サクラリウムの会談

第755話 スペクルム・マギクス

統一歴九十九年五月九日、昼 ‐ 『黄金宮ドムス・アウレア』・聖堂サクラリウム/レーマ



 世界に冠たるレーマ帝国インペリウム・レーマ……その統治者たる皇帝インペラートルマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールの穏やかな朝のひと時を傍若無人ぼうじゃくぶじんに踏み荒らした元老院議員セナートルたちは不満も露わに帝国の宮殿『黄金宮』から立ち去った。残念ながら皇帝たる者の権威に否定的な彼らの無礼は今に始まったことではない。むしろ、皇帝と元老院セナートスの対立はマメルクスが生まれる前から続いていたレーマにおける恒例行事であり、もはや伝統といって良いほど定着してしまっている。このように対立構造が継続している理由は互いに手を出せないからに他ならなかった。


 大戦争の折、帝国の全軍を統率しながら同時にレーマ側に立って大戦争に協力してくれるゲイマーガメルたちとの関係を維持するため、皇帝には身体不可侵権が付与されており、元老院側は満場一致の弾劾だんがい採決によらなければ皇帝を退位させることはもちろん、何の処罰も与えることも出来ないことになっていた。そして元老院議員の四割が皇帝派である以上、よほどの理由が無ければ弾劾は成立しない。

 同時に皇帝は元々元老院から選出された一官僚にすぎないため、元老院に対して何らかの命令を下すような権限は最初から一切保有していない。皇帝に与えられているのは帝国全体の安全保障に関する権限と責任であり、それを実現するための軍隊『野戦軍コミターテンセス』である。なので皇帝はレーマ本国に対してはせいぜい協力要請を行うぐらいのことしかできなかった。

 皇帝の野戦軍は帝国全体の防衛を担っているのだから、その規模も装備も帝国最強の武力集団なわけだが、もとより属州の境界を跨ぐためにはその属州の領主や総督の同意を必要とすることになっているため、レーマ本国に入るためには元老院の同意を取り付けなければならない。また皇帝自身もレーマの外へ出るには元老院の承認を必要としているため、皇帝と野戦軍は物理的には完全に切り離されており、通信によってのみ繋がっている状態である。そして各属州の防衛は各属州ごとの辺境軍リミタネイが担っているのと同じように、レーマ本国の防衛はレーマ皇帝ではなく元老院に忠誠を誓う近衛軍プラエトリアニによって担われているため、レーマ皇帝はレーマ本国や元老院を持ち前の軍事力でどうにかすることもできなかった。それでいて元老院が近衛軍の力でレーマ皇帝を害することがあれば、近衛軍の十倍以上の戦力を誇る野戦軍を率いて皇族が報復に出ることも考えられるため、元老院の側も皇帝暗殺といったような強硬手段に訴えることも出来ない。

 このため元老院は何とか皇帝の力を削いで帝位そのものを廃止すべく、皇帝弾劾のネタを探しつづけ、皇帝は皇帝で少しでも自分の力を維持すべく地方領主たちに便宜を図り続けて支持を取り付けている。

 互いに相手に対して有効な切り札を持たない両勢力は、そうであるがゆえに互いの力を拮抗させ、その対立は百年以上の長きにわたって解決を見ることなく続いていた。今日、執政官コンスルフースス・タウルス・アヴァロニクスを中心に元老院議員たちが乗り込んできたのも、そうした恒例行事の一環と言えるだろう。

 しかし、いくらそれが恒例化したイベントだとしても当事者としては歓迎したくなるようなものではない。何せ相手はこちらを認めようとせず、むしろ存在そのものを否定しようとしているのだ。相手の人間性そのものに憎むべき点は無かったとしても、互いの立場そのものが折り合わないのであるのだから、互いにいがみ合い嫌い合うようになるのは当然の成り行きである。


 招かざる客の来訪という不愉快極まりない出来事にすっかり気分を害してしまったマメルクスは、使用人たちが毎朝顔が映るほどピカピカに磨き上げている大理石の床を埃一つ塵一つ落ちていないにもかかわらず再度徹底的に掃除するように命じると、宮殿ドムスの最奥にある一室へと向かった。

