第776話 グナエウシアの参内
統一歴九十九年五月十日、朝 ‐ レーマ市街地/レーマ
帝都レーマは
今も増大を続けるレーマは、しかし必ずしも整然とした美しさとは無縁な景観でも知られている。皇帝の住まう
レーマに住む人々が、統治する
元々、他の都市との交通確保のために計画的に敷設された「
しかし人が増えていくと、道路を公共の空間と考えて尊重するのではなく、まだ誰の土地でもない空き地と考える者が現れ始める。道路に私物を置く者が現れ、ゴミや排泄物などを捨てる者が現れる。そして建物が過密になっていくと、次第に建物を増改築する際にまだ誰の土地でもない空き地にわざと自分の建物をはみ出させる者さえ出てくる。やがて堂々と屋台を設置して商売し始める者や、バラックを築いて住み着く者も増えてくる。
無秩序に増大する人口はやがて市街を縦横に縫うように張り巡らされていた道路網を閉塞し、気づけばそこに住む人々が窒息しそうなほど超過密地帯がレーマのあちこちに出来上がってしまっていた。
もちろん、歴代の
何せそこには数多くの
歴史ある都市の区画整理はいつの世でも、どの国であっても難しい。
この問題に大きく影響を与えたのがレーマ大火と呼ばれる大火災だった。
今となってはその火災の原因が何だったのかは謎となっている。放火だったという証言もあれば、何らかのボヤから始まったという説もあるが、何せあまりにも広い範囲に燃え広がり、あまりにも多くの犠牲者が出たことから、火元がどこかすら分からなくなってしまったからだ。ともかく、折からの風に煽られて一挙に燃え広がった火災は最終的に数十万人にも及ぶ死者・行方不明者を出し、帝都レーマの約四割を文字通り焼け野原に変えてしまったわけだが、この
消火に使える十分な水や、水を大量に火に浴びせることのできるポンプなどの消火手段が無い状況においては破壊消火はもっとも有効な消火方法となる。どんな炎も燃料となる物と空気とが無ければ燃え尽きざるを得ないのだから、燃料となり得る建物を事前に破壊してしまえば、火災はそれ以上には燃え広がらない。あとは自然に消えるのを待つだけで良い。
だが破壊消火はレーマ大火の際にはほとんど機能しなかった。
超過密都市レーマではあまりにも人が多く、あまりにも建物が密集しすぎていた。火は
炎は
この反省から現在では都市計画というものがかなり重視されるようになっている。その最大の成果が計画的に敷設しなおされた道路網であり、中でも象徴的なのが「
レーマ大火によって焼け野原にされた土地は降って湧いた新天地のようなものだった。何せあれだけゴチャゴチャとうるさく都市整備計画の邪魔になっていた住民と地権者が建物と共にいなくなってしまったのだから、レーマ市民の間で高まっていた火災対策の機運と言う追い風も受け、都市計画やインフラ整備を担当する
結果、レーマ大火で焼け野原になった再開発地区には、それまで無秩序に林立していた建物や権利者の不確かな土地を一切無視して道路網が敷かれなおされた。生き残っていたわずかな地権者には下水道を用意し、上水道も便宜を図るからなどと言って納得させた。
それまでのレーマでは馬車がすれ違えるほどの広さがある道路と言えば、都市中央から隣の都市まで伸びるわずか数本の
そしてその中でもひときわ目立っているのが「
これまでの帝都レーマからは考えられないほど拡幅された道路網は、帝都レーマの交通事情に一つの変革をもたらした。それまで帝都レーマでは劣悪な道路環境のせいで馬車の乗り入れが禁止されていたのだが、再開発地区に限っては馬車の乗り入れが可能となったのである。
このため、再開発地区には
その活気あふれる街のど真ん中を突っ切るように伸びる大街道を、やけに派手な車列が進んでいく。その車列の中心に位置する馬車はひときわ人目を引き付ける、濃い紫色に染められた幌、金銀の
とはいっても、乗っているのは皇帝その人ではない。車列は招待客を乗せた迎えの一行であり、乗っているのはアルトリウシアからの留学生、
「ああ……タネ、やっぱり赤は派手過ぎたかしら?
タネが言う通り緑にすればよかったかも……」
馬車の中で揺られながら、大グナエウシアが心細そうに尋ねる。さっきから彼女は窓の外を見てはため息をつき、着ている真っ赤な
「
緑にしたらしたでやっぱり赤がよかったとか青がよかったとか言うんですから……」
今朝、風呂から上がった大グナエウシアは衣装選びでタネや衣装係たちと随分と揉めていた。春らしく若草色の服にしましょうと言うタネ、アヴァロニウス氏族の色であり軍神マルスの色でもある赤にすべきだと言う衣装係、そしてピンクが良いだの黄色にしようだのと主張がコロコロ変わる大グナエウシア……結局、主張が定まらない大グナエウシアの意見は無視され、タネの主張も感覚が南蛮的すぎるということでレーマ出身の衣装係の意見が通り、大グナエウシアは赤い長衣に身を包んでいた。それを黄色い
これは一昨年あたりからレーマ貴族の間で流行りはじめ、今では庶民の間でも定着しつつある定番のスタイルだった。だが大グナエウシア本人としては胸のふくらみが強調されすぎる気がしてあまり気持ちはよくない。長衣のスカート部分を弄ってせっかくの美しいドレープを乱しては、ハッと気づいて慌てて戻すのを繰り返している。
「そんな突き放さないでよ。
私だってタネの意見に賛成したじゃない!?」
大グナエウシアはタネに不安に
「大丈夫ですよお嬢様。
お嬢様は大変お綺麗です。
どんな服もお嬢様ならお似合いです。」
「またそんないい加減なこと言って!」
「いい加減じゃありませんよお嬢様。
人の本当の美しさは着る服で決まるんじゃありません。
心の持ちようできまるんです。
タネは知ってます。
お嬢様はきっと大丈夫ですよ。
お嬢様にはいつだってタネが付いていて差し上げますとも」
タネの言葉を聞いて大グナエウシアは黙った。涙の浮かんだ目でジッとタネを見つめ、それから指で涙を拭うと顔を窓の外へ向ける。
「タネ……降臨の話は本当だと思う?
窓の外は相変わらず活気に満ちた街並みが続いていた。降臨が起きたとすればそれは世界を揺るがす一大事のはずだが、目の前の街の様子を見る限りとても現実の話だとは思えない。まして《
タネは大グナエウシアの
「タネにもわかりません。
ですが、こうして
決して悪い話ではありませんよ。」
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