第777話 『黄金宮』入城
統一歴九十九年五月十日、午前 ‐
グナエウシア・アヴァロニア・アルトリウシア・マイヨルを乗せた
皇帝が
御料車はティベリス川を越えると、それまでの大街道に比べれば格段に狭くなる街道を通り、
緊張と不安で心を重くしていた
「タネ、すごいわ。こんなの……」
「皆が、お嬢様を褒めたたえておりますよ。」
「嘘よ、そんなはずは無いわ。
だって私、レーマに来てから半年くらいはずっと
外に出ていたのは冬の間だけだったのに……」
コボルトの血を引く大グナエウシアは、兄のアルトリウスがそうだったように帝都レーマの暑さが非常に苦手だった。昨年六月に留学のためにレーマへ到着して以来、夏の間はほとんどずっと屋敷に閉じこもり、日がな一日水浴びを繰り返して暑さを
「半年も閉じこもってはおられなかったじゃありませんか。
せいぜい三か月……いえ、四か月といったところですよお嬢様。
だいたい、レーマは暑すぎるのです。タネは死ぬかと思いましたよ。
レーマの人たちは皆、コボルトが暑さに弱いことを御存じです。」
タネは去年の夏を思い返しながら閉じこもっていた期間を指折り数え、大グナエウシアを励ます。
大グナエウシアはホブゴブリンの父とコボルトの母の間に生まれたハーフコボルトだが、タネは純粋にコボルトだ。母が嫁いでくる際に侍女としてついてきた女のうちの一人で、大グナエウシアが産まれてからずっと世話を焼いてくれていて、こうしてレーマ留学にまでついて来てくれているのだが、南蛮生まれ南蛮育ちのコボルトであるタネは大グナエウシア以上に暑さが苦手なハズであった。なのに決してそれを表に出すことなく、ストラよりずっと暑そうなユカタを着こんだまま大グナエウシアの世話を焼き続けてくれている。そんなタネに励まされれば大グナエウシアも弱音など吐けなくなってしまう。
実際、大グナエウシアがレーマで社交活動を始めたのはまだ残暑の残る九月の下旬のことだった。大グナエウシアにとってはまだ水風呂から出たくないような暑さが続いていたのだが、故郷の家族や一生懸命世話を焼き続けてくれるタネを思うといつまでも甘えてはいられないという気分になったのだ。
「でもやっぱり四か月も遅れたんだもの……
四か月もの遅れなんて、簡単に取り戻せるわけは無いわ。」
普通、貴族が屋敷に閉じこもっていたりしたら口さがないレーマ市民たちから「屋敷に引きこもって何か良からぬことをしている」などと辛辣な陰口を叩かれ、傷ついた体面を回復するのに相当な苦労を要するものなのだが、大グナエウシアの場合は兄アルトリウスの前例があったために「コボルトは暑さに弱いから仕方ない」と多くの人々から理解を得ることが出来ていた。この点、大グナエウシアは兄に強く深く感謝したものである。
もちろん、大グナエウシアもただ兄の功績に甘えるばかりでなく、秋から冬にかけては積極的に外にでて交流を重ね、夏に閉じこもっていた分の挽回に努めていた。そこでも「かつてレーマに一大旋風を引き起こした『
ともあれ、アルトリウシア子爵家の家名を挙げるという貴族の家に生まれた子供に等しく課せられる責任を果たした大グナエウシアは、ついに皇帝への謁見を許されることとなった……今朝まで大グナエウシアはそう思っていた。が、世の中そんなに甘くはない。
『黄金宮』への招待を受けた昨日、参内にあたって何が必要で何に気を付けねばならないかを調べるために情報を集めに行った家人らによるとどうやそうではないらしいことが徐々に判明していく。
アルビオンニア属州で《
もしその噂が真実であるならば、大グナエウシアが今日の
考えてみれば当然だろう。いくら『白銀のアルトリウス』の妹だからといって、たかが十四歳の小娘が社交界で目立って見せたところで、レーマに来てまだ一年も経っていないのに指名で『黄金宮』へ召し出されるわけがない。
多分、降臨が起きたという噂は事実なんだわ……
だとしたらアルトリウシアは大丈夫かしら?
家族たちを思い出し、その無事を祈らずにはいられない。大グナエウシアはレーマ留学後に生まれた初めての甥っ子アウルスの顔だってまだ見ていないのだ。妹である小グナエウシアだってあれだけ可愛かったのだから、アウルスだって凄く可愛いに違いない。アルトリウシアから届いた細密画に描かれていたアウルスの姿は、真綿のようにフワフワの毛に覆われていて、まるで雪の妖精のようだった。触ったらビックリするくらい暖かくて柔らかいに違いない。それなのにその顔も一度も見ないうちに、その身に何かあったとしたら悲しすぎる。
結局、衆人の大歓声も大グナエウシアの憂いを晴らすには至らなかった。完全に塞ぎ込んでしまって窓越しに見える群衆に愛想を振りまく余裕さえ持てないというほどではさすがになかったが、満面の笑みを浮かべてというような気分には到底なれない。
車列がフォルム・レマヌムを通り抜け、『黄金宮』へ続く「聖なる道」に入るとさすがに通行人の数はまばらになり、わざわざ大きな声を上げる者も居なくなと、大グナエウシアの憂いと不安はますます強まっていった。せめてよかったこと探しをするなら、憂いと不安のあまり緊張をほとんど感じなかったことぐらいだろうか。
やがて車列は「聖なる道」を登り切り、ついに『黄金宮』の
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