第1320話 聖遺物の所有権

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦陣営本部プリンキパーリス・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 大協約はヴァーチャリア人類が聖遺物アイテムを所有することを制限し、聖遺物は一度ムセイオンへ収蔵することを義務付けている。だが、奴隷についてはその規定の対象とはならない。大協約は奴隷の存在を想定していなかったし、そもそも奴隷の所有物は奴隷の主人の所有物だ。奴隷自体が主人の所有物なのだから、奴隷の所有物は奴隷の付属品という位置づけになる。

 そしてリウィウスたちの主人はリュウイチ・・・すなわち降臨者本人であり、大協約は降臨者本人の権利について何らかの制限を及ぼすようなものではない。よって、リュウイチの奴隷であるリウィウスが聖遺物を所持するのは、リュウイチ本人が聖遺物を所持しているのと同じことなのだから、大協約には抵触しない。


 たしかにその通りなのかもしれないが、何分なにぶんにも前例の無い事であるため、誰も確定的な判断は下せていなかった。レーマ帝国の法律では奴隷にも一定程度の人権を認めている……すなわちヴァーチャリア人類の一員であり、大協約の規定の対象になりうると考えることも出来るからだ。


「グルグリウス殿がおっしゃりたいことは分かります。

 だが、奴隷セルウスが主人の所有物である以上、我々としてはリュウイチ降臨者様がリウィウス殿に御自身の聖遺物アイテムを持たせることを制限することは出来ません。

 ですが、奴隷セルウスに預け、使わせる以上、外で紛失したり盗まれたりする危険性は常にある。

 それが強力な魔導具マジック・アイテムだった場合、影響は計り知れません。

 何せリュウイチ様は非常に強力な降臨者で、非常に多くの聖遺物アイテムをお持ちですから……その中にどんな強力な魔導具マジック・アイテムがあるか誰も把握しきれていないのです」


 カエソーの説明にグルグリウスは「なるほど、理解しました」と短く答えると、室内には微妙な空気が流れた。

 五人の軍人たちはグルグリウスがリウィウスに魔導具を与えることで、ただでさえ今現在の厄介な状況がより複雑化するのを避けられそうなことに安堵したし、リウィウスは自分があの面倒くさそうなハーフエルフの世話をさせられずに済みそうなことに安堵していた。が、同時にそれはティフのアルトリウシア行きを阻止する方法が再び消滅してしまったことも意味していからだ。


 さて、また話が振出しに戻ったぞ……


 五人の軍人たちが頭の中をリセットしようとしたところで、グルグリウスが再び口を開いた。


「リウィウス殿がミスリルを身に着けている理由は理解しましたが、しかし……

 だからといって吾輩わがはい魔導具マジック・アイテムをリウィウス殿に持たせてはならないという理由は分かりませんな」


 六人の視線が改めてグルグリウスに集まる。その誰もが少し疲れたような顔をしていた。いい加減にしてくれ……そう言いたそうな表情だ。


「大協約が所有を禁じている魔導具マジック・アイテム聖遺物アイテムだけです。

 つまり《レアル》から持ち込まれたか、ゲーマーがスキルで創った物……

 この世界ヴァーチャリアの者がこの世界ヴァーチャリアで作った物は対象とはなりません。

 ならば吾輩わがはいが創った物も大協約に引っ掛からないはずではありませんか?」


 一同はポカンと間の抜けた顔を見せる。話の理解が追い付いていないようだ。

 たしかに大協約は降臨者の、特にゲイマーガメルの力によって世界の均衡が崩れ、再び世界が戦乱に陥るのを防ぐことを目的としている。そのためにも新たな降臨を何としても阻止すること、それを実現するためにメルクリウスを捕えること、そして降臨者が遺した聖遺物や知識、技術など《レアル》の恩寵おんちょうは全て一度ムセイオンに納めることを定めている。ただ、それでは貴重な聖遺物を取り上げられるだけになってしまうため、代わりにムセイオンに集約された聖遺物や知識、技術などはこの世界で実現できないか研究され、その成果を大協約批准国の全てで共有される。要は《レアル》の恩寵を独占することで生じる不均衡を是正するのが目的であるため、ヴァーチャリア世界で複製した魔導具、開発された魔導具などは対象とはならない。実際、レーマ軍の魔導の大楯マギカ・スクトゥムはレーマ帝国が大戦争中に研究・開発したものであるため、今でもムセイオンには納められていないし、その技術はレーマ帝国が独占している状態だ。

