第542話 潜入…臨時野戦病院
統一歴九十九年五月七日、晩 - ブルグトアドルフ市街地/アルビオンニウム
ブルグトアドルフを貫くライムント街道は控えめに言っても混乱の
それでも事態は随分と変化を遂げている。
カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子とジョージ・メークミー・サンドウィッチの乗る馬車を一個
建物の一階から射撃を行っていた盗賊たちは軍団兵の突入後、満足な抵抗もできず、逃げる間さえ与えられずに制圧されてしまった。出入口には内側からバリケードを築いてあったが、ほとんど役に立っていない。射撃を行っていた窓から容赦なく
盗賊たちの四回目の射撃からは目に見えて発砲数が減り、射撃は散発的なものへ変わって行く。二階や屋上に陣取っていた盗賊たちは二発目、あるいは三発目の射撃を終え次第、形勢不利を悟って我先に逃げ始める始末だった。元々「
そして盗賊たちの士気はブルグトアドルフ上空で起こった大爆発によって一挙に崩壊する。それは事前に知らされていた作戦終了の合図だった。ただでさえ恐怖に駆られて戦っていた盗賊たちは「逃げて良い」という合図によってなけなしの戦意を一気に喪失する。
盗賊たちがそれまで陣取っていたブルグトアドルフの街から文字通り蜘蛛の子を散らすように一斉に逃げ始めると、サウマンディア軍団は盗賊たちが築いたバリケードに多少
エドワード・スワッグ・リーがブルグトアドルフの西側の住居の屋根の上を駆けながら街道上を見下ろした時、レーマ軍兵士の人影がほとんど見えなかったのは街道上に充満している煙のせいだけではなかったのである。
「クソッ、何がどうなってる!?」
事情を知らないスワッグはメークミーの気配を探しながら街道に沿って屋根の上を走り続ける。
「ナイスの奴、何でこんなに早く作戦終了の合図なんか出しやがったんだ!?
俺は未だメークミーを見つけてもいないんだぞ!」
街道上の
そんな雑音だらけの街中でスワッグは慎重にメークミーの気配を探し続ける。
「あっ、あれか!?」
ブルグトアドルフの街の中央まで来た時、街道を挟んだ向こう側の広場に見覚えのある馬車が停まっているのが見えた。それは昼前に見たメークミーが乗せられていた馬車に間違いない。スワッグは隙を見て街道を渡り、広場に面した建物の屋根に上がって馬車へ近づいた。
馬車馬は生きてはいるが興奮が冷めやらぬようで、数人の兵士たちに取り押さえられながら苛立ち、首を振って
それどころか馬車の幌には銃弾や爆弾の破片による穴が無数に空いてボロボロになっていた。馬車の乗降口の床は派手な血痕で汚れており、中に乗っていた怪我人が引きずり出されたことを物語っていた。
「クソッ、盗賊どもめ!!
あれだけ馬車は攻撃するなと言ったのに!!」
馬車の惨状から事情を察したスワッグは思わず毒づいた。だが、盗賊たちからすればそれは無理な注文だったと言えるだろう。
盗賊たちは馬車を守るレーマ兵を銃と爆弾で攻撃して引きはがせと命じられていたのだ。そしてレーマ兵は馬車を守るために馬車に密集するのは当たり前なのだから、馬車に被害が及ばないように攻撃しろというのは無理難題以外の何物でもない。風の淀んだ街中では一斉射撃と爆弾の一斉爆発によって煙が充満しており、そもそも狙いを付けることさえできなくなっていたのである。盗賊たちはもう煙の向こうで動く物陰めがけて闇雲に発砲するほかなかったのだ。むしろ、そんな状況で馬車の車輪や車軸が壊れたり馬車馬が死んで走れなくなったりしてなかっただけ、よっぽどマシであったとさえ言える。
「メークミーは…教会か?」
メークミーは
屋根伝いに礼拝堂へ移動し、鐘の吊り下げられた尖塔の窓から中の様子をうかがうと、どうやらそこは臨時の野戦病院となっているようだった。鐘を鳴らすための引き紐が垂れている一階のあたりに人影は見えないが、怪我人の呻き声と「お湯を沸かして持ってこい」「こっちに包帯!もっとだ!!」といった声が下から響いて聞こえ、兵士たちがガチャガチャと具足を鳴らしながら歩き回っているのが分かる。
「多分、この建物に間違いないんだろうけど…」
さすがに怪我人が大量に運び込まれて治療しているところに飛び込んで騒ぎを起こしては後で目覚めが悪い。そもそもメークミーは聖貴族だ。仮に怪我をしているとしても普通の兵士と一緒に扱われているとは考えにくい。
しばらくそのまま中の様子を見ながら考えたスワッグだったが、いよいよ街中から聞こえて来る銃声や怒号の声がまばらになってきている事に気付き、二階から侵入することにした。
屋根から一階の
スワッグが入った部屋は使われていない無人の部屋だった。無論、入る前に気配がないことは確認していたのだから当たり前ではある。スワッグはそのまま息を殺して天井を見上げ、建物の構造を確認した。
天井と床を交互に見比べながら慎重に足を進め、窓際から部屋の出入り口へ近づいていく。やがて出入り口に達したスワッグは、音を立てないように慎重にゆっくりとドアを開け、廊下の様子を伺った。
やはり一般の兵士らは一階に集中していて二階には人の気配がほとんどない。ただ、スワッグのいる部屋から一階へ降りる階段を挟んだ向こう側の部屋からは、数人分の気配がしている。
二人…いや、三人か…怪我人が二人で一人が重症ってところか?
小さくだがガチャガチャと具足を鳴らす音が一人分、そしてそのほかに苦しそうな呼吸音が二人分聞こえる…そのうち片方は呼吸は安定しているようだが酷く静かであり、どうやら寝ているか意識を失っているようだった。
息を殺して耳を澄ますと、その部屋から話声が聞こえて来る。
英語だな…助かったぜ…
アルビオンニアで話されてるランツクネヒト語とかいう奴はさっぱりだからな…
「爆弾の破片は取り除いた…着ている防具に助けられたな。」
「助かりますでしょうか?」
「いや、既に血を失いすぎている。このままでは無理だ。」
「そんな!治癒魔法で何とかお助けできませんか!?」
「私も治癒魔法は使えるが、簡単なものだけで強力なものは使えないのだ。
せいぜい命を繋ぎとめるぐらいしか出来ん。
それも私の魔力が続いている短い間だけのことだ。
私自身、銃弾を受けなければ、傷口を塞ぐくらいはできたかもしれんが…」
「そ、それでは困ります!」
「私も困るよ。閣下には私の剣と盾を預けてあるのだからな。
こうなってはスパルタカシア様をお呼びするほかない。」
「スパルタカシア様…」
「そうだ…あの方の治癒魔法なら私のより強力だ。
あと一時間くらいは、私の魔力はもつだろう。
それまでは私の治癒魔法で生き永らえさせて見せる。
だからそれまでに、一刻も早くスパルタカシア様をお呼びするのだ。」
「ハッ、分かりました!」
兵士が一人、ガチャガチャと具足を鳴らし、ドタドタと激しい足音を立てながら廊下に飛び出てくると、そのまま階段を駆け下りていく。
二人の話声の内、一人の声には聞き覚えがあった。その一人はまだ部屋に残っている。そして、その一人は治癒魔法を使ったのだろう。部屋の中から懐かしい魔力が感じられた。
スワッグは部屋に残っているのが目的の人物に違いないと確信し、気配を殺しながら廊下を進み、その部屋に入った。
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