第854話 情報収集?

統一歴九十九年五月九日、夕 ‐ 市民地下醸造所ビュルガー・ブロイ・ケラー/シュバルツゼーブルグ



 粋がる少年が差し出した三枚のコインを目にすると、ウエイトレスはそれまでの薄笑いを消して両眉を持ち上げて目を丸くする。ペイトウィンはフフンッと偉そうにふんぞり返って背もたれに背を預けた。


「足らなきゃ出すぞ。

 レパートリーが無いならせめて味と量で満足させてくれるんだろうな?」


 ペイトウィンが出したのはまだ新しいセステルティウス黄銅貨だった。セステルティウスはレーマ帝国で最も基本となる通貨単位だが、現在セステルティウスはそれまでの銀貨から黄銅貨への切り替えが進んでいる。しかし、帝国最南端の辺境であるアルビオンニア属州ではまだ流通量は少なく、セステルティウス貨といえば銀貨が主流だった。それでもセステルティウスはセステルティウス……デナリウス銀貨の四分の一に相当する価値があり、帝都レーマならそれ一枚で平民の四人家族の食費一週間分ぐらいの価値があった。物価の安い田舎ならもっと食いつなげるだろう。それが三枚だから平民四人家族一か月分の食費ぐらいか……つまり、子供の小遣いにしては多すぎる金額である。

 一拍置いてウエイトレスはフッと呆れたように鼻で笑った。


「この店でこれは多すぎるわね。

 セステルティウス一枚出して貰えんなら、きっとウチの店主ドミヌスはアンタら三人の胃袋が破裂するまでジャガイモをふかかし、腸詰ボトゥルスを煮てくれるだろうよ。」


 そう言いながら、ウエイトレスは目の前の三枚のコインの内二つをペイトウィンの方へ指で滑らせて押し返し、一枚を受け取った。

 初めての酒場での冒険者っぽい雰囲気のせいで普段なら許せない自分に対する子供扱いも機嫌良く受け流していたペイトウィンだったが、さすがにムッとしてそれまで浮かべていた薄ら笑いを消した。


「余る分はチップだ。

 とっとけばいいだろ!?」


 口を尖らせるペイトウィンにウエイトレスは天井を仰ぎ見るようにハッと笑い、それから両手を腰に当てると真剣に子供を𠮟りつけるような顔をペイトウィンに向かって突き出した。


「ナマ言うんじゃないよ!」


 普段ならガラの悪い盗賊どもにだってビビることのない三人だったが、愛くるしい顔立ちの女性のドスの利いた声に思わずひるんで顔を引きつらせる。

 オネーサンに叱られた悪ガキのようなペイトウィンの反応に満足したのか、ウェイトレスはそのままスッと身体を起こした。


「お金なんてものはね、出しさえすりゃ偉いってもんじゃないんだよ。

 お金にはちゃんと使いどころってもんがあるんだ。

 ちゃんと働いて、無駄遣いせず、使うべきところに使うのが偉いんだよ。

 坊やみたいに無駄に金を使うのは馬鹿のすることだ、憶えときな!」


 ひとしきり𠮟りつけるとウエイトレスは何か冗談でも思いついたかのように悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべ、いきなり身体をくねらせてしなを作る。


「それとも、?」


 腰をひねって尻と胸のふくらみを強調するポーズをとったウエイトレスのその言葉に三人は色を失くした。


「ちっ、違うさっ!」


 暗がりでもハッキリわかるほど三人の白い顔を真っ赤に染めさせたことで少年たちの生意気な態度に報いたウエイトレスはケラケラと笑った。


「あら残念だね。

 アタシャあ、まんざらでもなかったんだけどねぇ~。

 でもいい機会だから憶えておきな。

 多すぎるチップを渡すってことはそう言う意味なんだよ、坊や?」


 チッ、これだから下賤NPCの女は……


 つまらなそうにそっぽを向いて舌打ちするペイトウィンが彼女の忠告を聞いているのかどうかわからないが、彼女はお構いなしにペイトウィンから受け取ったセステルティウス黄銅貨を掲げてロウソクの光をキラキラ反射させながらウットリしたような目で眺める。


「今日のチップはコイツから料理代いた残り分からありがたく貰っとくよ。


 料理は注文通り三人分出してあげるから安心おし。

 そんかし、食べたらとっとと帰るんだよ。」


 ウエイトレスは黄銅貨をポケットに納めながらねるペイトウィンに上機嫌に忠告した。


「なんだよ、普通はゆっくりしていけとか言うんじゃないのかよ!?」


「そう言いたいのは山々だけどね。

 この後、怖~いオニーサンたちがいっぱい来ることになってるんだ。

 だからアンタたちみたいな可愛い坊やがいると、面倒に巻き込まれちまうよ?」


「怖いオニーサン?」


 今度はデファーグが反応する。


「そいつは、街のヤクザ者かなにかか?」


 見た目の若さと世間知らずだったせいで子供扱いされ、恥ずかしい思いまでしてしまった。彼らが身分を明かせばこんなウエイトレスなんぞは一瞬で震えあがってしまうに違いなかったが、今の彼らに自らの素性を明かすことなど出来はしない。しかし、彼らにはこのシュバルツゼーブルグ近郊の盗賊たちを一挙にまとめ上げただけの実力があるのだ。街のヤクザ者なんて相手にもならないだろう。その実力の片鱗でも見せつけてやれば、この生意気なヒトのウエイトレスを見返してやることができるに違いない。

 だが意気込むデファーグにウエイトレスは笑いながら手を振って否定した。


「違うよ、馬鹿だねぇ。

 ここはフォン・シュバルツゼーブルグ様の醸造所ブラシーニアなんだ。

 そんな奴らが郷士ドゥーチェ様の屋敷ドムスの前で騒ぎなんか起こせるわけないだろぉ?

 来るのは軍隊さ。」


「「軍隊?」」


 浮かない顔をして眉をひそめる少年たちにウエイトレスは呆れて見せた。


「なんだいアンタら、御触れを聞いてないのかい?」


 彼女の言う御触れとは今日の午後、ちょうど『勇者団』ブレーブスの面々がアジトに集結し、ああでもないこうでもないと今後の方針について話し合っている時に出されたものだった。当然、ペイトウィンたちがそんなものを知っているわけがないのだが、このウエイトレスにしてもペイトウィンたちのそういった事情など知っているはずも無かった。

 ペイトウィンたちは何のことか分からず、互いに顔を見合った。その様子から少年たちは本当に何も知らないのだと理解したウエイトレスはヤレヤレと言った様子で両手を腰に当てて答えを教える。


「ルクレティア・スパルタカシア様の御一行がおいでなさるのさ。」


「「「スパルタカシア!?」」」


 ウエイトレスの口からその名を聞いたペイトウィンたちは耳を疑った。彼らの認識ではルクレティアたちはとっくにシュバルツゼーブルグを発っており、グナエウス街道をアルトリウシアへ向けて進んでいるはずだった。ティフたちはそれを追ってつい一時間ほど前にシュバルツゼーブルグを出発したばかりだったのである。

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