第757話 大聖母フローリア・ロリコンベイト・ミルフ

統一歴九十九年五月九日、午後 ‐ 『黄金宮』ドムス・アウレア聖堂サクラリウム/レーマ



『お久しぶりですね、クレメンティウスマメルクス陛下。

 お元気そうで何よりだわ。』


 鏡に映った妙齢の女性は気品と、そして異様なまでにつやのある声でレーマ皇帝インペラートル・レーマエマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールに挨拶をした。その実年齢とはかけ離れた瑞々みずみずしいまでの美貌には、とても世界ヴァーチャリア最大の帝国を統べる支配者に対しているとは思えぬほどの余裕に満ちている。無理もない。彼女の名はフローリア・ロリコンベイト・ミルフ。この世界ヴァーチャリアで唯一、『大聖母』グランディス・マグナ・マテルの称号を持つ女性であり、ヴァーチャリア世界を生きるの中では世界最高齢の大魔術師なのだ。

 彼女自身、降臨者ロリコンベイトの血を引く聖貴族コンセクラータであるのと同時に、父ロリコンベイトの元で魔法を修行し、父と共に活躍した冒険者でもあった。それだけでも彼女の実力がどれだけものすごいかは知れようというものだが、彼女は父ロリコンベイトが降臨しなくなってから別の降臨者でハイエルフのルード・ミルフと共に冒険するようになり、そのまま結婚して一児を儲けていた。つまりフローリアは自身がゲイマーガメルの血を引く偉大な聖貴族であり、同時にゲイマーガメルにその身を捧げた聖女サクラであり、さらにそのゲイマーガメルの子を産んだ聖母マグナ・マテルなのだった。しかも、ただでさえ寿命が長く成長の遅いハーフエルフの息子が孤独にならぬようにと不死の研究を重ね、ついに自身をアンデッド化してしまってもいる。このアンデッド化によって彼女は元々強大だった魔力を更に強大化させており、ムセイオンに集められた世界の名だたるゲイマーの血を引く子供たちのを一手に担う存在となっていた。『大聖母』グランディス・マグナ・マテルとは、それゆえに彼女のために創られた称号であり、他にその称号に値する人物は歴史を振り返っても見つけることはできない。

 そのようなフローリアにとっては世界最強の権力者の一角であるマメルクスも、数多き子供たちの一人でしかなかった。実際、彼女はマメルクスの父が生まれる前から今の地位に就いているのであり、マメルクス自身も帝位に就いたときは自分から挨拶をしたほどなのである。


大聖母グランディス・マグナ・マテル様こそ、いつ見ても相変わらず若々しくお美しい。

 その美貌の前には、いかなる宝石さえも光を失うことでしょうな。」


 マメルクスは自身がいつになく緊張していることを自覚しており、その声がわずかに上ずっていたることも気づいていたが、鏡に映る少女とも淑女とも見える女性はマメルクスの緊張とは対照的に口元を抑えてコロコロと笑った。


『まぁ、陛下こそ相変わらずお上手ですこと。』


 その愛らしい顔と愉快そうな声はマメルクスたちレーマ側で聞いている者たちの心に一時の和みをもたらすが、笑い終えたフローリアが鏡のこちら側へ視線を向けると、その相貌には相変わらず笑みが浮かんでいたにも関わらずマメルクスたちに緊張を新たにさせる。


『お褒めに預かってとても嬉しいわ。

 それが歳を取ることのない私のマヤカシであってもね。』


 マヤカシだなどと……と、普段のマメルクスなら否定してお世辞を重ねたことだろう。社交界ではいくらやんごとなき身であっても御婦人を喜ばせるリップサービスくらいは必要になるのだ。マメルクスだってそれくらいはお手の物である。だが今のマメルクスはゴクリと固唾かたずを飲みこむことぐらいしかできなかった。


『それで、用件はいったい何かしら?

