第1319話 事情を知らされるグルグリウス

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦陣営本部プリンキパーリス・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 困惑……グルグリウスと五人の軍人たちの表情を現すならそれであった。ただ、グルグリウス以外の全員が妙に気まずそうにしている。しばし沈黙の時が流れ、待っても答えが出て来そうにないと判断したグルグリウスが口を開いた。


吾輩わがはいも人間の常識は多少わきまえている自負がございます。

 この世界の人がスキル無しにミスリルの精製に成功したとは寡聞かぶんにして存じ上げません。

 つまりミスリルは聖遺物アイテムに他なりません。


 聖遺物アイテムはムセイオンに収蔵されねばならぬ、いわば禁制品。

 だがリウィウス殿は堂々とミスリルを身に着けていらっしゃる。

 だから吾輩わがはいはリウィウス殿は大協約の制約を受けない理由があるのであろうと考えておりました。

 そして、だからリウィウス殿に魔導具マジック・アイテムを持たせればペイトウィンホエールキング様に対する抑えとして充分な役割を果たせるだろうとも……


 しかし閣下はリウィウス殿に魔導具マジック・アイテムを持たせるのはイカンとおっしゃる。

 では閣下たちはリウィウス殿の身に着けておられる武具がミスリルだとは気づいておられぬのかと思いきや、存じておられる。


 どうやら吾輩わがはいには色々と教えておいていただかねばならぬことがあるようですな」

 

 まだ生まれて三日目だ。当然、今生で新たに得られた知識や情報などほとんどない。 それでもグルグリウスが人間たちの機微や都合に合わせた行動が出来るのは、インプという種族が持つ集合知によって一般常識や教養を生来持ち合わせていたからだ。過去に生まれ、死んでいった幾多のインプたちが身に着け集積して言った常識や教養……それがなければインプは召喚されて即座に召喚主の依頼を受けて仕事をするなんて出来るわけもない。


 人間はとかく秘密を守りたがるもの……人には言えない依頼を密かに受け続けていたインプたちにはそうした理解がある。そして必要以上に詮索せず、あえて訊かず、察することで依頼主、召喚主の秘密を守る。それはインプたちの仕事の一環だ。そうした秘密を守ることに対する一定程度の信用があるからこそ、インプは人間との関係を築き保つことができた……インプたちはそう理解しているし、グルグリウスもそのように考えている。

 だからグルグリウスも《地の精霊》やカエソーから仕事を請け負う時、最低限の情報以上のものを教えてもらおうとはしなかった。だが、一般常識や教養といった情報だけで行動するには限界というものがある。どうしたところで個人個人の事情に即した行動をとるには、それぞれの個別の事情を把握しないでは出来るわけも無いのだ。そしてグルグリウスは今まさにそうした限界に直面してしまっていた。


 これ以上、知らないままでは適切な仕事はできん……

 知るべきことは知らされないのなら、この仕事は受けられない。


 もっとも、カエソーたちにしても過度に秘密を守ろうとしていたわけでも無かった。だいたいグルグリウスと出会ってわずか二日、今日が三日目なのだ。出会ってわずか数日ですべてを打ち明けられるほどの信頼関係など築けるわけもない。というか、わざわざ秘密を打ち明ける必要も機会もまだなかったというだけに過ぎないのだ。当然、彼らに落ち度はない。が、それでも教えておくべきことを教えないまま話を勧めようとしてしまったという事実は、彼らにどこか後ろめたいものを感じさせていた。

 軍人たちは互いに目配せするとカエソーがゴホンと咳ばらいをする。それは自分が話すという合図のようなものだった。


「グルグリウス殿、まず断っておくが決して貴殿を信用しないから話さなかったわけではないのだ。ただ、今まで話す機会が無かっただけで……」


「伺いましょう」


 グルグリウスが特に怒るでもなく話を聞く姿勢を示すと、カエソーは人心地ついたように緊張を解き、話し始めた。


「実はリウィウス殿の主……貴殿の《地の精霊アース・エレメンタル》様の主でもあらせられるのだが、その御方は降臨者であらせられる」


 思い切ったように、だが落ち着いた調子でカエソーが言うとグルグリウスはわずかに驚いたように目を開き、眉を持ち上げた。


「名を、リュウイチ様といわれる。

 先月、アルビオンニウムに降臨あそばされたのだ。

 ゆえに、世間にはまだ知られておらぬ」


「では、秘されておられるというのは……」


「世間の動揺を抑えるため、ムセイオンやレーマ本国の対応方針が決まるまでは降臨の事実もリュウイチ様のことも秘匿することとしたのだ。

 それには御本人も御同意なされておられる」


 グルグリウスはやや渋面を作った。インプは秘密を守りながら仕事をするが、その秘密は大抵は大したものではない。受ける依頼はだいたい個人的なものだ。第三者が知れば笑うか呆れるかするような、恋の悩みだったり、嫌いな人間への嫌がらせだったりというのが大部分である。国家だの世界だのといったものの命運が関わるような重大な仕事を、脆弱なインプなんかに依頼する人間なんか居ないのだから当然だ。インプたちにしたところで、守らねばならない秘密がそうした第三者から見れば陳腐でありふれたものだからこそ、人間のことを多少なりとも可愛げを感じながら接することができていた。

