第776話 グナエウシアの参内

統一歴九十九年五月十日、朝 ‐ レーマ市街地/レーマ



 帝都レーマはこの世界ヴァーチャリアで最も古い歴史を誇る都市のひとつである。そして、世界でトップクラスの人口を誇る巨大都市でもあった。

 今も増大を続けるレーマは、しかし必ずしも整然とした美しさとは無縁な景観でも知られている。皇帝の住まう『黄金宮』ドムス・アウレアをはじめ美しさを誇る建築物は少なくないが、それが都市の美しさに繋がっているかと言うとそうではない。理由は簡単、都市計画というものが存在していなかったからだ。


 レーマに住む人々が、統治する貴族ノビリタスたちが、自分たちの町が酷く雑然としていることに気づいたのは既に人口が十万人を超えた頃だった。その時には既に市街中心部は集合住宅インスラなどの高層建築物がひしめき合い、建物と建物の間の通路は人がすれ違うのも苦労するほど狭苦しくなってしまっていた。

 元々、他の都市との交通確保のために計画的に敷設された「街道ウィア」と呼ばれる一部の道路以外、道路というものがほとんど管理されていなかったのが原因である。道路とは誰かの所有地と所有地の隙間であり、と考えられていた。最初のうちはそれでも何の問題もなかった。誰もが道路をと考え、占有しようというような不届き者はなど全くいなかったのだ。

 しかし人が増えていくと、道路をと考えて尊重するのではなく、と考える者が現れ始める。道路に私物を置く者が現れ、ゴミや排泄物などを捨てる者が現れる。そして建物が過密になっていくと、次第に建物を増改築する際ににわざと自分の建物をはみ出させる者さえ出てくる。やがて堂々と屋台を設置して商売し始める者や、バラックを築いて住み着く者も増えてくる。

 無秩序に増大する人口はやがて市街を縦横に縫うように張り巡らされていた道路網を閉塞し、気づけばそこに住む人々が窒息しそうなほど超過密地帯がレーマのあちこちに出来上がってしまっていた。


 もちろん、歴代の為政者いせいしゃたちはこれらの問題をどうにかしようと試みた。だが問題を抜本的に解決する手段は存在せず、解決は先送りにされ続けた。

 何せそこには数多くの貧民パウペルたちが住み着いていたが、彼らを住まわせて家賃収入を得ていたのは貴族ノビリタスたちだったのである。区画整理をしようとすれば数多くの違法建築を取り壊さねばならなくなるが、まさか自分の財産で自分の収入源でもある建築物が壊されるのをよしとする者など居るはずもない。しかもそれが国政に影響を与えうる有力者本人や、その近親者となれば、その反対を押し切って区画整理を断行するなどまず不可能なのだ。

 歴史ある都市の区画整理はいつの世でも、どの国であっても難しい。


 この問題に大きく影響を与えたのがレーマ大火と呼ばれる大火災だった。

 今となってはその火災の原因が何だったのかは謎となっている。放火だったという証言もあれば、何らかのボヤから始まったという説もあるが、何せあまりにも広い範囲に燃え広がり、あまりにも多くの犠牲者が出たことから、火元がどこかすら分からなくなってしまったからだ。ともかく、折からの風に煽られて一挙に燃え広がった火災は最終的に数十万人にも及ぶ死者・行方不明者を出し、帝都レーマの約四割を文字通り焼け野原に変えてしまったわけだが、この未曽有みぞうの大火災はレーマ貴族と市民たちに都市計画の重要性を改めて痛感させることとなった。


 この世界ヴぁーチャリアにおける建物火災の消火は破壊消火という方法で行われる。すなわち、現に燃えている、あるいはこれから燃え広がろうとしている建物を破壊し、それ以上火災が燃え広がらないようにするのだ。

 消火に使える十分な水や、水を大量に火に浴びせることのできるポンプなどの消火手段が無い状況においては破壊消火はもっとも有効な消火方法となる。どんな炎も燃料となる物と空気とが無ければ燃え尽きざるを得ないのだから、燃料となり得る建物を事前に破壊してしまえば、火災はそれ以上には燃え広がらない。あとは自然に消えるのを待つだけで良い。

 だが破壊消火はレーマ大火の際にはほとんど機能しなかった。


 超過密都市レーマではあまりにも人が多く、あまりにも建物が密集しすぎていた。火はまたたく間に隣の建物へと燃え移っていき、破壊しようにも間に合わない。それどころか狭すぎる道路にあまりにも多くの避難民が殺到し、警察消防隊ウィギレスは消火しようにも現場に駆け付けることが出来なかった。また、現場に駆け付けることができたとしても窓から手を伸ばせば隣の建物の住民と握手することができるほど狭い間隔で建てられた地上五階建てや六階建ての建物は簡単には壊せない。せっかく壊せたとしても瓦礫ガレキを撤去できない。

 炎は精霊エレメンタルを宿し、《火の精霊ファイア・エレメンタル》と化して暴れまわった。立ち向かう警察消防隊も逃げる市民も、狭い建物や瓦礫に囲まれて身動きの取れないまま、煙に巻かれ炎に焼かれて死んでいった。結局、火災は人の力では消すどころか弱めることさえできず、燃える物が無くなり雨に打たれるまで燃え尽きることは無かった。


 この反省から現在では都市計画というものがかなり重視されるようになっている。その最大の成果が計画的に敷設しなおされた道路網であり、中でも象徴的なのが「大街道ウィア・マキシマ」と呼ばれるものだった。