 この「魔法の鏡」スペクルム・マギクスは今は私の魔力で動かしているから少しくらいなら無駄話もできますけど……』


 フローリアは相変わらず笑みを浮かべているが、その視線には妖しい光が宿っている。その視線に射抜かれたものは不思議と視線を逸らすことができない。まるで魂そのものを鷲掴みにされてでもいるかのようだ。


「も、もちろん無駄話をしたいわけではありません。

 この『魔法の鏡』スペクルム・マギクスを使う以上、相応の要件があってのことです。」


 愉快でたまらないとでも言うようにフローリアの笑顔が一瞬だけ歪んだ。


『まあ、よかったわ。

 そうよね。きっとお互い暇ではないはずですもの。

 わざわざ「魔法の鏡」スペクルム・マギクスを使うに値するお話と聞いて安心しましたわ。』


 フローリアはムセイオンで事実上の最高権力者であり、必然的に世界ヴァーチャリアに残された聖遺物アイテムの管理者でもある。いかなる魔道具マジック・アイテムも彼女以上に扱える者が他に居ないのだから必然的にそうなってしまっているのだが、何せ彼女は歳を取ることも死ぬこともないアンデッドであるため「任期」と言ったものが無い。代わりの人間もおらず、半永久的にその役目を果たし続けねばならなかった。それを自覚しているフローリアは、そうだからこそ信用は揺るぎないものであり続けねばならないと考えており、魔道具をいたずらに用いることに対して厳しくのぞむ傾向があるのだ。


 そうか、それでか……


 普段、通例どおりの挨拶をする時には感じることのない威圧感の理由にマメルクスは気づいた。フローリアはマメルクスがつまらない用で『魔法の鏡』を使ったのではないかと疑っていたのだ。

 フローリアはムセイオンに収容されたゲイマーの子たちが自分の相続した魔道具や魔法やスキルを濫用することを普段から厳しく戒めており、同じようにマメルクスにもそのようなことのないよう釘を刺すつもりでいたのだろう。もちろん、いい歳した大人で皇帝という責任ある地位に就いているマメルクスがそのような軽卒なことをするはずもないのだが、何せフローリアはもうすぐ二百歳にはなるのではないかというアンデッドであり、彼女はを数百人も面倒を見ているのである。その彼女からすればようやく中年になったばかりのマメルクスなどオムツのとれたばかりの幼児と大差ないのだ。

 ともあれ、マメルクスが悪戯半分に『魔法の鏡』を使っているわけではなさそうだと理解したフローリアの威圧感は急に納まった。そしてそれまでプレッシャーをかけていたことを誤魔化すかのようにフローリアの口が軽くなる。


『だって聞いてっ、この間なんてどこの誰とは言わないけど御家騒動の相談なんてしてきた王様がいたのよ!?

 第一王子が身分を捨ててでも蛮族の娘を娶りたいと言い出して、しかも王子と蛮族の娘を引き合わせたのが第二王子だったとか……

 そんなの何で私に相談してくるのよ、知ったこっちゃ無いわよ!』


「「「う、うう~~~むむむ」」」


 自分が無駄話をするなとあれだけプレッシャーをかけておきながら自分で無駄話を始めたフローリアだったが、マメルクスも居並ぶレーマ側の神官たちもフローリアに対する呆れよりそれまでの威圧からの解放感の方が強く、辛うじて姿勢は保ってはいたものの一挙に脱力してしまう。


『いいえ待って、今はそんな話をしている時じゃないわ。

 そうよ、コレを使わなきゃいけない用件だもの。

 ひょっとして良くない報せかしら?

 ああ!わかったわ、私の可愛い坊やたちが見つかったのですね?』


「い、いえ、そうではありません大聖母グランディス・マグナ・マテル様」


 ひとしきり無駄話をしたフローリアは鏡のこちら側の緊張が解けたのを見て取るや、話題を本題に戻してきた。マメルクスはフローリアの無駄話のくだらなさにではなく、先ほどまでかけられていた威圧の余韻よいんに頭を押さえたくなるのをこらえながら答える。


「残念ながら手配された脱走者はまだ見つかって……」


 フローリアの予想を否定し、降臨のことを報告しようとしたマメルクスはそこまで言ってハッと気が付いた。


 ひょっとして、今回の降臨にムセイオンからの脱走者が関わっているのか!?

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