたかのように笑いはじめた。


「アハッ、ハッ、アハハハハハッ

 そうだっ!ナイスだ!!ナイスの信号だ!!

 ハハッ、早かったな。作戦は成功したぞ!!」


「ええっ!?早過ぎませんか?」


 意外と冷静さを保っていたスタフ・ヌーブはあまりにも早すぎることに違和感を覚えたが、スモルは興奮納まらぬままティフとゴーレムに向かって勝利宣言をする。


「残念だったな《地の精霊アース・エレメンタル》よ!

 其方そなたはまんまと我らの罠にかかったのだ!!」


『罠?』


「よせスモル!」


 奇襲をかけるつもりが逆に奇襲をかけられ、何もしないうちに『荊の桎梏』ソーン・バインドによって自由を奪われた悔しさで頭に血が上っていたスモルは、ティフの制止を無視し鬱憤うっぷんをすべて晴らすかのように罵詈雑言ばりぞうごんを吐き散らす。


「そうだ!まんまとこちらにおびき出されたのだ!

 この隙に仲間が南から捕虜を救出する手はずだったのだ!

 今の爆発が何かわかるか!?

 作戦成功の合図だ!

 一昨日、其方が捕えた我らの仲間は、今頃救出されて自由の身となっておろう!

 はははっ!強大な力は持っていても知恵の方は大したことないようだな!!」


 『いばら桎梏しっこく』をかけられた状態で暴れたせいで、荊のとげで傷付けられたその顔は出血で汚れ、形相ぎょうそうがすさまじい。それが唾を飛ばしながら呪詛じゅそのごとく毒を吐き散らす様子に、『勇者団ブレーブス』のメンバーたちは思わず引いてしまった。

 だが肝心の《地の精霊》の方に特に動揺は見られない。ゴーレムはピクリとも動かず、念話の方も沈黙を守ったままだ。アルビオーネとの戦いを経験し、精霊エレメンタルというものがどうやら物語で語られている以上に強力な存在らしいことを実感していたティフとペトミー・フーマンにとって、その沈黙はむしろ恐ろしかった。おずおずとゴーレムの方を向き、気まずそうにへりくだった態度を示し始める。


「ア、《地の精霊》様、その、仲間の無礼をお詫びします。」

「あのっ、彼は混乱しているのです。どうかお許しを…」


「ああっ!?ふざけんなよ、二人とも!

 敵だぞ!?何“様”つけてんだ!

 敵におべっかつかってどうすんだよ!?」


 ティフとペトミーが相次いで敵であるはずの《地の精霊》のご機嫌を取り始めたのがスモルのしゃくに障った。自分が何かかわいそうな存在であるかのように扱われているようで心外極まりない…そんな恥ずかしさというか口惜しさというか、そういう反発を抱いたのだ。実は彼自身、心のどこかでは自分が抑えるべき怒りに流されてしまっていることを自覚している。ここで怒って悪口を言ったところで何も解決はしない。黙っていた方が利口なのだ。だが、どうにも自分の感情を制御しきれない。自分が手も足も出ないという慣れない状況が、感情の暴走を招いているのだ。そういうスモル自身の自覚が、余計にティフらへの反発心を高めていた。

 しかし、『荊の桎梏』が効いている以上、ペトミー以外は誰も身動きが取れない。スモルも罵詈雑言を吐く以外何もできないのだ。

 

『ふむ、確かに南の森に其方らの仲間が隠れておるようだの。

 一昨日、其方らと一緒にいた奴の気配だ。』


 その一言に『勇者団』の四人はギクリとし、急に黙り込んだ。


『其方らの兵どもも逃げ散っておるようだの。

 戦は間もなく終わるじゃろう。

 では、其方らの仲間の方を抑えに行ってくるか。』


「ま、待て!

 俺たちを置いていくのか!?」


 スモルは慌てた。自分が余計なことを口走ってしまったせいでスワッグたちが危険に晒され、作戦が失敗してしまう。これでは何のために《地の精霊》の注意を引き付けたんだかわからない。


『うむ。どうせ、もう大したことは出来まい?』


「なっ、舐めるな!!

 これくらい、なんてことは無い!!」

「もうよせ、スモル!!

 《地の精霊》様!我々を捕まえないのですか!?」


『いや、抑えておくだけじゃ。

 大人しく投降するなら、案内せんでもないが…これ以上暴れんというならワシは別にどうでもよい。

 其方らを捕まえるかと尋ねたが、別に要らんと言われたでの。』


「「「「別に要らん!?」」」」


 予想だにしなかった言葉に四人は思わず絶句する。


『うむ、今捕まえても邪魔になるそうじゃ。

 まあ、暴れられんようにゴーレムは残しておく。

 じゃあの…』


 周囲から《地の精霊》の気配が急に弱くなるのが感じられた。それと同時にゴーレム四体が四人を囲むように横に移動し始める。

 それで《地の精霊》がどうやらこの場から居なくなったことに気付いたスモルが唖然としてつぶやく。


「い、行っちまったのか!?」


 その一言に三人が一斉にスモルの方を向いた。


「ああ、なんてこった…スモル!!」


「な、何だよ!?」


 ティフの恨み言にスモルは思わず反発したが、ティフの言いたいことは分かっている。自分で自分がどんな失敗をしたか、スモルは気づいていた。だが、理性ではそのことに気付いていても、感情の部分ではまだ受け入れていない。人の心は失敗を受け入れるためには準備を要するのだ。

 しかし、失敗の当事者ではない隣接者りんせつしゃたちには、当事者の心の準備が整うのを待ってやれるだけの余裕は無かった。


「何だよじゃないですよ!

 せっかく《地の精霊》がこっちに来てたのに、あっちに行かせちゃったじゃないですか!!」

「そうだ、これで作戦が失敗してスワッグたちまで捕まったらどうすんだよ?」


 珍しくスタフとペトミーが相次いでスモルに食って掛かる。ペトミーはともかく、ヒトであるためハーフエルフにいつもへりくだった態度をとるスタフまでもが食って掛かってきたことにスモルはいたく動揺した。


「だ、大丈夫だよ!

 作戦成功の合図を見たろ!?」


「そんなのまだわかんないだろ!?

 メークミーを助けたって、脱出前に《地の精霊》に捕まったら意味ないじゃないか!」


「だ、だって…」


「“だって”じゃないよ!!」


 スタフの方は最初の一言を言った時点で「まずい」と思ったのかその後は自重したが、ペトミーの方は魔力欠乏で横たわったままの癖にしつこくスモルに食いつく。まあ、彼としては魔力欠乏を起こすほど大急ぎで飛んできたのに、その苦労がまさに水泡に帰そうとしているのだから無理も無いのかもしれない。

 本当は一番怒りたかったティフはペトミーとスタフが先に怒りをぶつけたせいで怒りを納めねばならなくなってしまった。ここでティフまで怒ったらスモルは立場を無くし、『勇者団』の人間関係が壊れてしまう。

 ティフは溜息を飲み込むと、三人の間に割って入った。


「今はそんなこと言いあってる場合じゃない!

 《地の精霊》を追っかけて、スワッグたちに合流しなきゃ!

 そうだろ!?」

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