第759話 大聖母と《暗黒騎士》

統一歴九十九年五月九日、午後 ‐ 『黄金宮』ドムス・アウレア聖堂サクラリウム/レーマ



 夜中でも昼のような明るさをもたらす電気のような照明手段などまったく普及していないこの世界ヴァーチャリアにおいて、屋内の照明はロウソクやオイルランプ、あるいは篝火かがりびなどに限られており、建物はせめて外光を採り入れやすくするために採光窓などを積極的に用いて日中の明るさを確保するのが普通だ。しかし、ここ『黄金宮』ドムス・アウレアの最奥、聖堂サクラリウムに設けられた『鏡の間』スペクラリス・ロクムの採光窓はレーマ建築の建物としては例外的に小さく作られている。この『鏡の間』の主役ともいえる『魔法の鏡』スペクルム・マギクスは周囲が明るすぎると、何が映っているのか見えにくくなってしまうからだ。

 このため、『鏡の間』の内部はまだ昼間だというのに薄暗く、同室する人の顔を見分けるくらいは問題ないが字を読むには少々苦労する程度の明るさしかない。


 その『鏡の間』の最奥中央には『魔法の鏡』が鎮座し、今は全体が青白い光を放っている。その鏡をはさんで両脇には神官フラーメンたちがズラッと縦に並んで直立不動の姿勢を取っており、鏡に向かうレーマ皇帝インペラートル・レーマエマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールを守ろうとしているかのようである。

 彼らがそのように並んで立っているのはただ単にそうせよと教えられているからにすぎない。実際のところ、彼らは既に魔力の大半を消耗してしまっており、これから何かを命じられたところで神官らしい何事かをなすことなどできようはずもないからだ。では何のために彼らにそうせよと教えられているかというと、単なる権威付け以外の何物でもなかった。

 仮にもレーマ帝国の最高権力者たるレーマ皇帝が、ムセイオンという国際機関の長たる大聖母グランディス・マグナ・マテル相対あいたいするのである。そこには外交儀礼的なものも必要だし、国威を示すためにも権威付けハッタリは必要不可欠だった。実際、ここに詰めている神官たちの選抜には見た目も基準の一つとして採用されており、背丈や体格、姿勢、顔の造りの良しあしなどは一定以上の基準を満たした美形であり、かつジッと黙って立っていればそれだけで風格を感じさせるような風貌の中高年でそろえられていたのである。

 もっとも、そうした演出が齢百年を超える大聖母フローリア・ロリコンベイト・ミルに対してどの程度効果があるかなど知れたものではない。ヴァーチャリア世界の人間の中で最高齢であり、最強の魔法使いであり、なおかつ自身がゲイマーの血を引く子供で、さらに強力なゲイマーの妻としてその子を産んだ、この世界ヴァーチャリアで最も高貴な存在であるフローリアには、いかなる肩書もいかなる権威もいかなる名声もかないはしないからだ。おまけに当の神官たちがフローリアの権威にすっかり飲まれてしまい、その一挙一動にイチイチ動揺しているようでは却って逆効果であろう。


 そして今、そうした諸々もろもろを無視したとしても、今のフローリアにはレーマ帝国が国の威信を多少なりとも示すために行っている努力など全く眼中に入っていなかった。いや、神官たちはおろか、自分が会談している相手であるマメルクスの存在すら忘れてしまったようである。


『そんな……《暗黒騎士ダーク・ナイトが今頃……いったい何故!?』


 鏡に映る茫然とした様子で顔に手をやるフローリアの顔が青白く見えるのは、おそらく向こう側の『鏡の間』の照明のせいばかりではあるまい。鏡越しにマメルクスに向けられていたその視線は、今はうつろに何処いずことも知れぬ中空を彷徨さまよっているようだ。


 ……《暗黒騎士ダーク・ナイト?……


 珍しく我を失ったフローリアがうっかり漏らした言葉にマメルクスは何か引っかかるものを感じていた。

 《暗黒騎士》の名を呼ぶ際、フローリアは確かに敬称を付けていた。マメルクスの知る限り、フローリアが歴史上のゲイマーガメルについて語る時、自分が直接面識のあったゲイマー以外には敬称を付けたことはない。歴史上の人物として、架空の人物について語る時のように一歩引いて、第三者的な姿勢で話すのが普通だったのだ。


