第758話 降臨者はダーク・ナイト
統一歴九十九年五月九日、午後 ‐
『?……どうかなさいましたか陛下?』
報告しようとした途中で急に表情を曇らせ、話を中断してしまった
「あ、いえ……申し訳ありません。
ええ、残念ながら手配中の脱走者については、まだ報告はありません。」
手配中の脱走者とは無論、ティフ・ブルーボール二世以下
『そう……それは残念ですわ。
彼らはてっきりレーマの方へ向かったと思いましたのに……
それでは、ご用件はいったい何でしょうか?』
フローリアはどこか釈然としない様子を残してはいたが、マメルクスの答えを聞くと
「それでは、用件を申します。」
マメルクスは静かに自身の言葉を待っているフローリアの顔をジッと見据え、先ほど浮かんだ想像を一旦頭の
「我がレーマ帝国のアルビオンニア属州において、降臨が起きました。」
ヴァーチャリア世界において約百年ぶりに起きた降臨。大協約によって平和と安定を維持している現在の価値観で最大の禁忌とされる降臨の報に際し、フローリアの反応はただ低く、短く、「そう……」と漏らしただけだった。マメルクスと共に
マメルクスはフローリアの反応の薄さに逆に驚き、
「
『魔法の鏡』は映像に対して音声が若干遅れて伝わってくる。ひょっとしてそれが酷くなったのではないかとも思いながら、マメルクスは用心深くフローリアの様子を
『何でしょうか?』
世界を揺るがす急報にまるで反応しなかったのに今度は普通に応じたため、マメルクスは却って動揺してしまう。
「い、いえっ……その、驚かれないのですか?」
『いえ、驚いておりますよ陛下。
それで、《レアル》へお戻りいただけたのですか?
降臨者様の詳細は?』
一度は呆気にとられたマメルクスだったが、フローリアの平然とした様子を目の当たりにし、自分が動揺していることが酷く恥ずかしいことのように思え始めた。自覚できない苛立ちを腹の底へ押し込めつつ、
「はい、地元の
報告によれば、御帰還の方法が分からないとおっしゃられたとか‥…」
努めて
『分からなかった?
一体どういうことなのでしょう?』
「あいにくとそこまでは分りません。
ですが御帰りいただけぬ以上、仕方なく地元の
その説明を聞くと鏡の向こうのフローリアの表情はわずかに曇り始めた。
『それは……大丈夫なのでしょうか?
降臨したのは
マメルクスにはフローリアの「大丈夫」の意味を計りかねた。
「はい、
ですが降臨が起きたのはアルビオンニウムという街です。
アルビオンニウムは一昨年火山の噴火に見舞われて以来放棄されており、今は無人の廃墟となっております。そのような土地に降臨者を、ましてや
アルトリウシアへお運びするのは、やむを得ぬ判断だったと言えるでしょう。」
『ああ……そうね、お帰り戴けなかった降臨者様は、地元の
相手が普通の人間ならば、無人の廃墟に放逐すればそれだけに処刑したも同然ということになるだろう。だが相手は普通の人間ではなくゲイマーである。
ゲイマーの持つ能力は様々だが、強力な魔獣を召喚し使役することが出来たり、強力な魔法を使うことができたり、あるいは自身がとてつもない身体能力を持っていたりするため、見渡す限りの無人の原野に放置したとしても死ぬことなくどこかへケロッとした顔で現れてしまう可能性が高い。ゲイマーを放置するなど、自由を与えるようなものなのだから、現地貴族が自領であるアルトリウシアへゲイマーを招いて収容するのは決して間違った判断とは言えなかった。実際、大協約にも降臨があった際はまず御帰還をお願いし、それに応じてもらえなかった場合は最寄りの貴族が責任をもって収容し、持て成すことになっている。それはゲイマーがヴァーチャリア世界で自由勝手気ままに動き回り、世界中に再び災厄をばらまかないための措置だった。
だがそれは大協約体制をそのまま崩壊させてしまいかねない危険性も孕んだ処置だった。大協約では降臨阻止を徹底するため、降臨者が齎した《レアル》の
しかしここで万が一、まかり間違って降臨が起きた場合、その時の降臨者を歓待せよと義務付けられた貴族がその義務を逆手にとって自分だけ降臨者に取り入ってしまった場合、果たしてどうなるであろうか?
間違いなく《レアル》の恩寵独占禁止という条項は有名無実化してしまうであろう。あいつが降臨者に取り入り恩寵を独占するなら自分も……そう考える者が現れないと考えるのは楽天的を通り越して能天気でしかない。
かといって、その抜け駆けをして取り入った貴族をどうやって責めることができるだろうか?
その貴族は大協約の定めに従っただけであり、その貴族の歓待に対して感謝した降臨者が、その恩寵をもって恩に報いたとすれば、
フローリアは今の時点で既に、最悪の場合はその降臨者と戦うこともありうるかもしれないと考えていた。そしてそれは彼女自身が、そしておそらくは彼女が今まで育て上げてきた
「降臨者を収容したのは
降臨者の玉体をお運びする判断を下し、実行に移したのは
両領主は降臨の事実と降臨者の存在について徹底的に秘匿しておるそうです。そして彼らは我らに指示を
実際には手紙ではマメルクスに対してしか指示を乞うては居なかったが、マメルクスはわざと「我らに」とフローリアに報告した。事実上、判断をフローリアに丸投げした形になる。
手紙の文面、そして置かれた立場からすればマメルクスはムセイオンへの報告義務はそれはそれとして果たさねばならないが、本件に関する対応は本来なら自分で判断し自分で行動しなければならない。しかし、降臨は大協約体制の世界全体の問題であり、いくらレーマ帝国の皇帝だからといってマメルクス個人が一人で処理するには大きすぎる問題だ。何をどう対応したところで、どこかからか文句が付けられる可能性は排除しきれない。特にマメルクスの支配体制は決して盤石なものではなく、元老院との対立も各領主との関係もどう影響してくるか分からないからだ。
しかし、こうしてムセイオンに丸投げしてしまうことで、判断に関する責任をムセイオンに押し付けることができる。どうせ最終的な調整はムセイオンが行うことになっているのだからマメルクスの行動を無責任だと追及することなど誰にもできないのだ。それにどういう判断が下されるにしろ、実際の対応はマメルクスの命令によってレーマ貴族の誰かが実行することになるのだ。降臨という
『ええ、そうね。
こちらも早く対応を決めなければ、その侯爵夫人と子爵もきっとお困りに違いありませんね。』
フローリアはここでようやく反応らしい反応を見せた。悩まし気に眉間にシワを寄せ、額に手を当てた。
『それで、その降臨者様に関して分かっていることはあるのですか?』
「はい、まだ第一報なので限られた情報しかありませんが……
名はリュウイチ、南蛮民族の言葉で
そしてあの《
『《
マメルクスはフローリアが取り乱すところを生まれて初めて目にした。
「はい、どうやら《
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