 グルグリウスも降臨者などではなく、ヴァーチャリア世界で生まれたインプがグレーター・ガーゴイルへ進化した存在なのだから、そのグルグリウスがこの世界で創った物も当然大協約の規制の対象に等なるはずがない。


「何なら、既に身に着けておられる物に魔法を付与しても良いでしょう。

 ミスリルなら魔法との相性も良いから、付与にも都合が良い」


 反応の鈍い人間たちにグルグリウスが続けて言うと、六人の人間たち全員が腰を浮かせて慌てた。


「いや! いやいや!」

「それは流石に!!」


 グルグリウスとしては妥協してハードルの低い提案をしてみせたつもりだったが、予想外の軍人たちの反応に逆に面食らってしまう。


「何です!?

 既に身に着けているものなんですから問題ないでしょう?」


 リウィウスのガレア鎖帷子ロリカ・ハマタリュウイチ降臨者から直接貰ったもの。そしてカエソーも百人隊長ケントゥリオたちもそれを知っていながら咎めていない。つまり認めている。そこに魔法効果を付与するだけなのだから、問題などあるわけないではないか。

 カエソーたちも反射的に反対したわけだが、冷静に考えると確かにその通りだ。しかし本当にそうなのだろうか? 咄嗟に反対してしまったなら、おそらく無意識にとはいえ相応の理由があるからこそ反対したはず……カエソーは答えをすぐには出せなかったが、目を閉じ眉間を揉みながら頭の中を必死に整理しはじめた。そして数秒後、目を開けてまだ口を挟まないでくれと頼むように周りに広げた両手を翳して見せる。


「まず、グルグリウス殿が言われたように、リウィウス殿の装備はグレーな状態です。ずるい言い方ですが、厳密に言えば、良いか悪いかと言う判断は誰も下していない。

 我々はひとまず、合法か違法かの判断を保留することで、黙認している状態です……それが一つ!」


 慎重に語り始めたカエソーにリウィウスは一人、なんだか今更騙されたような気になって渋面を作り、不審の目を向ける。しかしカエソーは何も見ていない。自分が間違ったことを言わないか、慎重に言葉を選ぶ人間特有の態度で誰にも視線を向けることなく話を続けた。


「次にリウィウス殿は奴隷セルウスであり、その装備は主人が奴隷セルウスに与えた物……すなわち特有財産ペクーリウムです。

 特有財産ペクーリウムの所有権者は法的にはその奴隷セルウスの主人になります。

 奴隷セルウスが解放される際は所有権が主人から解放奴隷リーベルトゥスに移ることもありますが、必ずではありません」


 レーマ帝国では奴隷にも財産権がある。給料は支払われねばならないし、それによって奴隷は自分の身分を買い戻す可能性が担保されなければならない。だが、奴隷に仕事をさせるために与える道具は特有財産ペクーリウムと定義され、法的には奴隷の財産権から切り離されて主人から貸与された物として位置づけられるのが通例だ。そうしておかないと主人が完璧な仕事をさせるために下手に高価な道具を与えた際、所有権ごと奴隷に渡すと奴隷が勝手にそれを売り払い、安い道具に買い替えて差額を着服するような不正行為をしてしまうことがあるからだ。また一つの仕事を任せていた奴隷を他の奴隷に交代させる際も、道具の所有権を主人の側に残しておかないと、必要な道具を前任者から後任者へ引き継がせることが出来ず、主人は後任の奴隷にわざわざ同じ道具を買いなおして与えなければならなくなってしまう。

 リウィウスの装備は武装奴隷ガレアートゥスとして働くために与えられた武具だ。よって、明らかに特有財産であり所有権はリュウイチのままということになってしまう。

 カエソーは誰にも合わせていなかった視線をグルグリウスへ向けた。


「つまりリウィウス殿の武具はリュウイチ様の所有物です。

 持ち主であるリュウイチ様が居られない今、その武具に勝手に魔法効果を付与することなど認められません」


 グルグリウスは口を真一文字にして鼻から大きく息を吸い込んだ。

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