大聖母グランディス・マグナ・マテル様、もう一度申し上げますが、降臨したのは 《暗黒騎士ダーク・ナイト》の縁者であって、御本人ではありません。

 名はリュウイチと申されるそうです。」


 マメルクスが念を押すように断りを入れると、フローリアはハッと我に返った。


『え?!……ああ!……ああ、ああそう……そうですね……

 《暗黒騎士ダーク・ナイトの縁者であらせられるというのは、確かなのでしょうか?』


 やはり……またを付けた……


「御本人がいつわりの説明をしている可能性は否定できませんが、《暗黒騎士ダーク・ナイト従弟叔父いとこおじ……父君の従弟いとこに当たられるそうです。」


『つまりリュウイチ様からすると《暗黒騎士ダーク・ナイト従甥じゅうせいにあたられるのね……』


「その通りです。

 そして、報告書によれば御本人が申されるには、《暗黒騎士ダーク・ナイトがお亡くなりになられたので、その挨拶のために御降臨あそばされたと……」


『………そう……《暗黒騎士ダーク・ナイトが《レアル》で……』


 マメルクスが注意深く観察した限りでは、フローリアは《暗黒騎士》の死に対してはそれほど驚いているようには見えなかった。

 フローリアは《暗黒騎士》とは面識が無かったと一般には信じられている。マメルクスもそのように聞いていた。だが普段、歴史上のゲイマーについて語る際、自分と直接面識のあったゲイマーの名前に対してだけは敬称をつけて呼んでいたフローリアが今日の会談では《暗黒騎士》の名に敬称をつけて呼んでいた。そこからてっきりフローリアは《暗黒騎士》と面識があったのではないか?実は知り合いだったのではないか?とマメルクスは疑ったのだが……


 《暗黒騎士ダーク・ナイト》の訃報には動揺しない……ということは、やはり知り合いではなかったのか?


「お信じになられるのですか大聖母グランディス・マグナ・マテル様?」


 不滅と言われるゲイマーの頂点に立つ存在の死を、意外にもあっさりと受け止めるフローリアに対しマメルクスはいぶかしむようにたずねた。


『え?……ええ、こればかりは疑っても仕方のないことではなくて?』


「しかし、不滅の肉体を持つゲイマーガメル、その頂点と思われる《暗黒騎士ダーク・ナイトが亡くなられたなど、にわかには……」


 ゲイマーは基本的に不滅だと言われている。どれだけ時を経ても歳を取らず、たとえ殺されてもよみがえる……たしかに《暗黒騎士》によって一掃されてしまった存在ではあるが、それは《暗黒騎士》の《ゲイマー喰らいガメル・コメデンティ》と呼ばれる魔剣の効果か、あるいは世界のことわりに干渉する禁断の大魔法『チート』の効果によるものだと考えられていた。

 ゆえに、一掃されたゲイマーは死んだわけではなく、今もどこかに封印されているか、あるいは《レアル》世界で生きていると信じている者も少なくはなかった。


『あの方たちは不滅ではありませんわ。

 現にあれだけいたゲイマーガメルは《暗黒騎士ダーク・ナイトに討ち取られてしまったではありませんか?』


 その時フローリアの口元に浮かんだ柔らかな笑みは、心なしか寂しげでもあった。フローリア自身はゲイマーたちが生存している可能性を信じていないのだろう。

 マメルクスはフローリアに不用意に不快な思いをさせてしまったことに気づき、素直に謝罪する。


「申し訳ありません。

 討ち取られたゲイマーガメルの中には、御親交のあられた御方も含まれておりましたな?」


『それは気にしなくても良いのです。

 彼らと私はさほど親しいというわけでもありませんでした。

 それに……

 それに私はまだ、一番大切な存在を奪われずに済んでいるのですからね。』


 相変わらずその表情がどこか寂しげなのは仕方ないにしても、一瞬でも柔らかさを取り戻したのは一人息子の存在を意識したからだろう。だがその顔から憂いが完全に晴れないのは、我が子同然に育てているゲイマーの子らの親や祖父母が《暗黒騎士》の手にかかって死んでいるという事実があるからだった。


大聖母グランディス・マグナ・マテル様におかれましては、たしか《暗黒騎士ダーク・ナイトとは……?」


『いいえ、ありません。

 《暗黒騎士ダーク・ナイト》様が降臨なされていた時、私はのですからね。』

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