第756話 『魔法の鏡』ホットライン

統一歴九十九年五月九日、昼 ‐ 『黄金宮』ドムス・アウレア聖堂サクラリウム/レーマ



 聖堂サクラリウム内に詰めていた神官フラーメンたち全員が『鏡の間』スペクラリス・ロクムに集められ、部屋の最奥に浮かぶ『魔法の鏡』スペクルム・マギクスに向かって祈り始める。弱い魔力しか持たない彼らが『魔法の鏡』を起動するには、こうやって複数人で力を合わせなければならないのだ。

 薄暗くひんやりとした部屋の中に低く唸るように呪文を唱える声が満ちはじめ、熱気によってわずかに室内の気温が上がったかのように感じられ始める。すると次第に『魔法の鏡』全体がうっすらと青く光り始めた。そしてそれまで鏡に映っていた、鏡の正面に立っていた神官の姿が徐々に薄れ始め、代わりに鏡面の向こう側にここではない別の空間の様子が映り始める。それはここから遠く離れた西の彼方、ケントルムの地のムセイオンに設けられた、ここと同じような『鏡の間』ルーム・オブ・ザ・ミラーの様子で間違いなかった。そこにある、ここのと対になっている『魔法の鏡』マジック・ミラーに起こった異変に気付き、驚いているムセイオンの神官の姿がおぼろげに見えている。やがて『魔法の鏡』の銀の額縁の上下左右に嵌め込まれたひときわ大きな宝石が光を放つと、それまで鏡面に映っていたこちら側の様子は見えなくなり、向こう側の様子がくっきりと映し出された。

 それまで向こう側の神官はどこかくつろいだ様子だったが、『魔法の鏡』が本格的に起動したことに気づくや否や慌てて居住いずままいを正し、こちらの方へ向いておごそかな調子で英語の口上を述べ始める。


『申す~、申す~。

 此方こなた~、ケントルムが~ムセイオンなり~。

 此方~、ケントルムが~ムセイオンなり~。

 彼方あなた~、レーマが~「黄金宮ゴールデン・ハウス」と~推察~するが~如何いかが~なりや~?

 彼方~、レーマが~「黄金宮ゴールデン・ハウス」と~推察~するが~如何~なりや~?

 申せ~、申せ~。』


 ムセイオンの神官の動きにわずかに遅れて、その浪々ろうろうとした声が『鏡の間』に響き渡る。同じ文言を間延びした口調で二度繰り返すのは神官同士がこの『魔法の鏡』を使った通話をする際の決まりらしい。

 向こうの口上が終わると、二呼吸ほど置いてこちら側で鏡の正面に立っていた神官が代表して答える。


「申す~、申す~。

 しかり~、然り~。

 此方~、レーマが~『黄金宮ゴールデン・ハウス』なり~。

 此方~、レーマが~『黄金宮ゴールデン・ハウス』なり~。

 申せ~、申せ~。」


『申す~、申す~。

 彼方~、レーマが~「黄金宮ゴールデン・ハウス」~なるを~認め~たり~。

 彼方~、レーマが~「黄金宮ゴールデン・ハウス」~なるを~認め~たり~。

 常ならぬ~呼びかけ~、如何なる~用向き~なるや~。

 常ならぬ~呼びかけ~、如何なる~用向き~なるや~。

 申せ~、申せ~。』


「申す~、申す~。

 此方~レーマ皇帝エンペラー・オブ・レーマ~マメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノール陛下~、彼方~大聖母グランド・グレート・マザー~フローリア・ロリコンベイト・ミルフ様との~会見を~所望す~。

 此方~レーマ皇帝エンペラー・オブ・レーマ~マメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノール陛下~、彼方~大聖母グランド・グレート・マザー~フローリア・ロリコンベイト・ミルフ様との~会見を~所望す~。

 至急~、お取次ぎ~願い~たてまつる~。

 至急~、お取次ぎ~願い~奉る~。

 申せ~、申せ~。」


 向こうの神官はこちらの神官の背後に立っていた人影がマメルクス本人であることを認めると動揺の度合いを高め、それまでの辛うじて保っていた取り澄ましていたような態度を崩してしまう。


『いや、は!?……も、申す、申す!

 大聖母グランド・グレート・マザー様、ただいま朝のみそぎゆえしばしお待ち……いやっ……え~、オホンッ!