 来客を迎えたり執務のための公邸区画を出ると、皇帝が私生活を送るための後宮を抜け、たどり着いたのは小ぢんまりとした大理石の建物。普段は限られた者しか入ることの許されぬ聖堂サクラリウムは『黄金宮』がかつて『至高神ユピテル大神殿』アエディス・イオウィス・ユピテル・オプティムス・マクシムスだったころから残されている数少ない施設の一つであり、入ることが許されるのは皇帝自身と専属の神官フラーメンのみ。

 マメルクスは入り口で無言のまま手をかざし、そこまで寄り添うようについて来ていた護衛官リクトルや侍従たちにここで待つよう命じた。護衛官たちが小さくお辞儀して回れ右をし、聖堂の入り口を守るような位置取りで直立不動の姿勢を取ると、マメルクスはそのまま中へと入っていく。


皇帝陛下インペラートル!」


を使う時が来た。」


 中で出迎えた神官に短く告げると、神官はお辞儀をして「こちらへどうぞ」と低い声で言い、聖堂の奥へといざなう。聖堂の内部は暗く、そしてひんやりとしておりまるで洞穴にでも入ったかのようであった。神官が案内した先にあるのは『鏡の間』スペクラリス・ロクムと呼ばれる部屋である。そしてそこに鎮座するのは、そしてマメルクスがと呼んだのは『魔法の鏡』スペクルム・マギクス……レーマ帝国が保有し、密かに運用されている貴重な魔道具マジック・アイテムの一つであった。


皇帝陛下インペラートル!!」


 『鏡の間』に現れたマメルクスの姿に、中にいた神官たちが驚きの声を上げる。


『魔法の鏡』コイツを使う時が来た。

 至急、ムセイオンと連絡を取らねばならん。

 使えるか?」


 『魔法の鏡』……それは遠く離れたところにいる者と通話する、テレビ電話のような働きをする魔道具だ。大協約の取り決めにより本来、聖遺物アイテムは全てムセイオンで管理されることになっているが、この『魔法の鏡』は緊急時……より具体的には降臨が起きた際に迅速な情報伝達を行うため、特別にムセイオンから貸し出されているものである。ただ、使用にあたってはそれなりの魔力を必要とし、いつでも使えるようにするため起動に必要な分の魔力を普段から神官たちが交代で込め続けている。そして神官たちは日に一度、この『魔法の鏡』による通信が正常に行えるか、通信体制が保たれているかどうかを確認するためのムセイオンからの定時連絡にも対応している。

 マメルクスも時折、ここへは顔を出していたが特にこの鏡を使ってムセイオンと通話するというようなことはほとんどなかった。本来、非常時(降臨があった時)のための緊急連絡手段である以上、手紙で済むような連絡には用いられるべきではないと考えられていたし、使用に少なからぬ魔力を要するとされればいたずらに使うわけにもいかなかった。

 ただ例外的に年に数度、時節ごとの挨拶のためには用いられている。そんなもの手紙で済むだろうと普通の人なら思うだろうしそれは正しいが、この時節ごとの挨拶はマメルクス自身がこの鏡を使った通話に馴染むための訓練の一環として行われているものだった。

 しかし、今日はそのような時節ごとの挨拶を行うような時期ではなかったし、神官たちはそのような予定も聞いていない。それどころかマメルクスの常ならぬ緊張感をまとった様子は、神官たちの不吉な予感を否応もなく搔き立てた。


「もちろんでございます。

 ……ですが、まさか降臨が!?」


 室内にいた神官たちはわずかな薄明りでもハッキリと分かるほど動揺していた。彼らは自分たちが扱っている魔道具が何かを良く知っていたし、それが何のために必要なのかもよく理解していたのだ。

 マメルクスは神官たちの動揺を気にする様子もなく、部屋の奥で浮かんでいる、大きな宝石がいくつも嵌め込まれた豪華な銀細工のフレームで飾られた鏡を睨むように見つめながら言った。


「そのだ、すぐにムセイオンを、大聖母グランディス・マグナ・マテル様を呼び出せ。」

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