 だがこれはどうだ。人間は世界を二分する大戦争を終え、二度と惨劇を繰り返すまいと大協約を成立させ、降臨を阻止するという方針を打ち出した。インプたちからすれば、人間にしては知恵と勇気を絞り出して成し遂げた偉業と言えただろう。しかし今、そのヴァーチャリア人類最大の偉業の一つと言って良い大協約体制を崩壊させるような出来事が起きており、それを秘密裏に処理しようとしている。それはこれまでインプたちが引き受けていた人間たちの可愛らしい秘密とは全く異なっていた。


 なんてことだ……

 どうやらとんでもない厄介ごとに首を突っ込んでしまったようだぞ? 


「リウィウス殿はリュウイチ様の奴隷セルウスだ。

 他に七人の仲間が一緒に奴隷セルウスになったのだが、彼らは奴隷セルウスになるにあたり、武装奴隷ガレアートゥスとなることをリュウイチ様に希望したのだ。

 そしてリュウイチ様はその願いを聞き入れ、自らの持ち物からあのミスリルの武具を特有財産ペクーリウムとして授けられたのだ」


 頭が痛くなってきたかのようにグルグリウスは悩まし気な表情を浮かべ、ペシッと右手を額に当てた。


「……なんてことだ……」


「ルクレティア様もリュウイチ様の聖女サクラとなられ、リウィウス殿たちと同じように聖遺物アイテムを授けられておられる。

 なお、グルグリウス殿の主、《地の精霊アース・エレメンタル》様はリュウイチ様が召喚なされ、ルクレティア様の護衛のために授けられた精霊エレメンタルだ」


 グルグリウスは額から手を降ろし、カエソーに向き合い尋ねる。


「ではリウィウス殿が聖遺物アイテムが授けられながら魔導具マジック・アイテムを持てなのは?」


 カエソーは一瞬口をへの字に結んで渋面を作ったが、すぐに表情を元に戻して答える。


「それは我々の要請によるものだ」


「閣下の?」


「いや、我がサウマンディウス伯爵家もだが、アルビオンニア侯爵家、そしてアルトリウシア子爵家、ここらの三領主家のだ。

 御存知のようだが聖遺物アイテムは禁制品、ムセイオンに収蔵されねばならぬ。

 だが、リウィウス殿はリュウイチ様の奴隷セルウス


「降臨者様の?」


「その通り……リュウイチ様は降臨者であらせられるから聖遺物アイテムを所有することを禁じる法律はない。

 そしてリュウイチ様が自らの持ち物である奴隷セルウス聖遺物アイテムを持たせることを禁じる法律も」


 グルグリウスは渋面を作って額に手を当てた。


「それは、かなりグレーな判断だと思われますが?」


 無理もない。大協約はそもそも奴隷という存在を前提としてはいなかったのだ。

 《レアル》から人道主義や人権主義といった考え方がもたらされたヴァーチャリア世界では奴隷は廃止の方向で流れている。《レアル》から文化文明を齎されて成立した世界であるため、《レアル》の文化や文明をどれだけ取り入れるかがヴァーチャリア世界における国家の正当性のバロメーターになっているのだ。もちろん奴隷制という制度自体も《レアル》から齎されたものだが、《レアル》で否定され廃止されたというのなら、ヴァーチャリア世界でも廃止するのが正しいという価値観が生まれる。

 レーマ帝国では奴隷制は残っていたが、基本的に死刑に準じた刑罰として運用されているに過ぎない。奴隷は言ってみれば死刑に処される前の死刑囚という位置づけであり、死刑を執行されない代わりに主人の下で働くのだ。ただ、だからといって生存権を含む人権の全てが否定されるわけではなく、主人は生存権も財産権も保障してやらなければならない。ともかく、奴隷は刑罰の一環‥‥‥そういう位置づけにすることでレーマ帝国では奴隷制の存続の正当化を図っていた。

 対する啓展宗教諸国連合側では奴隷は存在しないことになっている。実際は存在するが、基本的に亜人や獣人ばかりであり、ヒト以外の亜人や獣人を人間とは認めないことで彼らを事実上の奴隷として使役しているのだ。


 いずれにせよ大協約を制定した両陣営に奴隷状態は存在しても奴隷は存在しないことになっていたため、大協約自体も奴隷が存在すること、そして降臨者が奴隷を所有した場合などを想定から外していたのだった。もっとも、降臨者には《レアル》へ帰還してもらうのが大前提であり、降臨者が帰れなくてヴァーチャリア世界に居ついてしまう状態自体が想定されていなかったのだから、そもそも降臨者が奴隷を所有することを想定すること自体が無意味だったとも言える。

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