 お取次ぎ~いたす~ゆえ~、しばし~待ち~たもう~。

 お取次ぎ~いたす~ゆえ~、しばし~待ち~給う~。

 申せ~、申せ~。』


 向こうの神官はそう言うと、鏡に映っていないところにいるらしい同僚の神官たちに小声で「おい!大聖母様をお呼びしろ!」などと指示を飛ばし始めていた。その様子にこちら側の神官たちは少し苛立いらだつように返す。


「申す~、申す~。

 急ぎ~給う~。急ぎ~給う~。

 此方の~魔力~限~り~ある~ゆえ~。

 此方の~魔力は~限~り~ある~ゆえ~。

 申せ~、申せ~。」


 通話状態を維持するためには鏡に魔力を注入し続ける必要があった。だが、こちら側の神官は特に降臨者の血を引いているような、魔力に優れた聖貴族コンセクラトゥムがいるわけでもなく、普通の人間よりは多少魔力に優れていて辛うじて低位の魔法を使える程度の神官しかいない。こちら側の神官たちは既に魔力をだいぶ消費してしまっているらしく、中には額に脂汗を浮かべて顔色を青くしている者もいた。魔力欠乏の初期症状である。

 彼らより魔力に優れた聖貴族や神官はむろんレーマには他にいくらでもいるのだが、そういう者たちはあえてここには配置されていない。魔力に優れた神官や聖貴族たちは街にあって医療活動に従事したり、あるいは郊外に設けられた製鉄所などで《火の精霊ファイア・エレメンタル》を監視するなどの産業に従事していた。彼らの魔力はまず国の繁栄のために必要とされおり、『魔法の鏡』のように必要ではあるが滅多に使われることのない魔道具マジック・アイテムのためには、それの機能を辛うじて維持できる程度の魔力を持った彼らだけで十分と考えられていたことが理由である。

 こちら側の神官たちが魔力の限界から通信を維持できないことに気づいた向こう側の神官は「あっ」と小さく驚きの声を上げ、数秒ほど無言で目を泳がせた後で思い切ったように言った。


『も、申す~、申す~!

 大聖母グランド・グレート・マザー様に~お取次ぎいたす~。

 大聖母グランド・グレート・マザー様に~お取次ぎいたす~。

 参られ~次第~、此方より~繋ぎなおすゆえ~、ひとたび~休まれよ~。

 参られ~次第~、此方より~繋ぎなおすゆえ~、ひとたび~休まれよ~。

 申せ~、申せ~。』


 この『魔法の鏡』は電話と同じで、かけた方が魔力を負担するようになっている。普段の定時連絡ではムセイオン側から呼びかけてくるので問題ないのだが、今回はレーマ側から通話をつなげていたのでレーマ側の神官だけが通話に必要な魔力を供給し続けねばならなかったのだ。

 しかし、先述したようにレーマ側の『鏡の間』には魔力の乏しい神官たちがあえて選ばれており、既に限界を迎えようとしている。元々、こちらから呼びかけなければならないような緊急事態などどうせ起きっこないと思われていたし、連絡するとしても一瞬でも繋げば、用件を告げる前に通話が切れてしまったとしてもムセイオン側から通話を繋ぎなおせばよいと考えられていたからだった。ムセイオンには世界中から魔力に優れた聖貴族が、特にゲイマーガメルの血を引く聖貴族が集められていたため、『魔法の鏡』を使うための魔力供給ぐらいは余裕でできるからという事情も背景にはある。

 このことはムセイオンの側も承知しており、向こうの神官はこちらの負担を考えて一旦通話を切り、ムセイオン側からムセイオン側の魔力供給によって通話を繋げ直すと言ってきたのだった。


「申す~、申す~。

 お言葉に~甘え~、お待ち~いたす~。

 お言葉に~甘え~、お待ち~いたす~。

 終わり~、終わり~。」


 こちら側の神官が苦しそうにそう言うと、『魔法の鏡』が放っていた光がフッと消えさり、向こう側の様子も見えなくなってしまった。再び暗くなった『鏡の間』には神官たちが一斉に脱力し、フーッというため息の音と重々しい呻き声が満ちて広がった。


「?

 なんだ、どうしたのだ?」


 いつもの時節ごとの挨拶の時とはまったく違う様子にマメルクスは戸惑いを隠せない。彼はムセイオン側が魔力を負担して大聖母フローリア・ロリコンベイト・ミルフと時節ごとの挨拶を交わした経験しかなかったからだ。


「は、陛下。

 ただいま大聖母グランディス・マグナ・マテル様にお取次ぎをお願い申し上げたところにございます。

 間もなく、彼方あなた『魔法の鏡』スペクルム・マギクスの前に大聖母グランディス・マグナ・マテル様が御越しになられ次第、彼方より呼び出されましょう。

 それまで、しばしお待ちくださいますよう。」


「そ、そうか……」


 マメルクスはどうやら神官たちが自分の認識以上に魔力に乏しいらしいことに気づき、戸惑いながらもそう答えた。ムセイオン側から通話が再開されたのは、それから半時間ほど後のことだった。

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