 レーマ大火によって焼け野原にされた土地は降って湧いた新天地のようなものだった。何せあれだけゴチャゴチャとうるさく都市整備計画の邪魔になっていた住民と地権者が建物と共にのだから、レーマ市民の間で高まっていた火災対策の機運と言う追い風も受け、都市計画やインフラ整備を担当する造営官アエディリスはかなり自由に、そして大胆に区画整理を行うことができた。

 結果、レーマ大火で焼け野原になった再開発地区には、それまで無秩序に林立していた建物や権利者の不確かな土地を一切無視して道路網が敷かれなおされた。生き残っていたわずかな地権者には下水道を用意し、上水道も便宜を図るからなどと言って納得させた。

 それまでのレーマでは馬車がすれ違えるほどの広さがある道路と言えば、都市中央から隣の都市まで伸びるわずか数本の軍用街道ウィア・ミリタリスだけだったのだが、再開発地域にはそれと同じような広さの街道が縦横に張り巡らされている。

 そしてその中でもひときわ目立っているのが「大街道ウィア・マキシマ」であり、その道幅はなんと五十ピルム(約九十三メートル)にも及んでいる。これはレーマ大火の際に暴れた《火の精霊》がティベリス川を渡ろうとして渡れなかったことから、どれだけ火災が発生してもそれだけ空間が空いていればそこから先は燃え広がらないという予測から設計されたものだった。


 これまでの帝都レーマからは考えられないほど拡幅された道路網は、帝都レーマの交通事情に一つの変革をもたらした。それまで帝都レーマでは劣悪な道路環境のせいで馬車の乗り入れが禁止されていたのだが、再開発地区に限っては馬車の乗り入れが可能となったのである。

 このため、再開発地区には貴族ノビリタスや豪商らが先を争うように土地を買い求め、進出してきている。その開発熱はレーマ大火からまもなく十年になろうとしている現在でも収まる様子を見せず、旧市街地とは比べ物にならないほどの活気にあふれていた。


 その活気あふれる街のど真ん中を突っ切るように伸びる大街道を、やけに派手な車列が進んでいく。その車列の中心に位置する馬車はひときわ人目を引き付ける、濃い紫色に染められた幌、金銀の象嵌ぞうがんが施された車体に描かれたクレメンティウス家の紋章……誰が見ても見間違えることはない、皇帝インペラートルマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールの御料車である。

 とはいっても、乗っているのは皇帝その人ではない。車列は招待客を乗せた迎えの一行であり、乗っているのはアルトリウシアからの留学生、大グナエウシアグナエウシア・マイヨルことグナエウシア・アヴァロニア・アルトリウシア・マイヨルだった。


「ああ……タネ、やっぱり赤は派手過ぎたかしら?

 タネが言う通り緑にすればよかったかも……」


 馬車の中で揺られながら、大グナエウシアが心細そうに尋ねる。さっきから彼女は窓の外を見てはため息をつき、着ている真っ赤な長衣ストラの裾をいじってはため息をつきと、ひどく落ち着かない様子だった。


今更いまさら言っても始まりませんよ、お嬢様。

 緑にしたらしたでやっぱり赤がよかったとか青がよかったとか言うんですから……」


 今朝、風呂から上がった大グナエウシアは衣装選びでタネや衣装係たちと随分と揉めていた。春らしく若草色の服にしましょうと言うタネ、アヴァロニウス氏族の色であり軍神マルスの色でもある赤にすべきだと言う衣装係、そしてピンクが良いだの黄色にしようだのと主張がコロコロ変わる大グナエウシア……結局、主張が定まらない大グナエウシアの意見は無視され、タネの主張も感覚が南蛮的すぎるということでレーマ出身の衣装係の意見が通り、大グナエウシアは赤い長衣に身を包んでいた。それを黄色い飾り帯タエニアで胸の下を縛って乳房を強調し、余った飾り帯を腹と背中で交差するように胴に巻いていき、へその下あたりで再び結んでだらりと前へ下げる。

 これは一昨年あたりからレーマ貴族の間で流行りはじめ、今では庶民の間でも定着しつつある定番のスタイルだった。だが大グナエウシア本人としては胸のふくらみが強調されすぎる気がしてあまり気持ちはよくない。長衣のスカート部分を弄ってせっかくの美しいドレープを乱しては、ハッと気づいて慌てて戻すのを繰り返している。


「そんな突き放さないでよ。

 私だってタネの意見に賛成したじゃない!?」


 大グナエウシアはタネに不安にさいなまれている自分を慰めてもらいたかったのに、思わぬ言い草にショックを受けて思わず泣きそうになった。


「大丈夫ですよお嬢様。

 お嬢様は大変お綺麗です。

 どんな服もお嬢様ならお似合いです。」


「またそんないい加減なこと言って!」


「いい加減じゃありませんよお嬢様。

 人の本当の美しさは着る服で決まるんじゃありません。

 心の持ちようできまるんです。

 タネは知ってます。

 お嬢様はきっと大丈夫ですよ。

 お嬢様にはいつだってタネが付いていて差し上げますとも」


 タネの言葉を聞いて大グナエウシアは黙った。涙の浮かんだ目でジッとタネを見つめ、それから指で涙を拭うと顔を窓の外へ向ける。


「タネ……降臨の話は本当だと思う?

 兄さまアルトリウスミノールは大丈夫かしら?」


 窓の外は相変わらず活気に満ちた街並みが続いていた。降臨が起きたとすればそれは世界を揺るがす一大事のはずだが、目の前の街の様子を見る限りとても現実の話だとは思えない。まして《暗黒騎士ダーク・ナイト》が降臨したなどとは……

 タネは大グナエウシアのうれいに満ちた横顔を見つめてからハァとため息をついた。


「タネにもわかりません。

 ですが、こうして皇帝陛下インペラートルから呼ばれているのです。

 決して悪い話ではありませんよ。」

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